2月以前
作者近況 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月

1/31 良く働いたと納得する一日。午前中は月末の経理の処理にスタジオに出掛け、午後からは昨日チェックしたメインのイメージの再プリントに掛る。深夜になってからは先日頼まれた建築の撮影のインデックスを製作する。

ここ姑く考え続けていた展覧会のメインイメージは、やはりプリントしなおす事にした。今なら未だ試してみる時間が有る。

まずは予備のネガをプリントし、どちらがマスキングに向いているかをチェックする。その後スキャニングしてコンピューターに取り込んだ後、ハイライトだけのマスクをフォトショップで作るのだが、これがけっこう時間が掛る。その後それを出力したマスクをセットしてプリントするのだが、ハイライトのボケマスクだからそれほど神経質な作業では無い。

ただ、数学的演算や、行程そのものは多く、昼に始めてもプリントに取り掛かるのは夕方だ。夜遅くプリントは終了し明日の乾燥を待って結論を出す。

ただ淡々と作業を進めたのだが、今見て結果が良くても、光が変わってしまうと分からない。結局前の物と変わらないような気もする。以前であれば、かなりのリスクを承知した上でネガそのものを補力などしていた訳だから、簡単な作業だと言えない事も無いが、無駄な場合が多い事も事実である。

一枚の写真。その一枚を仕上げる為に、ありとあらゆるプロセスを試す。その中で自分のスタンスが維持できるように感じる。勿論自分の中に在る選択肢など僅かな物だとは思うのだが、何とかその感動を、その衝動を形にしたい。

これで本当に今回の16x20のプリントは終了である。明後日からは、11x14の作品に取り掛かる。

深夜になって、先日の建築写真のネガをスキャニングしインデックスを出力する。ネガフィルムは8本で結構な量だ。何よりも、適当なプリントで良いので早く欲しいと言う、曖昧な対応が耐えられない。材料費だけは請求しなければ、、、知り合いで無ければ断ってしまうのだが、、、、


1/30 昨日のプリントをチェックしたのだが、やはりドライダウンが多すぎる。余裕を持って10%迄仕上げておいたのだが、グレードも変えた方が良かったような感触だ。最近は朝見た状態で前日のプリントをやり直す事が続いれいるがやはりこれもやり直したい。

一つの作品にあまりに長い時間を掛け、多くの紙を無駄にしていると、少しづつ気持ちも滅入って来てる。昼前に少し外に出て、散歩しながら対応を考える事にした。30分程近所を車でひとまわり。駐車場の家賃を払いに行った序でに車を動かしてみた。

僅か30分だったがなんだか気持ちは軽くなり、昨日のリプリントも何とかこなせそうに思えて来る。例によってドライダウンで質感が変化してしまうので、結果は明日にならないと分からない。良い結果を夢見ている。

今日手掛けた作品は、一応大きいプリント、16x20の最後の作品にあたる。このイメージでやっと12点。NYの個展の作品のほぼ半分をプリントした事になる。メインの作品をやり直すと言う作業が残っているが、それは明日、明るい状態で全てを並べて判断したい。今日見てみると、このまま使った方が良いような感触も有る。ダメなら明日やり直す。

ここ2、3日のプリントは比較的行程が単純な物が多かった。あく迄比較的、と言う物で処理そのものは結構大変。ただ露光時間が短いだけでも随分いろいろな方法を試してみる事が出来る。少し幸福な気持ちも味わえた。

写真で無ければ出来ない事。特ににゼラチンシルバーはあらゆる表現の頂点であり他のオルタネイティブな技法とは一線を隔する。無機質な白は他の技法では出す事の出来ない表現域である。その中で知覚としての光が再現され、フォルムは力強く、堆積した様々な概念を打ち砕く。


1/29 昨夜、予備のネガのアクロスからプリントしてみたのだが、今朝見てみると意外と結果が良い。このイメージは2001年に撮影した物でTマックスからアクロスに移行する頃だった為、予備としてTマックスのネガも存在する。

時間は無いのだが、今なら貴重な比較体験が出来るのでTマックスのネガもプリントしてみる事にした。最も標準的なガンマの物で、ペーパーグレードは2.1/2、当たり前のネガである。例によって見た目も冴えないが、これも意外と良い結果である。マルチグレードのハイコントラストは意外な濃度域で、質感が圧縮されるようだ。

新しいネガの作り方を考える。全てはちょっとした経験から生み出される物だ。ある部分が美しければ、それを生かせる方法を考えて行く。これからが楽しみだ。

昨日に引き続き、新しいイメージもテクニカルパンのメインネガを避けて、アクロスでプリントする。このネガに関しては以前から考えていた事なのだが仕上りはまったく別のイメージである。新しいイメージに生まれ変わって行く。どちらが良いかは明日の判断になるが、今の段階ではこちらの方が力強くてゼラチンシルバーには向いているように感じる。以前のプリントはもっと絵画的だ。

写真を始めて長い歳月が経つが、私にとって重要なのはモチーフだ。被写体との出会いがそれを生み出し、いろいろな表現が生まれて来る。発見が無ければ作る喜びなどあり得ない。印画紙の中で遥かな荒野を今、ここに呼び戻す。


1/28 先日の建築写真のネガフィルムが仕上がって取りに出掛けなければならない。朝から作業を始めたかったのだが、中途半端に昼頃の時間を奪われた感じだ。ネガの仕上りはまずまずでこれからの処理を考える。スキャニングに出せば経費だけで10万近く掛ってしまう。以前頼まれた時は結局値切られて赤字になってしまったが今回はどうした物か、、、

違う現像所に出向いたついでに昨年、製造が中止になったテクニカルパンの在庫を注文しようと連絡を取ってもらったのだが、国内の販売店は、あっさり全ての受注を中止しており、もう手に入らないと告げられてしまった。海外のサイトには8x10なども未だ在庫が出回っている訳だし、ディーラーの対応はいつもこんな物かと諦めるしかない。

このフィルムと出会ってから10数年の歳月だが、当初はエスターベースと言う事で注文したのが、いざ届いてみるとエスターシックベースになっており喜んだのを覚えている。そのせいでひと箱は50枚から25枚になり、注文し易くなっていた。その後ふたたび50枚入りになり、ミニマムの10箱を頼んでも15万円程掛ってしまう。金欠病で注文しそびれていた事が仇になってしまった。

92年から使い始め、やっと使い方が飲み込めた頃に製造中止である。長かったようで短く、もっといろいろな使い方をしてみれば良かったと今から思ってみても仕方が無い。思えばアグファパン25が発売中止になり、その代換えにやっと見つけたフィルムだった。

ショートスケールを上手く再現できるフィルムはなかなか見つからない。ハイコントラストタイプのシートフィルムはもうほとんど作られていない。ネガの作り方を大きく変える時がやって来たのを感じる。辛い事だが、これを乗り越えなければ写真を続けて行く事は出来ない。

取りあえず、手許に在庫の有る内に、代換えの処方を考えつかなければならない。ただのショートスケールならばアクロスを上手くコントロールする事が出来る。問題はロングスケールで中間のコントラストのみを維持したい場合である。これに関しては、もはやフィルムで無くて、印画紙をコントロールする方が、実現性が高いかも知れない。テクニカルパンはいろいろな意味で不思議なフィルムだった。私自身、使いこなしていたとは言えないと思う。

そのような事情とタイミングも良かったのだが、昨日メインのネガとアクロスと両方のネガからプリントした。結果的にはそれぞれ特徴は有るのだが、私がテクニカルパンの方が良いと思って撰んでいたイメージもアクロスの方が優れている場合も有るようだ。ネガそのものの美しさに気を取られて、ついダイナミックレンジの高いネガでプリントしてしまうのだが、必ずしも結果が良いとは限らない。

いろいろな事が頭の中を渦巻いているのだが、今日も、メインのネガが終わってから、アクロスの予備のネガでプリントしてみた。これは普通のショートスケールだが結果は非常に良い。以前からTマックスのネガは、何を伸ばしてもどうもピンと来ないのだが、ほとんど同じキャリブレーションデータなのに、これは少し違っている。久しぶりに一枚のイメージに数十枚の印画紙を使った。夜が明ける前に休みたい。


1/27 昨日の疲れが足に来て、作業をしていても動きが悪く、いろいろな所にぶつかってしまう。暗室の中では感覚だけで作業をしているので、身体が動いていない分だけ、感覚にギャップがあるからだろう。痣ばかり作ってしまう。

以前プリントした時のデータが不十分で、模索しながら仕上げるイメージを処理したのだが、当時のデータの脇には「ドライダウンはほとんど無い」と書いてあり、その部分だけは何か記憶にも残っているので信用して作業を進める事にした。ハイライト中心の画像では珍しい事だ。

以前仕上げた時も何か今一つなように感じていたのだが、どのように改善できるかと言うあてが有る訳では無い。今回は時間だけは十分有るのでいろな方法を試して見ることにする。

一通り技巧的に試して見て一応作品そのものは仕上がったのだが、今日はこの作品一点だけを処理する予定なので、もう一枚存在する別のフィルムを使ったプリントも試してみる事にした。

メインのネガはTP4415だが、風の強い現場だったので、予備にネオパンアクロスで撮影した物が有る。TPはD96の2倍希釈で現像し、アクロスはD96の源液で処理されている。ショートスケールには有効な処理でどちらもネガとしては美しい。

印画紙のグレードが細かく調整できるようになった為、かなりガンマの違うネガからも同じようなプリントを簡単に作る事ができる。TPを使っている時は最高濃度が高く設定されているので、低いグレードのフィルターを使うのだが、アクロスは通常のガンマと濃度域なので、ノーマルなグレードでプリントする事になる。

風などに因る画面自体の水面の状態などの違いは有るのだが、2種類のプリントはほとんど同じ調子に仕上がっている。何か質感の中に違いが有るのだが、乾燥してみないと特定する事は出来ない。コントラストフィルターのグレードは2号の違いが有り、露光時間は丁度半分になる。何か、雰囲気のような物が違うのだが、何処がと言うと特定できない。

まだまだ自分の技術の中には不確定な部分が多い。これが良いと思ってどちらかの方法を撰んでいるのだが、その理由を問われたらきっと返事に困ってしまうだろう。

コンクリートなどは特に質感の描写が難しい。たとえば視力の違いでも随分違って見えるだろうし、ボケているかピントが合っているかだけでまったく別の表現になってしまう。ベストな方法を人に掲示する迄にはまだまだと言った感じだ。


1/26 早朝は雨だった天候は千葉の現場に向う途中に本格的な雪になった。建築物の撮影なので天候は最も重要である。幸い天気予報どうり午後には晴れ間が見えるようになったが、冷え込む一日に現場では結構辛い時間を過ごした。

独立する迄の10年程の間にいろいろな仕事を経験した。ファッションのカメラマンのアシスタントをしていた事も有れば、料理や、いろいろなスタジオにもいたし、建築写真専門の会社、週刊誌、、、、写真である事には変わり無いが、多くのカメラマンの助手を勤め、またありとあらゆる物を撮った。

取材ばかりで地方に出向いていた頃は、他のスタッフには知られないように朝早くから他の場所に撮影に行き、当時は流行っていたレンタルフォトに沢山のポジを預けていた。生活費と独立資金、創作活動の資金も、今と違ってCBプリントの自家処理をしていたせいで莫大な費用が必要だった。

建築の現場に入るとそんな昔を思い出す。引き渡し前の現場は空調も入っていない上にはだしで歩くのでとても寒かった。筑波の万博の頃はいろいろなパビリオンの現場で撮影が多く今でも筑波と言うと寒い気がして尻込みしてしまう。あれから20年以上経ったが自分の創作へのスタンスは変わらない。当時も行帰りの車の中では展覧会の為に手掛けているプリントの事ばかり考えていた。

ふと今日思いついたのだが、先日仕上げたメインイメージのプリントだが、どうせやり直すのならハイライトにデジタルのマスクを掛けて見てはどうだろうか。モチーフに強いイメージが有るとは言え、仕上りがチープなのはどうしても耐えられない。技巧的にも他を圧倒する何かを作品の中に盛り込みたい。

20年の歳月で、思いつく技法はまったく別の物になったのだが自分の考えている事があまりにも昔と似通っていて、車の中で少し笑った。当時は2浴の自家処方で現像したり、、、、、手間ばかり掛った。

スタジオに戻った後、仕上り急ぐクライアントの指示で、渋谷の現像所迄電車で出掛けたのだが、酒屋によって、コニャックを1本買った。当時の筑波のロケで、気に入らない社長の部屋から盗み出して飲んだ思い出の有るカミュである。当時は本当にこの酒は私が飲むべきだと思った。


1/25 明日は久しぶりに撮影が入っており、機材の準備の為に午前中はスタジオで過ごす。明日のフィルムなどを用意する為渋谷を経由し、現像液などの補充品をついでに購入し、昼を過ぎた頃自宅に戻る。

ここしばらくはプリント作業が詰まっているので細かい撮影は他の人に替わってもらっているのだが、明日の撮影はどうしてもと言う事で作業を中断する事にした。しかし、そう言って無理を言う知り合いに限って、撮影日を延期してくれとか、中途半端に責任感が無く、今回も20日の予定をキャンセルされた経緯が有る。

午後からやっとプリントに取り掛かったのだが、昨日の片付けなど一連の作業を済ませると4時を過ぎてしまう。それからやっと始めたのだから一点仕上げるのがやっとである。明日の朝が早い事を考えて、早めに済まそうと努力した為、何とか8時前に最終行程のトーニングに入ったのだが、壁に取り付けてあったタイマーが吸盤が剥がれてプリントの上に落下すると言うハプニングが有り、全てが振り出しに戻って作業をやり直す事になる。

一度事故などがあって失敗すると気持ちが動転しているせいでなかなか上手く行かない。今度は水洗のミキシングバルブの操作を間違えふたたび作品をダメにしてしまった。気を取り直して何とか仕上げたのだが昨日の2点を処理するよりも長い時間が掛ってしまった。早く切り上げようと思う心に隙が有ったのか。

確かに作業中明日の事を考えて、早く終わらせようと急いでいたのも事実である。作業そのものは良い流れで進んでいたのだが、早く終わったと、今日は早く休めると、、、思った瞬間に事故は起こった。


1/24 疲れて身体が動かない、毎日フラットニングや資料のチェック、記録などを済ませてから作業に入るのだが、それら全てにしても数時間は掛る。

プリントに入ると数多くの行程が休み無く続く為数時間は座る事も出来ない。詰まって来たスケジュールを考えるとかなり無理をしてでも2点の作品を手掛けなければならない。一日に2点を手掛けている事が結局やり直す事になって無駄になる事も考えられるのだが、気持ちだけは焦っていて慌ただしく動いている方が心の平成は保たれているように感じる。

少しづつ改良しながら一枚の印画紙をプリントして行く訳だが、たとえば10枚目に満足の行く物ができる迄には、だいたい5時間以上は作業に掛かり切りになる。それがオーケーであればそれから調色や乾燥に向けて更に処理を進める訳だから、2点目の作品に取り掛かる時にはかなりの疲労で集中力も低下してしまうのである。

今日も2点目に仕上げた物は妙に自信が無い。こんな物なのかと言った、あやふやな感覚で終了し、結果は明日ゆっくり考える事にした。

イルフォードの紙は乾燥した時の質感が今一である。ギャラリーから展示にはガラスを使用しないと言う連絡が有り、本来ならば嬉しいのだが、紙を選べない事も有り、かえって荒の目立つ物も有りそうだ。メインイメージはやはり、やり直す事になりそうだ。


1/23 昨夜遅くギャラリーからセレクトの詳細が送られて来た。二つのグループに分けられており、10点程がそれぞれ撰ばれている。チェックしながらインデックスを作り、一応全体の雰囲気をつかめた所で夜が開けた。

少し眠った後、おおまかなプリントのプランをたてる。情緒的な物が全て排除されていて統一感が有る。90年代の私の好みを表現しているようでやる気が湧いて来る。突き放した感覚ですっきりと仕上げたい。興味の無いやつは見るな、と言った感覚だ。

とは言え、二つのグループと言うのには微妙な部分も有り、抽象的なパターンやフォルムのみを抽出したシリーズは、もう少し整理して、良い作品を探す必要が有るかも知れない。キーになる作品を最近の物にするかで少し考えそうだ。サイズに関しては作品のイメージに合わせて、これから振り分けて行く事になるが、全てが抽象的なので、サイズにこだわらずレイアウトする事が可能なように思える。

製作への気持が一気に加速したので、今日は気合いを入れて2点のイメージを仕上げる事にした。一点が比較的簡単な物だと言う事も有るのだが、流石にハードだった。息を抜く暇が無い。

以前のデータを調べながら7、8年ぶりにプリントするイメージで、当時の手の込んだ行程を一つづつクリアーして行く。ちょうど教本にそって書道をなぞって行くようでとても勉強になった。このネガをここ迄仕上げたのかと、我ながら感心させられる当時のデータである。90年代でこれなのだから、グレードペーパーだった80年代の作品を手掛ける気にならないのも妙に納得するのだが、その中にこそ、最近のプリント不調をなおすカギが有るのかも知れない。

一度完成させたイメージを仕上げて行くのは良い感覚だ。改良する事はあっても、其れ以下になる事は無い。昔、打ち込んだ杭を辿って岩山を登って行くような感じなのか。脇道にそれる試行錯誤をして、結局元に戻ってみたり、新しい道を見つけてみたり、、、


1/22 99年にメインのイメージで使った作品をプリント。気に入っている絵柄で作業をしていても気分が良い。ただ、最近の集中した作業のせいか、えらく疲れて体調も良く無い。この絵柄は非常にドライダウンの多いイメージで、いつも仕上げてみないと結果が分からず辛い思いをする。

NYのギャラリーからセレクトに関する連絡がないので、使いたいと思っている物の中から作業を進めていたのだが、大きな物を数点手掛けた所で、やっと連絡が有った。細かいリストはは明日になるようだが、基本的なコンセプトは何となく伝わって来る。自分でセレクトしているとつい、コンセプトとクォリティーで撰びがちなのだが、モチーフで撰んで来た事が納得できて良い感じだ。何処迄期待に添えるかは未だ分からないが、とにかく方向を定めて努力したい。

自分の作品を客観的に見る機会はあまり無い。特ににここ10年の作品を考えてみると、より多くのモチーフを独自のスタンスで取り込む事が課題だったように感じている。たとえば其れが風景、廃虚、静物、、、、なんであるかは自分にとっては大した違いは無く、どう接してどう表現されるかが重要である。

しかし、展覧会をするとなると、決まったコンセプトの中から似通ったイメージだけを選びだし、それぞれの展覧会の特有のイメージを作り上げなければならない。特に国内では技術的なトピックも必要で新しい特定のカラーのような物も考えなければならない。

そう言う意味からすると、今回の展覧会は随分自由である。自分で撰んでいると、つい、より多くの技量を表現しなければならないと思いがちなのだが、何も多くを見せる事は無い。一つの自分を表現できれば良いのである。

時間が無ければストックのプリントを使っても良い。本当に必要な物に、より多くの時間を注ぐべきだ。大きなサイズのプリントへ期待が膨らみ始めている。


1/21 トラブルに悩まされる辛い一日。画像のにじみがなかなか消えない。露光時間が20分をこえる為、いろいろな原因が考えられる。約10行程の露光のどこかで像がずれてしまっているような感じだ。

一日中いろいろな所をチェックして結局はっきりした原因が解らないまま、夜中頃、画像はシャープネスを取り戻した。とにかく露光時間の長い物は手間が掛るし、トラブルも多い。だが其れを考えた上でも濃度の高いネガ程、画像は美しい、、、、情報量が多いのだから当然とも言えるのだが。

昨日仕上げたメインのイメージについて考える。調色のセレンの濃度はやはりもう少し低く、3%以下が良いようだ。かなり抽象的なイメージなのでサイズの大きさでイメージが掴みにくく、部分的に不愉快な質感ばかりが見えて来る。本当に難しいイメージで、ガラスを通す迄最終的な結論が出そうにない感じである。光沢の在る印画紙が急にマットに見えて来たり、微妙な濃度のせいで技巧的にも貧弱に見える。

このイメージはしばらく時間をおいてから考えよう。今、あまり作り込んでしまうとせっかくの画面のエネルギーが失われてしまいそうだ。完成されていない荒削りの感覚を試してみたい。

像のにじみをチェックしていて困るのが最近の視力の低下である。撮影は視度を調整するので関係無いのだが、一日中暗室にこもっていると特定の距離しか肉眼ではピントが合わなくなって来る。レタッチの時に使う双眼式のスコープを使ってプリントをチェックしているのだが、倍率が高すぎてかえって細かい所が解りづらい。水中に在るプリントを拡大してみると言うような事は普通はあまりしないのかも知れない。いろいろな老眼鏡も試してみるのだが、これと言った方法が見つからない。年は取りたく無い物だ。


1/20 メインイメージに取り掛かる。あまり作り込まず、ネガの全ての部分を活かしたい。自分の気付いていない欠点も利点も全ての感覚を取り込んだ、そんなリアルでパワフルな仕上りを望んでいる。モチーフはすばらしい。

ゼラチンシルバーで無ければ決して表現する事の出来ないダイナミックレンジ。荒削りなのだが、全てが繊細だ。以前プリントした時よりも1/2グレード高いコントラストで仕上げた為一気に荒々しいイメージになる。この状態で、アクリルでは無く、ガラスが入ると丁度良いコントラストになるように感じるのだが、、、少し大きめのフレームで、、、、、押さえ込むのではなく、解き放つ感覚!

16x20インチの紙をフルサイズで処理しているのだが、かなり入念に準備を進めたせいで其れ程のストレスは感じない。其れよりも距離をおいて観察しても判断しにくいハイライトなど、大きさに因る、視覚的な問題や心理的な要素の方に悩まされる。自然光の入るギャラリーを考えてセレンの濃度を少し濃くしてみたのだが、この深い黒は判断を余計に難しくさせる。

水洗の温度は24度。水量は6L/は余裕で在る。これならば問題は無さそうだ。浄水器を通していない為細かい気泡が多く、常にプリントを撹拌しなければならない。イーゼルでの紙の平面性は申し分ない。

ラボの暗室であれば当たり前の事なのかも知れないが、個人で16x20のプリントをアーカイバルに仕上げる事はとても大変な事である。無駄な経費も多くかかる。もっと設備の良い暗室、、、私も以前組織に属し、今悩んでいる事が全て当たり前のようにクリアーされた暗室を使っていた事が在るのだが、その恩恵で何かを生み出せた記憶は少しも無い。

優れた設備や機材と言う物は本当は心の中に在る物なのか?


1/19 昨夜も酒を飲んでいないせいであまり眠る事も無く、朝早くから仕事を始める。9時には本番の指示を出したので、昼過ぎには全て仕上がり、納品に廻る事ができる。

時間を有効に使いいろいろな準備や段取りを進め、ネガのナンバーや過去のプリントのデータなどを空いている時間にチェックする。今回メインに使う作品にはかなりの思い入れが在るのだが、以前プリントした時と違う形でトライしてみたいのであえてプリントのサンプルは用意しない。他の作品に関しては以前の物を参考にしながら作業を進める事になる。

意識を集中する為できるだけ他の事は考えない。この作品は撮影した時のイメージが全てである。ここ数日間はこのネガのイメージに集中している。何かが乗り移るのを待っているような感覚。夜中迄、流しの周りの清掃。下水管のチェック。明日は久しぶりに一日中作業。


1/18 午前中からの撮影は順調で午後には終了し、現像所を廻った後東急ハンズへ向い、水洗器の接続用のホースなどを買って来る。他にもリキッドタイプのの薬品などを買ったので、今日も結構な荷物だ。

夕方には自宅に戻り、昨日製作した濾過用のフィルターケースを組み立てて早速水を通して流量のテストをする。最初はえらく水圧が低くフィルターの改造が必要かと思ったのだが、何と使用したフィルターそのものが詰まっている不良品でリフィルに交換するとかなりの水量、どうやら使えそうだ。

昼食に隣のステーキハウスでハンバーグを食べたのだが、昨日の夜からの胃痛が結構ひどい。食生活には気を使っているが、しばらくは自炊も出来ないので薬は欠かせない。

年内には何とか経済的な状態を回復し、暗室の移動に取り掛かりたい。夏にはエアコン、冬はボイラーと、故障だらけだったが、一気に全ての問題を解決したい。頭の中で発想だけは煮詰まりつつ在るのだが、オープンキッチンのような、明室と暗室を、カウンター越しに行き来できる不思議な空間を創るつもりである。キッチンと暗室の発想はとても似ているように感じる。


1/17 何もしていない訳では無いのだが人に話せる程の成果は上がらない2日間。ギャラリーから作品のセレクトに関する連絡を待っているのだが、明日からは撮影が入っており、作業を進める事は出来ない。

少し前に屋外のボイラーを交換したせいで、水洗の温度調節が難しくなり、大型の浄水器を通さずに、簡単なフィルターを自作する事になった。

最近急に水温が低くなり、お湯との混合で水洗作業を進めているのだが、10月に交換した屋外のボイラーが、浄水器の水圧では着火してくれないのである。水道や給湯の配管は古くなっており、塩素云々と言う以前に鉄粉の混入が多く、せっかくのプリントを変色させる場合が結構在る。活性炭も必要なのだが、少なくとも不織布のフィルターを通し、異物だけは除去しなければならない。

現在使用している浄水器は本体が4リットルぐらい容量が在り、活性炭に因る単純ろ過のものだが、これ程容量の在る装置でもかなりの水量が制限される。夏場であれば水圧による問題は無いのだが、冬場、ボイラーと混合栓を通し、水温を20度近くに保つには調整にかなりの手間が掛る。

何度か試してみたのだがボイラーが消えてしまったりして急な水温の変化を繰り返す事がさけられない。今回かなりの水量で大きな紙を処理する事を考えて、浄水器を通さずに簡単なフィルターを設置して、異物だけ除去する方法を取る事にした。

市販の蛇口用の浄水器のフィルターを使う事にしたのだが、本格的な物は透水量が少なくとても使い物にならない。簡易型のフィルターを何個か買い揃え、交換式でもっとも簡単な物を撰び、両方にパイプを付けられるカートリッジケースを自作して、水洗機の前に取り付けられるように加工する。

活性炭などと不織布を組み合わせた本当に簡単なフィルターなのだが、分解してみると両側に不織布、中心にかなり細かい活性炭とゼオライトのような物が入っている。かなり水圧は食われるのだが、浄水器程では無いので、水圧をかければかなりの水量を通す事が出来、水温も維持できそうで在る。

ケースを自作したガラス繊維が硬化しない為まだテストは出来ないのだが、何とか水圧に耐えてくれそうな感じで、流量も、6L/m以上在ればボイラーとのバランスで、20度前後の水温が維持できる予定で在る。


1/15 展覧会のセレクトが決まらないのを良い事に一日のんびりと自宅から一歩も出ずに過ごす。紙も揃った事だし、決まっている物から始められない訳では無いのだが、気が付けば昨日は誕生日で一つ年を取り少しのんびりしても良いような気持である。

このシーズンで始めてカキのパスタを作り、えびでカレーなども作ってみた。軽く炒めてみた芽キャベツが春めいてとても良い味だった。

年相応と言う感覚とは無縁なのだが、肉体は確実に衰えて行く。何を得なければならないかと言う事は、漠然と感じるのだが、ただ創る日々の中に在る物なのか。自分相応の作品、うぬぼれなのか憧れなのかは分からないが最高のイメージ、至高の物を生み出したい。


1/14 昨日の筋肉痛が本格化し意外にも肩や腕よりも足が痛いのだが、珍しく早足で階段を駆け上がったりしたからなのか。以前腰を傷めた時の長引き方が未だ記憶に新しいので、あまりハードな運動は慎んだ方が良いかも知れない。と言っても荷物を持って早く歩くぐらいだが、、、

現在はNYのギャラリーからセレクトに関するメールを待っている状態なのだが、たとえば全てが先方の意向道理に仕上げられるとは限らない。いろいろなプリント上の事情から特定のネガが、特定のサイズには不向きな場合も在る。先方のセレクトを基準に、不可能な部分の差し換えなども、これからメールでやり取りしなければならないと思っている。

そんなやり取りをしている間にもどんどん時間は無くなっていくのだが、今回のプリントは普通の展覧会のものよりも幾らか少ない時間で仕上げられるのでは、と考えている。本来早くても一日に一点がやっとなのだが、できればもう少し、小さい物であれば数点プリントする事も可能なように感じている。大きい物は処理の工程上一日に一つのイメージしか仕上げられないのだが、、、

早く作業に入らなければならない焦りも在るのだが、手の空いている時は出来るだけ気持をリラックスさせるように心掛けている。自分では意識していないのだが、ストレスからかとても嫌な夢を見える。私にとって最悪の夢は郷里の実家にいた頃の、緊張した辛い生活である。


1/13 午前中から神奈川と、東京の販売店を廻り、印画紙の在庫をかき集める。店頭で販売されている印画紙は破損している物が多くパッケージの状態で折れていそうな物は使えない。少しづつ買い揃えながら東京に戻り、山手線上をひとまわりする形で200枚程を揃え、昼過ぎにはスタジオに戻る。エマルジョンが3種類に渡っているのだが、それほど古い物では無さそうだ。

今回かなり沢山の量販店を廻っていて少しづつ販売店の傾向が見えて来た。写真学校の場所などが微妙に関係しておりどんなに狭い店でも近くに需要を抱えていると、かなり細かな薬品迄在庫していたりする。意外と普段出向く事のない池袋にかなり品揃えの良い店が在ったり、またどのような物が安定してそろえられているかなど、今後の作業環境に約に立ちそうな情報も収集できたと思う。

HP上で紹介するにしても、すぐに手に入る薬品なのか、と言う事が分かっていないと現実とかけ離れた処方などを紹介している事になりかねない。其れに加え、店員もケミカルの写真に対する知識は持っていないと思うので、薬品など在庫しても説明のしようが無いと言う事なのか。

私が写真を始めた頃は、写真屋と言う物が町のあちこちに存在していたから、薬品類と言う物も日常的に販売店でも見る事が出来たのだろう。今では写真学校などの課題でも無い限り、必要になる事が無いのかも知れない。

夕方からは都内のホテルで開かれた出版社の新年会に出席。珍しく景気の良いパーティーで今時の出版業界からは考えられない盛況振りだった。久しぶりに良い食事をした。重い印画紙を持ち歩いた午前中の重労働で肩と足が早くも痛み始めている。筋肉痛にしては早すぎるのでは?


1/12 夜になってネットで注文してあった16x20のイルフォードが出荷不可能とのの連絡が在った。1週間も待った挙げ句に今頃言われても対応のしようが無い。他の物は店頭からかき集めた物だから、振り出しに戻った気持で再び店頭の在庫をかき集める事になる。

サイズの大きい紙の場合、一度店頭に出た物は折れなどのダメージが在り、使えない物が多い。しかも其れが仕上げてみる迄分からなかったりするから尚更たちが悪い。先週店鋪を廻って他のサイズの紙を買い集めていた物だから、在庫の見当は付かなくも無いのだが、何処迄そろえられるか、エマルジョンのばらつきがどのくらい在るかなど気掛かりな事が多く憂鬱である。

今日やっと近くのショップでセールのジーンズを買い、暖かい気持になったのだが、夜にはこのメールで酒を飲んでも少しも酔いが廻らない。


1/11 午前中からの撮影が2時過ぎには終了し、現像所などを廻った後、細かい資材の注文に銀座のプロショップに出かける。昔からあまり印象の良い店では無いのだが、この業界ではここにに相談する事が一番の近道となる。

結果としては何も揃わなかったので、全てはメーカーに直接相談する事にしたのだが、この店に来る度に写真の将来に対して憂鬱になってしまう。30年近い付き合いでは在るのだが、客を撰んだ対応や、法外な値段の付け方がどうにも府に落ちない。

夕方前に納品がてら取引先に出向く事になったのだが、ミーティングのテーマは新年そうそう一割の経費の削減。不可能な事では無いのだが、具体的に煮詰めて初めて実現する話題のように感じる。

生活が切り詰まっている事も理由の一つだが、最近全てのジーンズが穴が開いていてとても寒い思いをしている。明日あたり時間を作って少し着る物を買いに出掛けた方が良さそうだ、余りにもボロい物ばかりで出かける時に困ってしまう。


1/10 少しづつ大きなプリントの準備に掛っている。薬品類も思わぬ物が多量に必要で取り寄せなければならなくなった物も在る。画像の最終的なPHを安定させる為に使っているアルカリ材の一つがなかなか手に入らない。いろいろな店を探し歩いたのだが結局わずかの量しか見つからず、明日もう一度銀座迄出かける事になりそうだ。

今回は大きな紙からサイズを切り出してプリントを始める必要が無いので、一つだけ行程が楽になる。16x20の印画紙がそのまま使えるようになった事で、かなり作業の効率が上がりそうだ。これはバキュームイーゼルのサイズや、バットなどの処理用具がひとまわり大きくなった事で改善された物で、このサイズを超えると又一気に道具のサイズが大きくなる。

恐らく今の暗室で作業をするのはこれが最後。今回の製作が終わったら夏頃迄には暗室を違う部屋に移動して作り直す予定である。新たな暗室の設計の為にも出来るだけ多くの情報を吸収しなければならない。

取り付ける流しの材質で色々と迷っている。コストを賭けずにに出来るだけぴったりの物を作るには、何を撰べば良いのだろうか。全てが揃うと言う巨大なホームセンターに一度出向いてみたい。業者の資料だけではどうにも具体的な世界が見えてこない。


1/9 朝早くから撮影やプランニングなど明日の分も含めて慌ただしく仕事を済ませたのだが、夕方からのスケジュールがドタキャンになった為時間が宙に浮いた一日である。明日の分の撮影迄朝早くから済ませてしまったので、明日は気になっている暗室作業を進める事が出来そうだ。自分を追い詰めているようで少し恐怖は感じるのだが、、、

展覧会のメインイメージの件でNYのギャラリーへメールの返事を出す。作品のセレクトについては、未だ結論は出ていないのだが、出来るだけ先方の希望を取り入れて、新しい事にチャレンジしてみたい気持も在る。自分なりの表現だけでは得る物が少ないように感じる。長い時間作品のインデックスを見て過ごす。久しぶりに自分自身の事だけを真剣に考えた。


1/8 昨日の片付けを午前中に済ませ、次の展覧会の為に材料の買い出しに出掛けなければならない。ネットや通販で頼める物は全て注文したのだが、特に印画紙、年末から品不足のイルフォードに関しては特定のサイズが2月中ごろ迄在庫切れなので、都内の販売店から在庫をかき集める形になる。

量販店を廻るスケジュールなので車で出掛けた方が効率が良さそうなのだが、範囲が広範囲である事や、場所が新宿など駐車場があまり便利で無いエリアが多いので、結局かなり大掛かりな荷物を運びながら、3回も自宅から電車で往復する事になってしまった。

今日運んだ物の中に24インチから20インチののバットが在るのだが、バットを新調するのは久しぶりで少し嬉しい気持になった。其れにしても電車で運べるのは10枚がやっとなので、それだけの為に暗室迄往復しなければならなかったのだが、、、、

リキッドタイプの薬品類はその都度そろえる事になるのだが、印画紙は揃っていないと落ち付かない。来週からは本格的にプリントを始める事になる。

私は以前、よく暗室で作業している夢を見た。夢の中では将来の事なのだが、不思議な事に作業している自分は感覚的には若く、その暗室は昔の鉄のサッシの窓が付いている学校の理科室のような古臭い作りになっていて、外には山間の大きな川が見下ろせている不思議な空間だ。古臭いダイアル式の電話が何故だかうるさく鳴っている。やっと取った受話器からは懐かしい誰かの話声が聞こえるのだが、かえす言葉が思いつかない。


1/7 一日中スタジオで広告の撮影。ある意味年度の始めには丁度良い緊張感を味わった。さほど難しくも無く、決して簡単では無い。7時前迄撮影を続け、終ってから私の自宅で新年会を開く。普段撮影で一緒に過ごしていても、メンバーが揃って食事をする事など一度も無く、偶然だが昨日急に全ての人のスケジュールが噛み合い集まる事となった。

客人は全てクライアントなので、接待と言う事になるのだが、格式ばった関係を好む人はいないので久しぶりに飲みながらの話でただ盛り上がると言う感じ。全ての取引先がこうであればきっと仕事も楽しくなると思う。撮影の後に自宅で食事と言うのはちょっとハードな気もしたのだが、逆に落ち着いて話が出来て、もっと頻繁にこういう機会が在っても良いような気がする。

TVのリハウスのCMで女の子が「友だちが呼べる家なら良い」と言うくだりが在るのだが、そんな気持とどれほどの違いも無いような、たわい無い感覚で、常に自宅で人と接する事を望んでいる。もちろんその自宅が山の頂上に在っても、海辺の奥まった入り江の先端に在っても同じ事だと思うのだが、気軽に何時も人が来てくれれば其れが一番の幸せだ。

去年多額の借金をしてこの家を買った時、自分1人で夢を築いてて行かなければ無らないと少し憂鬱な気持になったのだが、架空の城では無く、現実と向かい合う事が自分の生来の生き方であり、その中で新しいパートナーもまた生まれて来る物だと考えるようになった。楽園を求めている訳では無いし、楽園の住人から見れば私の生き方はきっと理解できないのだから。


1/6 年末に済ます事の出来無かった振り込みや、海外送金の為に銀行に出かける。中目黒の銀行ではあまりの対応の悪さに苦情を申し立てたのだが、いきなり対応が良くなってきみが悪いような感じである。年末に断られた細かい入金を込み合っていない年明けに出向き直したのに、断られるのは納得が行かないと言う話なのだが、、、今迄に増して日本の銀行が嫌いになってしまう。

海外送金などで渋谷の銀行にも出向いたのだが、こちらは外資系なのでいつもの事務的な対応なのだが、客として扱われている事がが感じられるだけ悪い気はしない。高い手数料を払っているのだから、物を買っていなくてもやっぱり客として扱ってもらいたい。

明日の撮影はロケを予定していたのだが、今日綿密な打ち合わせをした結果、全てスタジオで進める事になった。機材を運び出す手間は無くなったのだが、その分スタジオは入念に掃除をして準備を進めなければならなくなった。

明日は一日中スタジオで撮影する。少しづつ気持が切り替わって行くのを感じる。


1/5 今回プリントする予定だった最後の数点と、今迄仕上げた中で明らかに調子に不満の有る物をやり直す予定だったのだが、昨日新たに試したネガが使え無かった事を考えて、取りあえず今迄の全てのプリントをチェックして一通り整理してみる事にした。

最近の物でも数日前にかなり満足していた物が今日見ると随分フラットでつまらなく見えたりするのだが、何故そう言う事がとが起きるのかを多角的に検証する事もも必要だと思う。つまりその時は満足していても、たとえばその次にプリントした物が同じような被写体に対してもっと強いイメージ意を持っていたりすると、目が肥えると言うか、ある意味感性が鋭くなり、新たな結果を望むようになると言う事なのか。

去年1年プリントした全ての物を見渡して、明らかにやり直さなければならない物が結構有り、気分は少し憂鬱なのだが、、、ある意味「そうで無くて、こうなのだ」と言う、新たな結論が見えているのだと、希望的に受け止める事もできる。絶対視しているように見えても、感覚と言う物は日々変化している物だと感じられる。

今回手掛けたポートフォリオは取りあえず完成させ、展覧会の予定が決まってからもう一度全体像を見据えた上でプリントする事が望ましく、又より良い世界が見えて来るのでは無いのだろうか。マウントしてマットをかければ見え方も変わり、プリント出来無かったネガの事も新たな視点が見えて来るのでは無いのだろうか、、、かなり希望的な観測だが。

今日NYのギャラリーからメールで次の展覧会のメインのイメージに関する連絡が合った。私の好きな作品が候補に上がっていて嬉しく思う反面、今回始めて本格的にメインに仕上げてみようと思っていた作品なので、何処迄全体を表現できる作品になるかに少しの不安は有る。

来週からは展覧会の為に大きなプリントの準備に入る。年越しで作業をしていた事が、伏線として約に立てば良いのだが。今日は少しゆったり過ごし久しぶりに湯舟に浸かる。


1/4 80年代のアグファのネガを一点。他は同じ東北で撮ったPXPのネガを2点。それ意外に能登半島で2000年に撮った物や93年、99年の小笠原の母島のネガを試してみる。能登半島や、母島の物は全て使い物にならず、予想道理の結末だった。少しづつプリントの勘が戻って来てダメな物を判断するのも早くなった。

今さら考える事でも無いのだが、何年やっていても取り込む事のできない被写体と言う物は結構有る。其れとは別に、写ってはいても魂を感じない作品が沢山ある事も事実である。今日はその両方の失望を味わった。母島の森は、とても美しいネガなのだが、どれを伸ばしても根本的な表現が違っているし、能登半島の物は思い道理の調子なのだが、作品のコンセプトそのものが曖昧だ。

それ意外に最初に手掛けた北国の風景は現在の印画紙にレンジに近いようで、プリントその物は悪く無い。何処迄作り込めるかと言う事になると今のネガ程のクォリティーは臨めないのだが、満足と言うか、諦めの付く範囲のプリントに仕上がったのでは無いだろうか。

まだまだ撮らなければならない被写体は沢山有る。フィルムのレンジはコントロールできるのだが、仕上がって見ると印象はまるで違っている。感色性の違いなどに因る物だとは思うのだがフィルターだけではコントロールできない心理的な要素も多いのでは無いだろうか。

それら全ての最終的判断は暗室の中で下される。仕上りとの距離が近ければ近い程、進歩して行く速度も早くなるの。多くの物を撮り繰り返しプリントする。被写体の近くに住む事は画家と同じように写真家にも必要な事なのかも知れない。


1/3 昨日のプリントのフラットニングを終えてから薬局に風邪薬とマスクを買いに行く。途中エレベーターで一緒になった近所の人が富士山が良く見えると教えてくれた。マンションの屋上の普段見る事のない方角に誰かが作ったモニュメントのような富士山が見えている。

昨日に引き続き風景のイメージをプリントする。朝食に缶詰めのサムゲタンを暖めて食べ、風邪薬を飲んだのだが、やはり調子は良く無い。昨日手掛けていた89年のネガはそれなりの仕上りで、新たに取り組んだ2001年のネガはまずまずの仕上りである。あまり手掛ける事のない遠景のイメージはトーンの表現が掴みにくい。

昨夜体調不良のせいで結構早い時間に寝たのだが、夜中に目が覚めていろいろな事を考えた。なぜか北国に撮影に出掛けている時の車の中にいるような感覚で、寝袋の外は遥かな原野が広がっているような感覚を味わった。ここにいる事も撮影に出掛けて車の中で眠っている事も不思議と、素直な感覚で、同じ物なのでは無いかと思った。

未だプリントを楽しむと言う所迄は到達できない。もう少し技術を取り戻し、全ての表現が手の中に合ったなら、自分の作品の中を旅する事ができるのだが、、、


1/2 昨日迄手掛けていたシリーズを一点。他に以前から気に入っていた枯れ草のイメージを一つ。新しいシリーズの風景に取り掛かった所で急にアレルギーか風邪なのかは分からないが鼻炎の症状で作業が続けられなくなってしまった。

かなりひどいくしゃみと鼻水で作業が続けられない。薬を飲んでも症状は納まらず、9時を前にして後は明日に持ち越す事となる。やっと手掛ける事になった風景だが、今迄嗜好の合った展覧会を企画しなかったせいでかなりの作品がお蔵入りになっている。80年代の物からプリントし始めたのだが、当時のネガはアグファのフィルムに現像液の組み合わせも無理が有り、何処迄プリントできるかは自信の無い所。

昔のネガをプリントしていて思うのだが、80年代は時代的にバライタ印画紙の少なかった頃で、其れにくらべると銀量がどうこうと言う以前に随分プリントそのものは楽なように感じられる。印画用の2浴の現像液などを使っていた頃だからマルチイグレードになっただけでも随分楽である。勿論全てが其れですむ訳では無いが、手軽に調子だけは再現ずる事ができると思う。

一日中外に出る事も無く暗室で作業を続けていたのだが、午前中に花瓶の水を交換した。万年竹がさしてあるその花瓶の中にはここ数年間一匹だけ魚を飼っている。コケが無くなった花瓶のせいでいつもより魚が良く見えるようになった。私と最も長く暮らしているのは数cmのこの魚である。


1/1 中目黒の駅前の立ち食い蕎麦で朝食。かなり久しぶりに入ったような気がする。元旦を意識して散歩がてら出掛けてみたのだが、駅の周りは以外と人が多いように感じる。この土地で正月を迎えるのは初めてなので全てが意外で、又納得させられる事も多い。

昨日の作品のフラットニングを終わらせてトリミングを決定し、午後から再度プリントに挑戦する。今迄にない力強いフォルムが新鮮だ。昨日の物を2点、其れ以外は新しい物を数点試してみる。

古い物では92年のネガもキャリアに通してみる。いろいろなネガを見る事は新鮮でプリントへの感覚を取り戻すのに役立っているように感じる。印画紙の特性も直感的に判断できるような感覚を取り戻したい。

本当に少しづつなのだが、いろいろな被写体が自分のレパートリーの中に取り込まれて行くのを感じる。どんな物でも撮れる訳では無い。全ては撮った事の積み重ねである。紙の上に形にする事で始めて感性の中へ取り込まれて行く。


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