2月以前
作者近況 1月 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月

2/27,28 風邪の具合が昨夜からひどくなり、普通の風邪ではあるのだが、朝起きた時から調子が悪い。全ての風邪の症状が同時に襲って来た感じである。昨日は幾らか軽い症状だったので町に出掛けたのが良く無かったのだろうか。

歩けない程では無いのでスタジオに向い急ぎの振り込みの為に銀行に寄ったのだが、機械で振り込む為に30分も立って待つ事になった。年度末が近い事、確定申告が近付いている事を実感する。

食欲だけはのである早めに回復すると思うのだが、なかなか熱が下がらない。


2/26 昨日から気になっていたNYのホテルを少々コストはかかるのだがミッドタウンに取る事にした。一応押さえてあったアッパーウエストよりも全ての面で便利になる。時間に余裕があるので却っていろいろな事を迷ってしまう。

幾らか落ち着いた感じもあり、掃除と洗濯をだらだらと済ませ、新作のポートフォリオのスポッテュングを少しだけ進める。気の抜けた状態で見ていると、仕上げたばかりの先日迄は輝いていた作品が、少しくすんで見えて来る。この作品の価値そのものは解らないが、関心の無い人間にはもっとどんよりと、技巧的な部分しか見えていないのかと思っていたら少し悲しくなった。

シルバープリントという技法はオルタネィティブな他の技法と違い、完成された工業的な生産技術の上に成り立っている。手作業で印画紙を作る訳では無いので、おそらく一度失われてしまうともう二度と再現される事の無いプロセスなのだと思わざるを得ない。現在の非常に精巧な銀塩のフィルムを作る事がハンドメイドでは不可能なように、印画紙においても今ある物が今後で、最高のものだと考える事が正しい事のように感じる。

だから私は過去にあった紙の事は考えない。今手に入る、そこにある紙で、最高の物を作らなければならない。確かに不可能な物もある。しかし、その中で読み込まれたデータは、今後新しい素材に受け継がれいつか違う形で生まれ変わる。いまはこの印画紙を、マルチグレードでも良いと思う。それにしか出せない階調もある。そして、その階調はその紙の消滅と供に消えてしまうのだから。


2/25 月末の支払いで銀行へ。出費の少ない月で助かったが入金は更に少なく、先の事を考えると不安になる。渋谷に出掛けたついでに確定申告の帳簿などを買って来る。毎年の事だが、準備はしていても仕上がるのはギリギリだ。

先日の急な体調不良が落ち着いて油断したのか今度は普通の風邪を惹いたような感じだ。症状は軽いが微妙に全ての風邪の症状を感じる。とても寒い。

旅行会社から飛行機のチケットがオーケーとのメール。次はホテル。一緒に手配は頼んでいるのだが場所は金額次第。


2/24 NYのギャラリーから先日EMSで送った作品が届いたと言う連絡が在った。発送時に10日位はかかると言われていたので驚きの早さだ。未だ3日ぐらいしか経っていない事を考えたらDHLと変わらないかも知れない。たまたま早かったのだとは思うのだが、、、

とにかく無事に届いてくれて良かった。初めての事は何でも恐ろしく不安になる。昔から異常に心配性なのかも知れない。

心配と言う事ではまだまだいろいろな事が控えている。今日は渡米する飛行機のチケットをネットで予約したのだがこれも結構不安だ。どのくらい安ければ敵性価格なのかが解らない。結局無難な所に頼んでしまう。オープンに合わせて数日間は滞在する予定だが春休みと重なって意外と込み合うシーズンらしい。

スタジオで経理の処理を進めるのだが、スタジオの隅の方にいると暖房のエアコンが殆ど届かない。先日安物の電気のセラミックヒーターを通販で注文し、今日届いて早速使ってみるとこれが全然温まらない。通販の広告にすっかり騙されてしまった。安物買いの何とやらである。


2/23 昨夜寝たのは遅かったのだが、何度か小刻みに睡眠をとっている為とても爽やかに目覚める事が出来た。体力はかなり低下しているのだが、熱はすっかり無くなっている。

いろいろ人に話を聞いてみるとB型のインフルエンザは比較的症状が軽く体力が在ると以外と早く回復するらしい。大事に至らなくて本当に良かった。また比較的時間に余裕が在ったのも幸いである。

今日の撮影は書籍の表紙を2本の予定だったのだが、イラストを担当するアーティストの都合で1本のみとなった。今日の私にはそれでも辛く、ホット胸をなで下ろした感じが在る。

午後の遅くならない時間に帰宅し、少し眠ってから食事の準備をする。やっと食事もとれるようになった。

感覚的に少し萎縮してしまった感じは在るのだが、それもすぐに回復するだろう。懲りない物で、今日はコニャックを飲む。


2/22 昨日のテストのチェックや片付けなど、本番が仕上がってからは表参道迄納品に出かける。昨夜の凄まじい状態から考えると随分楽になったのだが、未だ熱は完全に下がってはいない。

風邪の症状は熱に伴う物以外感じられないのだが、唯一食欲が無い。朝はレトルトのサムゲタンを暖めてスープを少し飲んだ。

午後の早い時間に帰宅し、横になって少し眠ったのだが、夜中になって起き出して展覧会のキャプションを書く。明日になって読み返してからメールで送った方が良さそうだ。文章はいつも後になって失敗したと思う事が多い。

昨夜はほとんど一晩中うなされていたのだが、その感覚は独特の物だ。夢を見ているようで、起きているのか寝ているのかがはっきりしないのだが、夢の部分では動かない身体でずっとプリントのカット作業を続けている。ベッドの中でうずくまっているのは分かっているのだが、意識の中では作業をしていて何度も同じ所を繰り返しているのである。

自分でもおかしな事を考えているのが解る物だから意識を取り戻す度に何か爽やかな事を想像しようと北海道の原野などを思い浮かべて一瞬はその中に入るのだが、ほっとしたのもつかの間で、すぐに元の世界に連れ戻されてしまう。

子供の頃に病弱だった私は、病気をする度に母親の恐ろしく迷惑そうな絶望の表情を見て育った。そのせいかどうかは解らないが、症状がひどければひどい程、誰にも会わない方が気分が楽なのだろう。想像するのも決って北の広々とした風景である。決して休暇に私が良く過ごす日本の田舎然とした小さな島では無い。


2/21 午前中一杯で撮影が終了したので、作品の発送の為に郵便局に向う。かなりの重量になってしまったので、EMSとは言え結構な金額が掛ってしまった。有料の保険を賭けなければいけないのだが、所持金が足りなくなり不本意では在るがかけるのは少しだけ。情けない話だ。

現像所にフィルムを出す為に渋谷に向い自宅にに戻り始めた頃から体調がおかしくなり、電車の中でも虚脱感で寄り掛からなければ立っていられない。自宅についた頃には激しい寒気でそのまま横になりふと気がつくと夕方だ。

かなりの高熱だが、インフルエンザなのだろうか。頭痛など他の症状は一切無いのだが、寒気と発熱で身体が動かない。横になっているのだがうなされて眠る事が出来ない。うなされると言う感覚が久しぶりなので、自分でも起きているのか眠っているのかが解らない。ただ時計だけが動いていて時刻が頭に焼き付いて行く。

ふと気がつくと少し眠ったらしく明るくなり始め、それと供に寒気も少し楽になり汗をかいている。峠を過ぎたのだと思うと急に気持ちが楽になった。

取りあえず昨日の用事であったメールの返信などを終わらせる。仕事に出るには未だ少し時間が在る。熱はほとんど無い。


2/20 午前中は自宅で過ごし、午後からスタジオに向う。途中久し振りのラーメン店で昼食をとる。昨日全て仕上がった作品を梱包し、発送可能な状態にしなければならないのだが、まずはストレージボックスの内部をパッキングし、その状態をすっぽり包み込む硬質の段ボールのケースを作る事にした。

厚手の段ボールは重量が在るのであまり大きな物は作れない。元は何だったのかは解らないが2cm近い厚さのボードを見つけて丁度良い大きさにカットして張り合わせ、ストレージボックスを縦に差し込むような口の細いケースを作ってみた。開口部が小さい程材料も少なく、重量も軽くなるのではと思ったのだが、強度に関しては未体験なので解らない。どんな力を想定すれば良いのかは、今後の経験に学ぶ所だろう。一応外側をエアパッキンでひとまわり。これで水の対策も大丈夫だろう。

今回の作品は大小で27点。自分の撰んだ物では無いのだが、その事が逆に、新しい発見への期待を膨らませている。他人の感性を受け入れる事。それは自分の作品に関心を持ってくれた人間との共同作業であり、新しい発見へのアプローチだと考えている。

この作品に関して、何もする事が無くなったとたんに、次の作品の事が頭の中で渦巻いている。年越しで手掛けていた新しいポートフォリオなのだが、何とか年内にギャラリーを見つけたい。中間調、黒、白、すべてを美しく仕上げる事へ新しい意気込みを感じる。NYに送る作品も基本的に同じ物をもう一部プリントしてあるので、販売や利益と言う事で無く展示を求めるすべての環境で発表する事を考えている。

今の自分に出来る事。銀塩の写真、私にとってはただ写真と言っても良いのだが、この美しさ独自性を伝えたい。


2/19 昨日やリ残した数点のスポッティングを終え、すべてのプリントにサインを入れて梱包の準備に入る。ケースに余裕が在りそうなので、当初は省いてしまっていた一点を、ストックのプリントで加える事にした。

作品を発送すると言う事自体あまり経験が無い上に、オーバーマットが掛っていない状態と言う事も在り、かなりの不安は感じるのだが、この状態でもかなりの重量なので、マットをかけて送る事は難しい。その分ケース内の梱包をしっかりやれば良いのだろうか。

一応今日の作業はここ迄にして、明日スタジオで完全に周りを段ボールで固める事にする。

刺激の少ない一日で時間がゆっくり流れて行く。自分をささえてくれている多くの人の事を考える。作品の中に短所を探す人もいれば、少しでも表現の可能性を伸ばそうとする人もいる。写真は自由な表現である。少しづつ目の前が開けて来るのを感じる。


2/18 昨日入手し、カットしたボードに小さめの作品をドライマウントする。現在の印画紙は増白材が蛍光色を発しているので余白が残っているとダイナミックレンジが狭く見え、今一つ沈み込んで見えてしまう。それと供に黒のデティールも非常に相対的な物なので、余白が無くなることで、やっと優しい階調を取り戻す。

マルチグレードで作品を作る事。これは意外と制約も多く、黒に近い部分の階調を上手くジャンプさせないと微妙に表面が曇って見える。つまり昔のグレードペーパーの黒とはまったく違う表現のアプローチを取る事になる。ある意味印刷技術に近い。

では、過去のビンテージプリントのような階調は絶対に再現が不可能なのか?悲しい事であるが、殆どの場合は諦めるしか無い。しかしすべてが不可能な訳では無い。

作品の余白を切り落とし、ドライマウントを済ませ、スポッティングを進める。一つ一つの作品がやっと美しさを取り戻す。もっと美しい表現の可能性。それは確かに在るだろう。すべての作品に可能な限りの方法を全て試したかと言えばそうでは無い。

昨日見たブレット、アンセルアダムス、シスキンド、マイナーホワイト、今は見る機会が無くなった非常に質の高いプリント。見る事はおそらくすべてに優先する。同じ表現が可能と言う事では無く、新しいアプローチを模索する意味でも重要だ。私の表現の中にはそれらを超えて輝く物も在る。

美しいプリントを見る機会はあまりにも少ない。ではいつも接している人間の感性が必ずしも美しいのだろうか?そこしか見えない色眼鏡をかけて視覚を閉ざしていては何も生まれない。


2/17 追加のマットボードやケースなどを受け取りにPGIへ。PGIのY氏とはPGIオープン前から交流が在りファインプリントや日本で写真を販売するギャラリーの動向を、立場こそ違うのだが共に感じ取って来た世代である。

田町に移ってからと言う訳では無いが、どうもこのギャラリーは排他的な印象をぬぐい去れない。それは見る人にとってで在り、ギャラリーとしての印象だろう。今日今回の私のNYの個展の作品の幾つかをY氏に見てもらったのだが、この排他的なギャラリーの印象は氏の感性に因る所が強いのかも知れない。

写真を扱う感性は様々である。多くの写真を愛する人々にそれぞれのスタンスが在る。目指す物は違っていても彼らを取り込み共に時代を動かしてこそ、銀塩の写真の将来が存在する物だと私は考えている。銀塩を愛する人達。私も過去の巨匠も皆そのひとりである。

先日、某印画紙メーカーの開発者と話をする機会が在り、印画紙が無くなる事も、フィルムがなくなる事も、作家である自分自身にも責任が在るように感じ始めた。その中で自分に出来る事を考えなければならないと思ったのだが、さしあたって写真を見られる環境を作る事、それがもっとも大事な事だと感じ始めている。

銀塩の将来。このギャラリーにとっては関心の無い事かも知れないが、久しぶりに見せていただいた美しいPGIの収蔵品も皆、その世界で作られ、それを見て育った多くの作家が存在する。今日見せていただいた過去のビンテージプリントは本当にすばらしい物で、それらの作品と現在のギャラリーの作家との関連性を疑問に思わざるを得ない。何がそこに線を引いてしまっているのだろうか?

収蔵品で展覧会をやれ!と、背中を蹴飛ばしたくもなるのだが、写真文化館も閉館し、それぞれのギャラリーのスタンスはもう変わる事の無い物なのだろう。

昨年、坂川栄治さんとギャラリーについて長い時間話しをする機会が在った。氏のバーソーフォトギャラリーも数年前に閉館してしまったのだが、写真を空間に飾る文化。それが根付く迄には長い歳月が掛ると言う話が印象的だった。部屋に飾られた写真を普通に観ながら育った子供達が大人になり、当たり前の事として空間に写真を飾る。そのように少しづつ文化は浸透して行くと言うのである。

私の展覧会に偶然やって来た人が私の作品を買う。私はそれが飾られる空間をいつも想像している。買って行く人達も皆それを空間に飾る事を楽しみにして買って行く。一度の個展で売れる枚数は知れている。多くても数十枚。それで文化が変わるのかと言う話になるが、物を愛でる気持ちは少しづつ浸透し拡散して行く。写真を学びたいと言う人を受け入れ楽しみ方を伝えて行く。

今のPGIで展示中の写真を部屋に飾りたいと思って買って行く人はどのくらい居るのだろう。ギャラリーの役割はそれぞれで皆、気に入った世界で活動すれば良いと言ってしまえばそれまでだが、お互いに拒絶し、排他的に存在しているように感じているのは私だけなのだろうか。


2/16 最終的なマットのサイズが決まりドライマウントに入る。昨日から取り掛かった別のポートフォリオも含め数十点を仕上げる。朝に作業を開始して、深夜迄一度も食事を取る事も無く、12時間以上休み無く作業を続けた。

仕上りはすばらしい。新しいポートフォリオも一部では在るが完成し、これでプレゼンに出す事が出来る。今回の展覧会の分は大きな作品12点をドライマウントし、後は細かなスポッティングのみを残している。残りの小さな作品14点は、明日新しく16x20インチの2plyをカットしてから始める事となる。

写真を仕上げる作業の中で、水洗中の水の中に在る状態もすばらしいが、ドライマウントの仕上がった時も同じように気持ちが良い。私は必ずプリントの余白を切り落とすので、この状態で始めて画面のダイナミックレンジが完結する事になる。保存上は色々と意見の在る所だとは思うが、一度これを体験すると他の状態では写真が死んでいるように感じてしまう。

新しいポートフォリオ。これは96年の展覧会が「耽象の時 part1」と言うタイトルだった事に続く物で「Part2」と考えれば分かりやすい。パート1の方が抽象的なモティーフを全て人工造形物から撰んだ事に対する分類で、こちらは全て自然界の造形をモティーフにした作品群である。

本来ならばこちらの方を早く発表したかったのだが96年当初からギャラリーの関心が低く、エドワード・ウェストン以来の、写真らしいモティーフをゼラチンシルバーで多角的に表現し、忘れていた本来の表現を思い起こさせるシリーズだと考えているのだが、今回やっとかなり煮詰めた上で、幅広いモティーフから、完成させる運びとなった。

昨夜、珍しく作業場で酒を飲みながら眠ってしまった私は、夜明け前に気がついて、ちゃんと休もうと思った瞬間に激しい地震が在り、何か、この世に存在している物が全てはかなく思えて、このポートフォリオを早く完成させなければならないと思ったのである。子供じみた話なのだが、、、


2/15 ギャラリーとマットのサイズについて何度かメールでやり取りをする。すっかり忘れていたのだが、ガラスレスで展示する為ブックマットは使えない。良くある事だがマットと写真の間に隙間が広がる事があり見栄えが良く無い。額そのものを見てみないと解らないが、縁の部分のマージンも結構大きい事が想像できる。

いつも当たり前のように進めている作業でも、それぞれの現場を確認していないと要領を得ない部分がある。当たり前のようにガラスや低反射アクリルを入れて展示しているのだが、私自身80年ごろの作品はガラスを入れると一気に見栄えが悪くなって随分悩んだ事がある。

プラチナプリントを多く扱うギャラリーであればなおさらで、作品の重要な要素である紙の質感を失ってしまいかねない。最近はあまり黒のデティールを残さないで仕上げるのだが、グレードペーパーが主流だった頃はその領域の美しさを出す為に随分工夫していたのでガラスを入れる事はとても辛かった。

現在では逆にガラスを入れた状態を想定して仕上げているような感じであるが、写り込みが無いだけでも、展示全体はきっと引き立って見える事だろう。もちろん湿度や酸の影響など気にならない訳では無いのだが、見せる為のプリントであれば、見栄えこそがすべてで在る。

マットのサイズを決めかねていたので、別の新作のフィニッシュワークに取り掛かった。これは自然界の被写体を扱ったシリーズでかなり抽象的な要素が強い。プリントを撰んでいたらホイットマンの「草の葉」が読みたくなり押し入れの中を探したのだが見つからない。気になって近所の本屋に出掛けたらなんと、上中下3巻の中、気になっていた上巻のみが売り切れで、結局渋谷迄買いに出かける事になった。

ふと目についた書店のひら積みの中で、廃虚を扱った本の表紙が私の作品と同じ場所で撮られた物だったので少し中を覗いてみたのだが、何故人は廃虚に執着するのだろうか。私自身も被写体としての魅力だけで無く何か引き付けられる物は感じるのだが、きっとそれは人それぞれ。逆に言えば私のような写真を撮る人はあまりいないのだろうと思う。


2/14 午後から近々処分する事になったセカンドカーを個人売買の仲介業者に取材してもらった。日のあたる場所でゆっくり見ていると処分するのを躊躇ってしまいそうだが、駐車場の契約もあるのでこればかりは仕方が無い。日本では評価が低く、本国のイギリスに里帰りした車が多いという話も聞いた事がある。

車を撰び始めてから結構な時間を過ごし、購入してからも3年が経つ。あまり乗れなかった事が心残りでもあり、気持ちの中に一つの区切りをつけるきっかけにもなった。

早めに自宅に戻り、沢山のメールを書いた。NYのギャラリーにも連絡を取り、セレクトしていただいた作品の中で2点だけ変更したイメージがある事を知らせた。一点はやや似通ったイメージが多くなった事と他に使いたい写真があった事が理由だが、もう一点の方は、以前から今一つ納得できない微妙な作品である事が変更の理由である。

今一つ納得がいかないと言うのも変な話だが、撮影したのは88年、かなりの期待を込め、風の影響もあっていろいろなフィルムで沢山のネガを作っている。仕上がってみると妙ににバランスが悪い。コンタクトぐらいの大きさだと引き締まっているのだが、引き伸すと間が抜けてイメージがぼやけてしまう。

全てのネガに目を通したのだが、結局伸ばすのを断念してしまった。あるいは当時のフィルム処理では白の表現が不十分でそれが微妙に影響しているのかも知れない。

昨日出掛けたクラフト展のガラス作家の作品で、小さめのグラスがあるのだが、このグラスでいろいろな酒を飲んでみた。何か液体が入って完成する作品と言う考え方も出来るのだが、ガラスの場合はそれに加えて光の影響も非常に大きい。とても良いグラスだが、自然光に向いている。朝日と供に仕事を始めるクラフトマンには夜の時間は意外と短いのかも知れない。


2/13 夕方迄は昨日の続きで、マットボードを切ったり、ティッシュを切ったリと言う作業をだらだらと繰り返す。気持ち的には写真そのものに手をつけるのを先延ばしにしているような感じ。

昼頃にメールを出してあった現像所の営業から電話があり近況を聞く。以前はコマーシャル系のスタジオなどを相手に営業の仕事をしていたのだが、最近研究機関や学校などのデータベース関連の部署に移動になったらしい。デジカメの売り込みなども、コマーシャルと研究機関では随分先方の感触が違うらしい。

歴史的な文献などをデジタル化してデータベースにする仕事をサポートしているのだが、相手がお役所なので分かっているような、分かって無いような、、、、、広告と違ってスパンの長いマーケットだとは思うのだが、、、

夕方からはクラフト作家のグループ展に出掛け、三軒茶屋迄戻って遅く迄飲む。


2/12 マットボードをカットし、作品をドライマウントしようと思ったのだが、プリントをカッターマットに乗せてみると、数cmだがカッターマットのサイズが足りない。

マットボードなど大きな物のカットにはそれなりの大きなボードがあるのだが、プリントをカットしたり余分なティッシュを切り落とすにはそれ専用にきれいな状態を保っている傷のつきにくいカッターマットが必要である。僅か1インチだが、プリントのサイズを変えた事で今回はいろいろな出費を強いられる。

休日で込み合う渋谷の東急ハンズに出掛け、材質の良い大きめのマットを買ったのだが5000円程掛り、ほかにも必要そうな物もあったのだが、今回はこれだけで作業を乗り切る事にして自宅に戻った。

ドライマウント、写真のカット、オーバーマットは勿論、額装迄全て自分でこなしているのにはいろいろな理由があり、それぞれに独特な作業のノウハウがある。もちろん経費の削減の為に始めた事ではあるが、自分でやるからにはこだわって、、、と思っている内にいろいろなやり方を工夫するようになった。何度も失敗して身に付けたような作業のこつは、出来るだけ他の人にも伝えたい。

少しでも作業を記録して今後のサイト作りにも活かしたいと思うのだが写真を撮るのは結構な手間で、今回も何処迄記録できるかは未定だが、少しでも多く、分かりやすく、、、と思うとカッターマットぐらい新調しても良いか、、、


2/11 東京ドームで開かれているテーブルウェア・ショーに出かける。10時のオープンに合わせて出掛けたのに物凄い並び様で、いつもながら人気の程に驚かされる。

仕事柄、食にまつわる道具は出来るだけ目を通すようにしている。新しいコーディネートを見ておく事や、各メーカーの新製品を知識として持ち合わせていないと打ち合わせの時などに困ってしまうからである。

とは言っても、結局気に入ったブースを見ているだけでそれ程全般に目を通す訳では無い。込み合って来た昼頃には会場を出て銀座で食事をしてから自宅に戻る。

夕方になって買い物に出掛けたついでに、新しくデザイン事務所を立ち上げた友人のオフィスを訪ねた。恵比須の駅から歩いてすぐのビルの1階にありとても便利な所だった。丁度調子の悪いマックを修理に出す準備をしており、やはりこの機械には悩まされている。私のは奇跡的に調子が良いのだが、同時期に同じ物を買った人間が殆どトラブルに見回れているので他人事とは思えない。

フィニッシュワークに取り掛かりたいのだが、プリントが一枚に絞り込めない。未だ迷いがある。


2/10 近々売却する車を駐車場から出し、屋根の幌だけを少し洗った。古くなったとは言えベージュのキャンバス地はまだまだきれいだ。買い手が見つかったらゆっくりワックスを掛るつもりで今日は汚れのひどかった幌だけにした。

午後自宅に戻ってから恐ろしい虚脱感に襲われて少し横になった。プリントの作業が終了した事が未だからだの中に浸透していないような感覚。資料として出してあった100枚程の今迄の作品を少しづつケースに戻し、次の作業に取り掛かるように自分に言い聞かせるのだが何かが噛み合わず動き出せない。

全判で持ち帰ったミュージアムボードもサイズに合わせて切り出さなければならないのだが、作業台の上に乗せたままになっている。この連休が良く無い。失速させられた感じだ。

しばらくぶりに使えるようになった台所で餃子を焼いてビールで夕食。早い時間から風呂に入りぼんやりとキャプションの事を考える。ここ数日、良く無い夢を見る。


2/9 午後からマットボードの受け取りを兼ねてPGIへ川田喜久治の作品展「地図」を見に行く。本来どう考えてもゼラチンシルバーで見せるべきモチーフだが、数十年の歳月と歴史的な意味合いは観賞用のプラチナプリントにそれ程の抵抗を感じさせなくしてくれる。今となっては表現域やエネルギー云々では無く、それそのものが一つのモニュメントになってしまったのか。

また、今回のプラチナプリントは非常に質が良い。テーマを上手く再現している。プリンターもここ迄仕上げれば自分の作品のような錯角を感じてしまうのでは無いだろうか。

人を引き付けるエネルギー。テーマそのものが少しづつ増幅し続けているのが興味深い。

一枚の写真。最近私は一枚で全てを表現し完結している物に憧れる。昔はシークエンスの概念が自分のイメージを増幅してくれると思っていたのだが、それとはまた別の、ただ一枚で完結している作品もある。多くの表現や多角的な意味合いがあるのかと言えばそうでは無い、逆に、何か一つだけが何処迄も輝いている。


2/8 昨日のプリントのフラットニングの後全てのプリントをチェック。暗室を含めいろいろな所の片付けに取り掛かる。これからしばらくはフィニッシュの作業で、それ程集中して時間を取られる事も無い。

夕方から最近新しく出来たギャラリーを廻り四谷のルーにーでオープニングパーティー。初対面の人でも私のHPを見てくれているとつい、話し込んでしまう。遅れているコンテンツも今度の展覧会が落ち着いたら取り掛かりたい。

作業中資料の為にデジカメで写真は残してあるのだが、集中した作業だと余裕が無くてそこまで手が廻らない。どう言う写真が必要かと言う事も作業中だとかえって解らなかったりする。

会場でお会いした大手印画紙、フィルムメーカの方といろいろな話をした。バライタペーパーの支持体を製造するメーカーが世界的に見て一社しか無い事が現在とても不安な状態だと言う事、現在何処のメーカーでも低感度フィルムの製造を中止している事、その為、M.ケンナですらアクロスに移項するらしいと言う話などなど。

今回イルフォードしか紙が手に入らなかった背景にはいろいろな事情があった事も感じた。写真の美しさを知らない人が多すぎる。それは作家にも問題がある事だから何とも言えないのだが、、、


2/7 遅れていた予定を取りかえし、ブローニーの全てのカットを今日一日でプリントした。今回の展覧会の作品は、これで全て終了し、明日全てをチェックした上で、暗室を片付ける。

2、3日掛るかと思っていたブローニーのプリントだが、いろいろなトラブルにもめげず、一日で全てを終了した。4x5と比べてこれほど楽だとは思いもよらなかったが、私のペースからすると到底一日で出来る量では無かったので、心身共にくたくたである。頭痛薬から風邪薬、アレルギーの薬迄、いろいろな薬を飲みながら、結局本当に必要だったのはどの薬だかわからない。

去年からいろいろな作品の為に、暗室にこもっていたのだが、これで一段落。次はドライマウントやスポッティングに取り掛かる。少しは仕事もしなければ、、、、本当に破産してしまう。


2/6 最近音楽を聞くようになった。学生の頃はいつも音楽と供に暮らし、聞かない時が無いくらいだったが、最近はあまり意識する事も無く、手軽になった事が裏目に出ているように感じていた。

プリント作業の露光中などは、流石に集中しているので聞こうとは思わないが、朝のフラットニングの作業中など、気持ちが楽になり疲れが軽くなるように感じる。聞く曲はバロックが殆どで、恐らくバッハだけでも選曲に不自由する事は無い。無伴奏からカンタータ迄今の気持ちなら十分満たされる。

今日のイメージを最後に4x5のプリントは全て終了。明日からは120のサイズに取り掛かる。点数はそれ程無いので、2、3日で終了する予定だ。明日からのネガをチェックし、ブローニーのデリケートなフィルムに少し恐怖は感じるのだが、何度か伸ばした物ばかりと言うことでそれ程神経質になる事は無いのかも知れない。いつもニュートンリングに悩まされる。

流石に6x6のフィルムにマスキングする事は無いので作業行程は楽になるのだが、かなり久しぶりに伸ばす物もあり、当時のデータは、今は無いコダックのエリートでプリントした時の物だったりするので幾らかの不安はある。

昔はありとあらゆる紙を試し、それぞれの仕上りに一喜一憂していた。今は出来るだけ他の紙は使わないが、さらなる表現の可能性を求めていない訳では無い。違う紙ならばもっとすばらしく仕上げる事が出来た物もあるかも知れないが、それは恐らく私の気持ちの中だけの事。ギャラリーに展示してしまえばどれがどの紙などと、それ程気になる物では無い。

恐らくそれ以前の、どう伸ばすかと言う選択肢を、より多く一つの紙で試してみる事が今の私の課題だと思う。低下した技術レベルをまず取り戻し、ネガと紙のコントラストとのコンビネーションをパーフェクトに把握できるようになりたい。私だけで無く、誰かに伝えられる技術。本来はここに何か敢然なセオリーがあるはずである。


2/5 今朝も昨日のやり直しから始める事になる。フラットニングを済ませてみたら、ハイライトの質感が気に入らない。ドライダウント言う言葉や数字の問題を超えて、紙の白そのものが良く分からない。

昔にくらべるとイルフォードの紙も随分白くなった。かなり青みのある増白材が使われているのか、昔のプリントとはかなり違った印象になる。私の気のせいだとは思えない。昨日のプリントだが、取りあえずアグファの紙でやり直し、かなり長い時間を浪費した。ただ、紙の光沢や紙質そのものは、16x20で使ったロットよりも感触は良い。

2点目に取り掛かったイメージは当時のデータがとても正確で、各露光のニュアンスがとても良く記録されている。僅かな調整だけで取りあえず仕上げる事が出来、記録の重要性を感じる。行程そのものも、恐らく何度も試行錯誤し、完成された物なのだろう。あまりあっさり仕上がってしまった物だから、手を加えたバリエーションとして、部分的にフラッシングを加えた物をプリントした。結果は良いようだが、例によって明日にならないとわからない。

3点目に取り掛かったイメージは2002年に一度展覧会に使った物だが、今回はサイズを変えてかなり小さいプリントに挑戦する。このイメージは難しく、表現そのものを考え直さなければならないのか、、、。結果は全て明日。

進んでは、その分だけ後ろにさがる毎日。自分の実力に失望も感じるのだが、打つ手が無い訳では無い。写真三昧の日々も楽では無い。


2/4 昨日のネガから始め、他に2点を仕上げる。ハードな一日だった。今回の個展の作品はいろいろなジャンルのいろいろなタイプのネガから構成されているので、作業の手順もいつもとは微妙に違っている。最終的に、ブロニーの物を何点か伸ばして終了する予定なので、しばらくしたら作業はまた大きく変わってしまう。

一日中外に出ずにプリントを続けながら、車を売却する決心をした。この車両を購入してから未だ3年だが、今の自分には乗ってやるだけの余裕が無い。イギリス車は動かしてやらないと痛みも激しい。自分の中の唯一のゆとりと考えていたのだが、今回の展覧会そのものをゆとりとして受け止め、全力を尽くしたい。

自分の気持ちがこれで楽になるのか、苦しくなるのかは分からないが、気持ちを切り替える良いきっかけだと考える事にした。どんな時でもあの車を維持していることで、他人に対して寛容になれたのも事実であるが、毎日をプリントに明け暮れる私では、何が余裕なのかは自分でも分からない。

今回のNYの個展がどうこうと言う事では無いが、毎日ただプリントだけを進める自分が馬鹿げて思える時もある。当たりのない宝くじを、全財産で買い漁っているような幻想を感じる。

ただ、今のままではダメである。技術も感性も、何か確信を得ていない。人に伝える事が出来ないまま幼稚な創作を続けている事そのものが耐えられない。


2/3 プリントに取り掛かり3点を手掛けたが、3点目は途中で断念してしまった。上手く頭の中が切り替わらない事と、視力が低下し、プリントのニュアンスが把握できない。

風邪の症状が悪化し、薬を飲んでいる事もあるのだが、3点のイメージを一日に把握する事は難しい。特に最近手掛けている物は私のセレクトではないので、いろいろな物を入れ代わり手掛けなければならない。テーマの違う映画を3本続けて見なければならないような感覚だ。

印画紙のサイズが小さくなり。作業が楽になるかと思ったのだが、最初はかえって感覚が掴めずに、無駄な時間を過ごしてしまった。小さいから楽と言う物でも無いらしい。ケミカルのプロセスそのものはかなり楽になったのだが、プリントの判断になると、大きい物を見る事に慣れていたせいで、質感の具合、像の滲み具合など、妙に神経質に拡大してチェックしてしまう。プリントを見る時の距離や角度と言う物がこれ程シビアな物だとは今迄考えていなかった。

視力に関しても以前よりも酷使しているように感じる。ネガのマスクを1時間近くチェックしていたせいで、しばらくは何も見えなくなってしまった。複数のイメージを手掛けているせいで、自分では気付かずに、かなり無理をしているのかも知れない。

久しぶりに90年のネガを手掛け、フィルムがアグファの25で懐かしく思った。珍しくPOTAで処理した物で20分の現像時間にも関わらずそこそこのガンマを保っている。思い出してみるとこのカット辺りからこういう使い方を始めたように思う。テクニカルパンに移項する前の処理ではあるが、ショートスケールのフィルムは意外と似ている物だと感心した。これからはそう言うフィルムも使えないと思うと妙に寂しくなった。何かかわりになる物は無いのだろうか。

いつに無く神経質にマスクをチェックし、細かい作業のせいで殆ど視力が取り戻せない。頭痛もひどく濡れた状態のプリントを見ていると頭が痛くなって来る。最後の一点は、明日始めからやり直そう。


2/2 午後から作業。午前中は昨日の仕上りのチェックなどでスタジオで過ごす。先日迄作業していた大きなプリントが終了し、いろいろな道具を入れ替えて小さいサイズのプリントの準備を進める。

大型のバキュームのイーゼルを使わないだけでも作業が楽になる。バットもかなり小さく全ての薬品を並べておけるので効率が良い。露光の行程そのものは時間が短くなるだけで変わらないが、何とか明日からは2、3点のペースで進めたい。

昨日から調子の良く無いインクジェットのプリンターだが、今日もマスクを作っていてトラブルが発生した。騙し騙し使っているのだが、傷がつく事が多く、早く何とかしなければならない。今日は明日プリントするネガのハイライトマスクも製作した。プリントサイズが変わった事でマスクのボカシ具合も変わり、しばらくは試行錯誤が続きそうだ。

それにしても今日は寒かった。部屋の中迄北風が吹き込んで来るようで、室温が20度迄なかなか上がらない。昨日一日外出していた事で、部屋の温度が低い事も影響しているのだが、今夜は暗室のエアコンを入れたままで休み、明日の作業に備える。


2/1 久しぶりにスタジオで撮影。変な話だが暗室にこもって作業をする事が続いていると妙に人に会うのが嬉しかったりする。昼食も、誰かととるのは久しぶりだ。午前中から午後一杯。途中納品にバイク便を手配する予定でいたのだが、スタジオに取りに来てもらう事になり梱包の手間が無くなった。

今日納品したこのインデックスは、昨夜スキャニングから出力迄済ませた物で、夜中になってからの作業だったのだが、途中インクジェットプリンターが壊れると言うハプニングが在り、一時はどうなる事かと思ったが、手をインクまみれにして何とか修理を完了し間に合わせた物である。

インクジェットのプリンターも2年も使っているともう限界だ。数千枚を出力している訳で分解してみると内部はぼろぼろ。来週ぐらいには新しい顔料の物を導入しなければならないだろう。この状態では仕事で使うのは不安である。

夕方から、知人から連絡をもらっていたカメラメーカーの写真部の作品展と言う何とも穏やかなイベントに顔を出したのだが、写真部と言う仕切りの中にも様々な作品が在り、写真と言う物に向かい合う様々な立場を垣間見る事が出来た。写真部とは何か原点であり、そして完結している場合も在るのである。

言葉の意味は違うのかも知れないが私は中学も、高校も写真部で、しかも両方とも部長だった経験を持つ。当時の部員の中から写真家になった人はいないと思うのだが、また、この写真展の中から写真家になる人もいないと考えれば、写真を見る立場も変わって来る。皆、この世界を自由に楽しみ、自分それぞれの生活に何かをプラスして生きている。

会場を終えてから、出品者のグループと飲みに行く機会がありカメラそのものの作る事の難しさを直に感じ取るいろいろな話を聞いた。写真家がカメラのことに関心を持つ以上に、きっと彼らは写真に対して関心を持っているのだろうと思う。

最初に在る物は意外にハードなのかも知れない。カメラと言う機械の中に夢を見た少年の頃の私がここにいる。作る物は変わってもそのきっかけは未だ、どこかで生きている。


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