2月
作者近況 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 1月 12月 11月以前

10/30 午前中は昨日のフィルムの仕上りなどでスタジオに出掛けたのだが、昼前からは自宅でプリントの作業を進める。今日のネガは撮影時にはとてもエキサイティングなイメージだったのだが、プリントしてみると今一つ地味な仕上りになってしまう。

このネガの中に何か違った形でイメージが取り込まれているらしく、フォルムそのものはイメージどおりなのだが仕上げてみると躍動感が無い。いま思い当たるのはハイライトのデティールが上手く再現されていないからなのか?フィルムは現像ムラを避ける為フジのアクロスを使っている。

岩や砂など、自分の記憶の中にある被写体であれば再現牲に対して幾らか客観的な判断の基準がある。今手掛けている物は氷の中に出来た造形のリフレクションなので、感覚的にはフォトグラムのように直感だけが判断の基準となる。ある意味もっとも面白いのだが、なぜか最近はそれが創作の微妙な障害になっている。

取りあえずネガに忠実に仕上げ明日以降の判断を待つ。今回はそう言う物が多すぎる。例え全てをやり直す事になっても仕方の無い事と自分を許せる事が、今日の作業を支えている。

作業中にザ・ダークルームの斉藤さんからフィルムの2浴現像に就いての問い合わせが合った。私自身学生時代アンセルアダムスのテキストから試した事がある程度なので、何も答える事は出来ないのだが、当時の資料を探してみる事にする。

最近フィルムの再現性にあまり不満を感じ無いせいか、2浴の現像など考える事も無くなっていた。特定の被写体に対し、極度に執着する事が無くなったからなのか。ローカルなコントラストについては印画紙との組み合わせの方を重要に考えるようになった。8x10などを使う人にとっては確かに興味深い方法かも知れない。少し懐かしい気持ちになった。

昨日偶然道で逢った友人達と夕食をとる。彼らも今月から恵比須で新しいデザイン事務所を開業する。新しい生活を始める人達のエネルギーは傍にいるだけで、自分の追い風になる。


10/29 昼前に銀行に出掛け殆どの支払いを済ませる。月末なのだが、妙に空いていて不思議に感じる。駐車場の家賃を払った後久し振りの店で昼食に鳥ソバを食べる。前もそうだったが、口の中をやけどしてしまった。この店の物は何を食べてもとても熱い。

午前中打ち合わせの電話があり、撮影日のスケジュールがベトナムに出掛ける日とフルに重なってしまった。色々調整していたのだが今の自分にとって何が大事なのかと言う事になると、今回の旅行は中止した方が良いと言う結論になってしまった。物理的にもいろいろ無理が重なっている。

取りあえず断る電話を入れ、明日旅行会社の担当者にも電話を入れなければならない。かなり残念だが、今迄にもキャンセルした事が無いわけではない。チケットを探して調整してくれた友人達には本当に申し訳ない。ベトナムで撮る写真は私にとっては唯一のキャンディット。姑くはそのジャンルの作品が作れない事はとても残念だ。日本にいるとその手の写真は全く撮らない。

今日の撮影は午後から2カット。某企業の社内報の表紙を2ヶ月分だったのだが、いつもの撮影で慣れている立体作家の長谷川さんとのコンビなのでそれほど時間はかからない。合間に彼女の理想としている田舎暮しなどについて話を聞いた。気ままな旅や気の合う仲間達。彼女達の日常は本当に楽しそうだ。明日からもコミューンに関する仲間と郊外で集まるらしい。

いろいろな夢が殆ど無意味と思える空想の中を廻り、その中から僅かな奇跡を探している。決して子供っぽい空想やディレッタントのたわごとでは無いのだろう。何もしない人間など消えてしまえと叫びたくなる。

私の明日は何処にあるのだろう。離島での暮らしに見切りを付けて、昨日都内のマンションを買った。莫大な借金も明日へのエネルギーになるのだろうか。今の支えは明日のプリント。仕上げなければならない一枚を必ず完全な物にする。


10/28 昨日の撮影のテストをチェックして本番の指示を出す。昨日の片付けを進め、午後からは不動産屋で契約を済ませる。長らく滞っていたいろいろな物が動きだし、気持ちの引き締まる一日を感じる。

スタジオに戻り急ぎの見積もりを済ませた後、自宅に戻り昨日撮影したデジタルの処理をする。頼んであった印画紙が宅急便で届く。

夜になって近所の店に久し振りに顔を出す。気がつけば夏前から来ていない。顔ぶれは変わらないのですぐに打ち解けるのだが、一応挨拶代わりにイクラの醤油漬けを差し入れに持って出掛けた。

家のすぐ隣のような所に幾つもの店があり、いつでも顔を出す事が出来て、別に数カ月行かなくてもとやかく詮索される事はない。そんな都会の生活が私には向いているのかも知れない。久しぶりに遅く迄飲む。


10/27 10時前にスタジオに入り、撮影の準備。打ち合わせが不十分だったせいでデジタルなのかフィルムなのかも不明のままだ。両方の用意をしながら11時のスターとを待ち、実際にはデジタルに始まって4x5のフィルムで終了する。

昨日迄の作品は、未だフラットニングせずに乾燥したままの状態で保管。まとまってからゆっくり見てみたいと思う。週末にはまたプリントを再開する。初めて頼んだヨドバシカメラの通販からやっと印画紙を発送した通知があった。4、5日かかるのでは余裕を持って頼んでおかないと間に合わない。

プリントの仕上りに関しては、しばらく時間が経たないとわからない。つまらなく見える物もあれば、見違える程イメージが際立って来る物ある。細かな部分しか見てなかったりするからだろうか?大きな物は特に難しいと思う。今手掛けているサイズは比較的分かりやすい方なのだが、、、

NYのギャラリーから次の個展の会期に関するメールが届く。少し時期が早すぎるかも知れない。少しでも時間が欲しい。今手掛けている新作ではないのだが、サイズも含め新しいイメージで仕上げ直すつもりである。

今の自分は比較的バランスよく生活を送っている。プリントのストレスも程よく中和されて気分が滅入る事はない。このままのペースを維持できると良いのだが、複雑なイメージにぶつかるとわからない。


10/26 請求書の処理、入金、納品などを済ませ何とか昼過ぎに自宅に戻る。何時にもまして月末は忙しく、自宅に戻って作業を始めたのは3時を過ぎた頃である。

昨日チェックしたネガから作業を始め、次にプリントするネガのテストで終了する。

かなり期待していたイメージを手掛けたのでそこそこ上手く仕上がっても、妙にこんな物かと懐疑的になってしまう。取りあえず次のポートフォリオのメインイメージの一つには仕上げたい。スタジオの掃除をしていたら又しても鼻水が止まらなくなり、アレルギーの薬を飲む。目の具合迄良くない。

何時になくかなり悩んだ末に印画紙の号数を決める。アレルギーのせいもあって目の調子が良くない事が影響しているのか、水の中にある印画紙の細かいデティールが判断できていないようだ。毎日かなり多くの紙を無駄にしている。莫大な浪費。必ず報われると信じているのだが、余にも効率が良くない。

ある意味今を乗り切れば作業の効率はぐっと良くなるはずだと思う。とにかくドライダウンや黒の色調に苦労させられる。イメージそのものはすばらしい。20年以上前の自分が戻って来たようだ。白も黒も難しい。蓄積された経験は本当にプラスに働いているのだろうか?

ダムの湖面に出来た氷の造形。自然界のエネルギーと魂の想像力が融合して行く。被写体を持つ写真だけの特権のように感じる。E・ウェストンの日記を思い出す。


10/25 午前中打ち合わせを済ませ午後から撮影。3カットなので早く終わり現像所に出掛けた後自宅に戻る。昨日に続いてプリントを進めようと思ったのだが、少し時間が中途半端だったので、コンタクトやネガを見て過ごす。

昨日上手く仕上げる事が出来なかったプリントは今日見ても今一つ中途半端。解決への糸口は未だ見えてこない。サイズや紙を変えて他の機会に処理した方が良いのだろうか。

3日間程だが、続けて暗室に入っていたせいでかなり疲れた。今日のスケジュールは普通なのだが、昨日迄に比べると随分楽に感じられる。この三日間で一応3点の作品を新しく仕上げた。40点程を仕上げ最終的に20点のポートフォリオを作りたい。

ゼラチンのプリントは本当に美しい。何故日本人はこの中に美を見い出さないのだろう。誰も、、、と言う訳ではないが作家と言える人はあまりにも少ない。水の中にあるような美しさを置き去りにして、前に進む事などあり得ないように感じる。このエネルギーを明日に繋げたい。


10/24 昨日テストしたネガのプリントを始める。昨日の感じではローカルコントラストが高すぎるようなので、アンスコのA120の現像液を用意する。どうしても撮影した時のイメージに仕上げる事が出来ない。諦めて、違う切り口で新しいイメージを模索する。

画面の中に点在しているポイントを何とかつなぎ合わせて一つのイメージにする。撮影した時の印象では、黒の面積が多すぎて、11X14のサイズにプリントするのは無理がある。8X10や、4X5のコンタクトならそのままでも良いのだが、、、神秘的なのだが力が足りない。今しばらく様子を見るしかないのだろうか。

諦めて他のネガに手をつける。これはとても簡単なイメージだ。新しい物は焼き易い。やはり似通ったイメージを続けて作業した方が効率が良いように感じる。雪ならば雪。岩であれば岩、納得は行かないが、最近のの経験不足で、その方がイメージがつかみ易い。

腰痛がひどくなりシップを貼る。プリントが旨く行かないと腰痛が気になる。上手く行っている時は痛みを忘れているだけなのか?

久し振りの自然物や風景。プリントそのものは新鮮でとても刺激的だ。これほど沢山のイメージを長い間プリントしていなかった事に自分でも驚きを感じる。


10/23 暗室の中で殆どの時間を過ごす。昼食は近くの店でラーメンを食べた。ある意味、カップ麺とかを買って家の中で済ませた方が創作へのモチベーションは上がるのだが、、、あまり力んでみたとところで仕方がない。

今日は少し古いネガを手掛けている。98年の冬に撮った物でとても気に入っている作品なのだが、引伸し機にかけるのは今日が初めてだ。かなり長い間廃虚のシリーズばかり手掛けていたので、風景に近い物や抽象的な題材の物は、ほとんど手を付けずにしまってあった。

いろいろな意味で98年ごろは未だネガの作り方が不十分で、複雑なプリント処理が要求される。取りあえずマスクは作らないが、仕上がりを見た上で必要であれば一からやり直すつもりである。今の所感触は良い。画面の構成が、もっと大きなプリントに向いているように感じる。16x20位の方が欠点を押さえ込んでくれそうに感じる。ある意味アンセルアダムスの作品に近いテイストか、、11x14では小さすぎる。

作業に少しではあるが楽しさを感じるようになって来た。果てしなく先人たちのまねをして、僅かな切っ掛けを離さずに前に出る。見なれたように見えてもこの作品のどこかに私がいる。


10/22 ポートフォリオの製作を再開する。時々何を求めているのか解らなくなるが、今は進めるべき物を見極めなければならない。途中渋谷迄薬品の買い物に出掛けたが、ふと他の印画紙への誘惑に襲われた。何かが前に進む感触は得られないのだが、ただ一日を暗室で過ごす。

もちろん印画紙の性質は全てを決定しうる物で重要であるが、なぜか今の私には、ゼラチンであればそれほどの違いがないのではと言う気持ちも在る。ゼラチンシルバーとオルタネイティブ。このプロセスの違いは、ガラスと陶器程の違いを孕んでいる。

私はそれに気付くのが遅かったのかも知れない。しかし、それが何かに於いてマイナスなわけではない。今逆に、ゼラチンの質感の中にしか見えない物が存在している事をハッキリと感じる。そしてそこにはプラチナでなければ作れない物の暗示もある。

随分昔の事になるが私はプラチナプリントに対して、何の魅力も感じていなかった。どれを見ても、調子再現が中途半端で、必然性を見出せない。そんな中で始めてその存在に強い関心を感じたのはNYのIzu.Kenroの作品に触れてからである。そしてその彼のコメントの中に、同じく彼をプラチナに引き寄せたきっかけがオークションで眼に止まった、ポール・ストランドの作品であった事がしるされていた。

それから随分時間が立つが、その作品がどれであえるかなどは全く知る由もなく、ポールストランドのオリジナルに接する機会など自分にはないのである。しかし未だ写真を始めてまもない頃から、ポールストランドは私を引き付けていた。それは同じく私の好きな作家のヨセフ・スデックとは違って何か写真の新しい世界への暗示を孕んでいるように感じる。何か眼をさまさせるエネルギーのような物を感じるのだ。


10/21 昨日厳重に準備をした割には台風の雨はたいした事はなかった。スタジオのベランダもそれほど雨が吹き込んだような様子はない。もう台風も終わりだなと思いながら、Webをチェックしていたら早くも次の台風を見つけてがっかりしてしまった。

朝から商品や小道具の到着を待ってスタンバイしていたら、肝心な商品モデルが間に合わず撮影は来週に延期になってしまった。

午後からの空いた時間で、先日修理の終わった古いカメラをオーナーに届けに出掛けたのだが、腰痛が始まって以来久しぶりにセカンドカーを運転しかなり豊かな気持ちになった。運転そのものには何の支障もない。つくづくこの車のせいで腰痛になったのではないと自分に語りかけてみる。

気が抜けた一日を想像していたら、とてもも連絡の多い一日になった。動きの止まっていた物が全て動き出す。不動産屋からの契約日の連絡、NYからの展覧会に関するメール、仕事の以来、ベトナム行のチケットなどなど。夕食に餃子とビール。


10/20 昨日出来なかった入金を朝早く済ませた後、車で納品に出かける。台風の接近に伴って雨が強くなっているので全てを終えてできるだけ早くスタジオに戻りたい。

最終的に飯田橋へ修理の仕上がったストロボを取りに出掛けたのだが、前にも来た事があるのだが、場所が解りにくく、昼の1時を過ぎないと車両が入る事の出来ない道に面しているなどと特殊な事情も重なって、何度も道に迷い、苦労してやっと辿り着いたと言う具合である。

混んでいる都心の道で久しぶりに道に迷い、右折禁止などの解りにくい道路表示にいら立ちながら地方から来た人などは、きっとたどり着けないだろうなどと考えたりもした。

スタジオに戻った頃には雨も強くなり、いつものように台風の準備で植木を中に入れたり、ベランダの荷物を整理したりして、夕方過ぎに自宅に戻る。今年の台風は本当に大変でいつかは大きな災害が東京にもやって来るのではと言う予感すら感じさせられる。


10/19 スケジュールに余裕のある一日だと思って、夕方から飲み会の予定を入れていたら、台風の為に前倒しになった用件があり、自宅に戻ったのは人が集まるギリギリの時間になってしまった。

うちで飲むのは久しぶりだが、ここのところイクラの醤油漬けや、塩辛、アンキモの酒蒸しなど、色々と料理に勤しんでいたので、もてなすのにさほどの準備は必要無い。近所の店で旨いさつま揚げと、漬け物を買って来て、後は先日見つけたサムゲタンのレトルトをあたためて取りあえず飲みはじめる事となる。

メンバーの1人に長い腰痛経験を持つ女性がいたので、腰痛に効くストレッチを色々教えてもらったのだが、どれも私には辛い物で、身体がかたくなって、招いた結果だと言う事も思い知らされてしまった。

途中友人からティルマンスの展覧会を見て来たらとても感動したとの電話があった。そう言えば写真展の多い時期である。

寝る前に、教えられたストレッチをやろうとして、椅子の足に小指を激しくぶつけて足の爪が少しはがれてしまった。消毒してバンドエイドを貼ったのだが、風呂には入れそうも無い。馬鹿馬鹿しくてみじめな気持ちも湧いてこない。むしろおかしい。

今日の話題の中で面白かったのは、メンバーの1人の4人姉妹の一番上の姉の結婚相手を探している話。本人は姉の為に色々頑張って探す手伝いをしているようなのだが、その顛末はいったいどうなるのだろうか。


10/18 うちのスタジオにしては大掛かりな撮影を久しぶりにこなす。4メートル近い幅の板壁を立て込んでガレージのような雰囲気を作る。

動き回っていたら、すっかり腰痛が復活してしまった。撮影そのものは夕方に終わり楽勝なのだが、以外と大変なのが片付けである。張り付けた板がなかなかはがれない。


10/17 始めて腰痛を意識しない朝を迎えた。昨日迄の休息のせいですっかり治ってしまったのだろうか。

昼頃になって頼まれていたカメラの部品を買いに銀座迄出かける。古いカメラは水銀電池を使っており、現在はもう生産されていない物が多い。そのような機種の為に現在販売されている銀電池をはめ込んで使うアダプターがマニアの間では重宝されている。あまり大手のメーカーから出ている物では無いのだが、意外に多くの機種がその恩恵に預かっている。

実際に使ってみると何の問題も無く、預かっていた古い一眼レフは見事に全ての機能を取り戻した。なんだかとても嬉しい気持ちである。この機種はもうメーカーでも修理を受け付けてくれないのでシャッターが壊れれば終わってしまうのだが、それまでは何とか使っていけそうである。

剥がれ始めている小さなペンタプリズムのファインダーは私にはとても見づらいのだが、オーナーにしてみれば、現在の機種よりも使い慣れたこのカメラの方がよっぽど使い易いのだろう。

カメラと人との結びつき。そんな物を感じる。私自身は、性能の良い物だけをその都度使って行く主義なので、古いカメラはあまり使わない。しかし時代とともに、消滅するジャンルの物もある。私にとってはSX70ポラロイドで、今迄何台ものカメラを使い潰して来た。そのカメラにしても、アンティークでは無く動作の安定している最後の機種がお気に入りである。

フィルムが変わり、SX70も昔のような良い写真は撮れなくなった。今はもう使わない。私には撮れる写真が全てなのか。


10/16 昼食に海辺の漁り火食堂に出掛け、はまぐりのフライとラーメンを食べる。意外な事だがフライは結構旨い。ある意味カキフライの比では無い。

以前ロケハンの時に寄った乗馬センターで馬を見る。この前見た時は、馬の美しさに感動したが、今日見ていて思った事は馬そのものがもともと美しいと言う事では無く、この環境で多くの人に愛されている馬であるから美しいように感じた。では、美しいから愛されるのか?愛されているから美しいのか?以前横浜で見た馬には別に特別な感情は抱かなかったのだが、ここの馬は美しい。

空いている高速を快適に飛ばし、1時間半程で自宅に戻る。


10/15 昼食に出たついでにジーンズショップで厚手のシャツを買った。めっきり寒くなり着るものを出すのが追い付かない。

夕方になって込み合う都内の高速を抜けて千葉の友人に会いに出かける。夏以来久し振りに会うのだが千葉で飲むのは初めてだ。2軒の店をはしごして久しぶりに朝迄飲む。

郊外に住むと言う事について漠然とした概念しか持っていなかったのだが、住宅街と言う所がとても寂しい物に感じられて意外だった。私自身は学生時代や、横浜に住んでいた時も、ありきたりの住宅街を体験していないわけでは無いのだが、この九十九里海岸に近い町は何か、1人で暮らす、あるいは旅人のように、外部と接点を持たない人間に対して、空間全体で拒絶しているような感覚がある。

決して町として、集団化しているとか、排他的とか言う感覚では無く、巨大な個人主義の集合体のような無関心に圧迫する空間そのものが驚異に感じられる。

もしここに住めば私は一度も窓をあける事無く、自分の内面だけを見つめて、何処迄も自分を追い詰めてしまいそうに感じる。

これが海辺の一軒家とか、山奥のテントであればこんな気持ちになる事は無い。閉ざした個体の集合。その中にいる事が恐ろしいのだ。


10/14 先日修理に出したストロボの見積もりの連絡があった。コンデンサーの破損は個数が少なく、数万円で修理できるとの事。数十万円かかるのではと思っていただけにほっとする。気になっていた靄がやっと晴れたような気分である。

ニコンから発売になった新しいデジカメを見に出掛けた。この秋は新しいモデルが多くチェックはかかせない。

動かなくなっていた二つの腕時計を修理に出す。一つはすぐに電池交換で仕上がって来たが、もう一つの物はしばらくかかりそうだ。他にもハンズに寄って時計の電池を買って来た。これで幾つかの時計が動き出す。夕食にサムゲタン。レトルトのパックの物を見つけて作ってみたが、かなり本格的だ。


10/13 スローフードに関するワークショップに参加する。東京都内の食品生産者と消費者の交流を目的とした一連の研究会なのだが、初めて知る者には都内にこれ程多くのの生産農家や関連事業者がいるのかと感心させられるイベントである。

以前より食にまつわる取材や撮影を多く手掛けているので、まんざら知らない世界では無いのだが、これだけインターネットが普及しても生産者と消費者の結びつきはまだまだ進んでいないのだと考えさせられる実態がある。こんな狭い都内に於いてもと言う感じであるが、むしろ地方の人達の中には積極的にPRする必要性があり、逆に都内のような情報量の多い所程、出遅れている事が感じられる。

今回は取材と言う事では無く、ワークショップそのものに参加するつもりで出向いたのだが、取材に来ていたTVクルーとともに食育の現場に就いて真剣に学ぶ一日になってしまった。

養鶏業、と言っても東京軍鶏であるが専門に飼育している養鶏業者は以外と少ないようだ。料理で食べる事となると、人形町の店が有名だが、どんな鳥なのか、何処で作っているのかと言うのを知る人はほとんどいないと思う。まあ、そんな事を知ろうと言うようなイベントだ。

実際に何をしたかと言う事になるのだが、飼われている鳥を見て、後はただ、話を聞きながら、食べるだけ。初めて食べる高価な東京軍鶏をバーベキューで、煮込みで、シャブシャブでと、次から次に味わう一日だった。

都内からは、電車で一時間そこそこ。そんな場所にも田舎暮しは存在する。そこにはたぬきもイタチもハクビシンも出没する。自給自足も可能な自然環境で、そこだけ切り取ってしまえば、信州の山奥と何も変わる所は無い。

では、何が違うのだろうか。その焦点をハッキリ見極める事は今の自分には出来ないのだが、当事者がその生活の中で見つめている世界とでも言うような物なのだろうか。

東京軍鶏を育て、その歴史を継承し、自分の理想に近付けようと努力し続ける。すばらしい事なのだが、全ての他の欲望もこの都会のレベルでついて来る。200キロオーバーで走るドイツ製のセダン。同じくドイツ製の最速のバイク。空を飛ぶパラグライダーや海外旅行。オペラに絵画、趣味と言われる全ての物が彼の生活の付属品としてついて来るのである。

山奥に暮らしていればこれ程多くの欲望に、接する事も無いのかも知れない。しかし、その中でこれ程旨い鳥ができるかと言うのは解らない。味覚の極みは、欲望の中にのに生み出される物かも知れない。

芸術に関してはどうなのだろう。欲望の中から価値を生み出すとは思いたく無いのだが、今の私の選択は、全く同じ物のように思える、、、どうしたら良いのか、、、、


10/12 昨日迄の反動でとても早くからスタジオに出向き先週のロケの片付けなどを進める。9時頃になって先週の仕上がりが現像所から届きひとまず安心する。先週はストロボの事故などもあり落ち着かない日々が続いた。

返却する小道具や商品の梱包で忙しく午後になってやっと経理の処理に取り掛かる。発送の受け渡しなどをすすめながら経理の処理を進め気が付くと9時近くになっていた。長く続いていた撮影のせいで機材のメンテナンスなどが滞っている。今週は少しずつ機材のチェックも進めて行きたい。

梱包する小道具などのホコリのせいか、アレルギーを起こしてしまった。鼻水が止まらず久しぶりに薬をのみ、頭の中に靄がかかったようだ。


10/11 極端に堕落した一日を送る。とは言うものの寝ている事が出来ない性分で、朝早く起きて幾つかの食材の作り置きをして、サンマの立田揚げなどを冷凍する。かなりいろいろな事をしたのだが、昼にならず、イライラしながら長い一日を送る。

昨日見たビデオの事が未だ頭の中で渦巻いているので、新しい物を見る気にもなれず、いろいろな事を意識の中で反芻する一日。身体を休めようとしているのだが、その真意は何処にあるのか解らない。暗室で作業を進める方が楽なのかも知れない。その事について考え始めたら、何度も近所を散歩する事となってしまった。

朝早く作ったサンマの空揚げと立田揚げはかなり美味で自分で食べるのがもったいないような感じだ。


10/10 しばらく前に借りてあったビデオでゴダールの映画を見る。見ると行っても、数日前から少しづつTVドラマのように見続けていたので、最後のわずかの部分を進み、やっと見終わったという所である。タイトルは「アルファヴィル」。

午前中早い時間だったのだが、かえって頭が冴えていて理解し易かったように感じる。フランス映画は夜よりも朝見る方が良いのだろうか。

続けて同じフランス映画の「無伴奏シャコンヌ」を見たが、バッハの無伴奏チェロ組曲をバイオリンで弾くシーンが印象的だった。映像の作りはかなりお粗末だ。監修の中でギドン・クレーメルの文字が見えたように感じたのだが、バイオリンも彼の演奏なのだろうか?

午後になってバイオリンを聞いてみたくなり、MDウォークマンで無伴奏を聞く。パルティータの2番は学生の頃好きだった曲で確か初期のステレオ録音のグリュミオーの物をレコードで良く聞いた。レーベルはフィリップスで当事3枚組で廉価版だったように記憶しているが、チェンバロ付きの物と混同してしまって記憶が曖昧だ。

映画の途中でベートーベンの曲もかかった。断片的にだが、鮮烈な印象を受ける。学生時代バロック音楽から始まり、最後に辿り着いたのはワーグナーだった。当時、他に何も無かった事が音楽と接するきっかけになり、逆に幸せを手に入れたように感じる。


10/9 昨日かなり身体を使った割には、腰の具合は悪く無い。少しづつ薬も効いているようで、昨日ジャグジーでマッサージしたのも効果があるように感じる。

動かさないのも良くないと思い、部屋の中を掃除して、午前中は渋谷迄買い物に出掛け、イクラとイカを買って来て、それぞれ醤油漬けと塩辛を作る。

午後になって雨もひどくなり、台風対策にスタジオに出掛け、玄関の植木や椅子をを中に入れたり、ベランダの段ボールなどを片付けて掃除をした。帰る頃には激しい土砂降りで、殆どびしょ濡れになる。目黒川の警報が久しぶりに鳴っている。


10/8 朝早くから車で出掛け料理の撮影。いつものスタイリストを車でピックアップして現場へ向う。腰痛の治り切らない事を気づかって荷物を運んでもらったり、スタッフの有り難さが身にしみる。

カット数は結構あるのだが、いつもに比べメニューそのもののイメージをつかみ易く、夕方前には全てのカットをッ終了する。かなり雨がひどくなり、機材の積み降ろしが大変だ。

昨日コンデンサーが、爆発した物と同じタイプのストロボを使っているので、ときどきふっと不安になった。気にしていても始まらない事だと気を取り直すのだが、今迄信頼していただけに、急に弱気になったような感じである。必ず同じ機材を複数台使うようにしているので、弱点も解り、ある意味、故障も予見できるのだが、、、見積もりの連絡はまだ来ない。


10/7 午前中からスタジオで商品撮影。かなり疲れて来た夕方頃、最近なかった最悪の事故があった。うちのスタジオではメインで使っているコンデンサー調光タイプのジェネレーターが突然爆発し、完全に使用不能になってしまった。誰も人がいない時であったのが幸いだが、ここしばらく無かった事故だけにショックは大きい。

スタジオを管理していれば避ける事の出来ない事故なのだが、ただの故障と行ってしまうにはいつもながら衝撃的すぎる。いずれにしても久しぶりなので、連続した破裂音が耳から離れない。

電源を繋ぐと次から次に内部のコンデンサーが爆発して行くようなので、すぐにメーカーのサービスに連絡をとり、修理の為に梱包して発送した。恐らくは数十万の修理代が待っているのでかなり憂鬱である。新しい機種なので廃棄するよりは修理する方が得だとは思うのだが、、、、

先月迄は出費が多く、やっと来月からは、、、と思っていた時だけに経理の面でもにもショックである。他のジェネが壊れない事を祈るばかりだ。何時も思うのだが、本当にカメラマンという商売は儲からない。かといって他にできる事も無いのだが、、、

しばらく呆然としていたのだが、やっと気を取り直し、他のジェネに繋ぎ直して撮影を再開する。かなり遅く迄掛り、終わってからも明日のロケの準備で遅い時間にスタジオを出る。次は何が壊れるのだろうか。


10/6 ロケハンに近所の公園によってからスタジオへ。朝食をとって無かったので久しぶりにカップヌードルをスタジオで作った。久し振りに食べると味が濃く感じる。撮影で、北海道などに出掛けている時しか食べる事が無いので、ひょっとしたらいつも食べている物は、北国の御当地物で、味付けが違うのかも知れない。

秋の朝の空気が撮影地の事を思い出させた。

昼食は隣のステーキハウスでカレー。クライアントの担当者はハンバーグ。最近の世間話などをしながらメインカットを撮影し、夕方には終了。家に戻って再配達の荷物を待つ。

通販で頼んであったホームジャグジーは小さな箱に入っており、いかにも中国製といういい加減な作りなのだが、数千円の買い物なので別に気になる物では無い。かえって良く出来ているようにすら感じてしまう。

現物を眼にした段階で何かが覚めてしまうだろうと思っていたのだが、意外にも、慌ただしく箱から出して、バスルームにセットして食事もとらずに取りあえず試してみてから、やっと気分がしらじらと覚め始めたのを感じた。

使用感とか、効果とかいった事よりも、まずは存在がかなりうっとおしく感じられる。


10/5 午前中から商品の撮影。クライアントの担当者が着いたのは3時過ぎだったので、9時過ぎ迄の長い時間撮影が続く。今日から飲み始めた薬は特に聞いているような感じはしないのだが、取りあえず続ける事が肝心だろう。

昨日スタイリストから聞いた話は腰痛の薬の事だけでは無く、最近使い始めたと言う簡易型のホームジャグジーの事。何万円かするそこそこ本格的な物らしいのだが、家族全員が気に入っているらしい。早速ネットで検索してみたのだが、信頼できそうな物は見つけられなかった代わりに、数千円で買える、いかにもいい加減な物が沢山見つかった。

掃除機のような本体をバスルームの中に置いてバスタブ迄伸びたホースにマットのような物が付いており、そこから激しく気泡が出るとの解説が書いてある。保温機能も、リモコンも、プログラム機能も付いて僅か数千円。

最近、何かがチグハグで自分の行動が解らなくなる。注文したジャグジーは明日には届くらしい。


10/4 撮影の途中納品と、打ち合わせ。今日の担当者は、来年からは仕事の為にイタリアに引っ越してしまうそうで、空家になってしまう都内のマンションの借り手を探している話なども聞く。

スタイリストと渋谷迄電車で戻る途中、腰痛に効く薬の話になり、かなり効果があった薬を教えてもらい、すぐに中目黒の薬局で買ってみた。一日3錠。かなり高価なので効きそうな気はする。


10/3 朝起きたら激しく雨が降っていた。昨日の夜の華やいだ気分とは一変して冷たい秋の空気が部屋に差し込んで来る。撮影に出た山の中で感じる秋もこんな感じだったと思う。しばらく味わっていないような不思議な感覚だ。

今日はできるだけ身体を動かさず、長引いている腰痛を改善したいと思う。激しい雨が降っている。

昼前に空腹を感じ、近所の始めてのラーメン屋でシンプルな醤油味のラーメンを食べる。そのままツタヤに出掛け2時間程ビデオをさがし、結局ゴダールの映画と他にもう1本、バイオリン弾きの映画を借りる。タイトルは「、、、のシャコンヌ」と言ったような物。

結局ゴダールを途中迄見て止めてしまった。寝る前に酒を飲み、この1週間の事を考える。腰痛は、、、その他、ここ姑く結論の出ないいろいろな事は、自分が作り出している幻想の様に感じる。


10/2 久しぶりに友人を呼んで夕食を取る。最近仕事をするようになった会社のスタッフを呼ぼうと思っていたのだが、結局都合がつかず、なじみの友人だけで過ごす事になった。

まだ腰の痛みが回復しないのであまり大人数の用意は出来ないのだが、午前中に渋谷に出掛けシャケの腹子を買って醤油漬けにした。料理は魚中心でイクラを乗せた鮭の炊き込み御飯。他にはヒラメの切り身を焼いてみたり、タイと茸のホイル焼きなど、カボチャのバターソテーなどを付合わせて秋の気分が満載だ。

久しぶりにに夜遅く迄人と話し、いろいろな事を考えながら眠りにつく。


10/1 預かっている商品で撮影しなければならない物は沢山あるのだが、なかなか治らない腰痛の事もあり、最低限必要な経理の処理だけを進める。

それほどひどくはないのだが、腰に負担の掛る姿勢での撮影が続くと休まなければ立っていられない。動かさない事が一番良いのだと感じ始めている。お昼を過ぎた頃、隣のビルでやっている雑貨のファミリーセールに出掛け最終日でかなり安くなっていた写真立てなどを沢山買って来る。

このビルに入っていた雑貨のメーカーはこの手の業界の中では大きい方で、いろいろな輸入雑貨などを扱っていたのだが、このセールを最後に、恵比須に移転してしまうらしい。私がここに移って来て以来いろいろな物をこのセールで買い揃えており、一つ一つにその頃の思いでがあり無くなってしまうのはとても残念だ。

スタジオで使っている良い色の椅子、今は手許に無いとても大きなカガミ、自宅の殆どの照明、沢山の時計、バッグやブランケットなど、あまりに沢山の物をそこで買った。

3時の終了時間をかなりすぎた夕方になっても、ビルの前に出された段ボールに人だかりが出来ていて、その人気の程が伝わって来る。


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