7月 2月
作者近況 6月 5月 4月 3月 1月 12月 11月 10月 9月以前

8/31 昨日迄と違い時間に余裕の無い一日。8時過ぎに撮影が終わってからも、明日の準備とかたづけで12時近く迄スタジオで仕事を続けなければならない。昨日迄の息の詰まるような時間の過ごし方を考えるとこっちの方がまだ楽なのかも知れないが、今考えているのは次にどのネガから延ばし始めるかと言う事ぐらいなのか。

今日も撮影を進めながら、担当者の女性といろいろな話をした。世界を受け止めて行く視点と言う物は人によって様々である。それぞれの年代、与えられた環境などによって思いもよらない解釈が展開する事もあるのだが、今日の会話のトピックにそれ程変わった物は無く、しいて言えば名古屋と言う町について少し見識が深まった事ぐらいだろうか。名古屋の人はとても勤勉だ。


8/30 何かに追い詰められたようにスタジオに出向き早い時間から全ての用事を済ませる。一件撮影のキャンセルがあり、かなり余裕のある一日になったのだがいくら時間を持て余しても身体では無く、意識が先に進まない。

作品の事を考えて時間を作っているのだが、暗室に戻っても何一つ進める事が出来ない。大袈裟な表現かも知れないが罪と罰のラスコリニコフのように、まるで人でも殺したように何かを求め始めているのだろうか。ここには懺悔の道は無い、、、

全ての物から自分を開放してくれる物を作りたい。それは今この世界に存在するどんな写真よりも美しいもの。求める物が大きすぎて足が竦んでいるのだろうか。

忙しい日常の中から馬鹿馬鹿しい妄想が湧いて来て愚かしさに呆れてしまっているのだろうか、、、まずは一歩。それが大事なのか。


8/29 何枚かのネガをキャリアに貼ってテストしてみるのだが全然イメージが湧いてこない。何度か手を付けてみたのだが、全く形を見つける事が出来ず、最近仕上げたプリントさえ、見ていると何故そう仕上げられたのかが解らない程意識が集中出来ないのである。

早く新作を仕上げて展覧会を開かなければならないのだが、今回の作品には特別な思い入れがあり、いろいろな意識が交錯してしまう。過去に戻るのでは無いかと言う恐怖が乗り越えられないのだろうか。


8/28 以前から滞っていたいろいろな問題に結論を出した一日。その中で姑くはカラーの写真集の製作も凍結する事を決めた。ここでの生活に根を下ろして製作を続ける以上、自分のパフォーマンスを最大限に発揮できる物に集中しなければならない。

2足のわらじ、ましてや3足のわらじは自分には荷が重すぎる。資金が調達出来ない事も原因ではあるのだが、その先にある世界が急に意味を失っててしまったように感じる。私の魂はもう空に浮かぶ事は無いのだろうか。

自分の本来の目的を見つめ直し、モノクロのプリントを極めなければならない。先日からネガを見ているのだが、まだイメージは湧いてこない。集中出来ない。


8/27 朝自宅を出る前に昨日撮影したデジカメのデータを確認し、少し遅れてスタジオに入る。昨日に引き続き商品の撮影を進めなければならないのだが、今日はクライアントの立ち合いも無いので時間に関しては自分のペースで進める事ができる。

撮影の進行その物は、自由に組む事が出来たのだが、夜の8時からは別のクライアントの撮影が入っている為、できる限りきりの良い所迄時間に合わせて進めなければならない。

とは言え全て終了したのは10時前。スケジュールその物に特別ハードな印象は感じる事も無く、終了してからはメンバーと一緒に寿司屋で食事を済ませてから自宅に戻る。

かなりスケジュールをこなしている事と、全体のペースその物に遅れが出ている事を利用して明日は暗室で作業を進めようと思っていたのだが、又しても急に外出しなければならない用事が出来てしまった。上手く午前中に終わらせて少しでも作業を進めたいと思っているのだが、、、、、


8/26 午前中からスタジオで撮影。最初のカットで小道具に不備があり、午前中一杯はその修正に時間を取られる事になってしまった。いろいろな遅れが重なって9時過ぎ迄掛ってしまったのだが、何とかノルマはこなせているように感じる。

昨日からスタートしたはずの仕事の進み具合は今一で、かなりの量が来週にずれ込んでしまっている。これは作業のペースによる物ではなく、製品のモデルやカタログのラフが決定しない事が原因のようなので、私自身にはどうする事も出来ないのであるが、とにかく効率を無視してでも撮れるものを撮って、仕事を進めているのが現状だ。

朝家を出る時に、請求書などの郵便物を忘れないように気を付けて居たら携帯電話を忘れて出掛けてしまった。昨日も同じようなミスの為自宅とスタジオを何度も往復させられたのだが、最近の注意力の低下は自分でも呆れる物がある。確かに疲れている事も影響しているかも知れないのだが、休んだからと言って改善されるようにも感じられない。

夕食をとりながら千葉の友人と電話で話し、1時頃に寝る。気候が良くなったせいで暗室のエアコンが調子よく動くようになった。少しでもプリントを進めたい。


8/25 予定していた撮影が延期になり、たまっている納品や経理の処理を進める。撮影が無くなって楽になったように思っていたのだが、限られた一日でやらなければならない事は余りにも多く、かなり時間に追われて身体を酷使した一日を感じる。

自宅とスタジオの間を何度も往復し、銀行に出掛けたり、表参道や外苑前、広尾や麻布などに納品に出向いていると意外に体力を使っているのかも知れない。銀行での支払いも多く、何時にもまして憂鬱になってしまうのだが、別に売り上げが増えているわけではない。

結局夜遅く自宅に戻り夕食を取ったのだが昨日に続きすぐに横になってしまった。


8/24 早朝から機材を車に積み込んでアシスタントと他のスタジオに向う。かなりのカット数に、深夜迄の撮影を覚悟していたのだが、効率良く進めた事と、最低限撮らなければならない物に絞り込んだ事が幸いして、現像所の開いている時間に渋谷迄戻って来る事が出来てほっとする。

今日は一日フードの撮影だったのだが、コーディネートとディレクションのコミュニケーションが今一つ完全でないように感じる事が少なくなかった。感性の問題と言うのではなく、紙面全体を考えた現場での伝達不足と言う感じである。

昨日よく眠れなかったせいでとても眠い一日だったのだが、何とか一日を乗り切り、機材をスタジオに戻した後自宅に戻り、たまたまクライアントから頂いた鯖の炙り寿司を食べてすぐに横になる。


8/23 午前中から高価な輸入食器の雑誌広告を撮る。撮影のテーマは2転、3転した末、難易度の高くない物になったので、撮影その物は比較的楽だったのだが、先週の忙しさが災いして撮影が終わってからも忙しく、仕上がりの発送や返却、次の撮影の打ち合わせなど、息を抜く事の出来ない一日が続く。

今日の撮影は、うちのスタジオのキャパシティーとしては広さ的に限界の物で、もう少し予算に余裕があれば他のスタジオを借りて使うのが本来の流れだと思っていたのだが、撮影が物理的に不可能と言うわけではないし、現場の状況によっては、分割して数カットで撮影するなど他の方法を選択する事もできるようなので、試してみる結果となったのだが、取りあえずは上手く納まったように感じる一日だった。

一つの結果に対して最良の方法と言う物は常に存在するとは思うのだが、極わずかの違いの為に倍以上の経費をかけるわけには行かない場合がある。よく、他のチームの撮影したフィルムを見せられて、もっと他に方法がなかったのかと思う程、結果がすぐれない物を眼にする事があるのだが、きっとそこには言われのない、複雑な事情があったのだろうと考えてみたりする。

広告はそれを作る人間の立場ではなく、それを見る、受け止める側の立場に立って最良のパフォーマンスを考える事が必要なのだろうと思うのだが、殆どの場合はクライアントの把握する所かも知れないし、場合によっては誰にも解らない世界だったりもするのだろう。

忙しく続く仕事の中で、何故だか自分を束縛しているような威圧感は感じない。今日は一日与えられた物をこなすのに精一杯だった自分を感じる。作家としてではなく、否定する事の出来ない自分の存在がここにもあるのだろう。私の中でそれをどう解釈すれば良いのだろうか。


8/22 午前中は六本木、麻布、広尾などで用事を済ませ昼食の後新宿に向いかい、幾つかの買い物を済ませた後トップスにあるギャラリーユイットへ西村さんの展覧会を見に出かける。

作品その物は京都のギャラリーで以前発表した物と言う事なのだが、大きなサイズのフォトアクリルにプリントされた作品は初めて目にする物で、額にきちんと納まったプリントでは決して味わう事の出来ない新鮮な感覚を味あわせてくれる。

京都の展覧会の時のギャラリーのオーナーの方や他の作家の方などとしばらく話し込み、夕方になってギャラリーを出たのだがとても刺激になる良い時間を過ごす事が出来た。有意義な時を過ごしていると昨日迄の慌ただしいスケジュールが報われたようでほっとする。

彼のように作家としてのスタンスが生活や作品作りの中に取り込まれていれば、常に発表する機会を生かして行く事もできるのかと思うのだが、私に取っては今の所、新作でなければ個展迄持ち込むだけの活力が湧いてこない。自分の作風を自分に対して確立する上で、ギャラリーと作品は一つの物と言うように感じるからなのだろうか。見せる事より作る事。そんなもどかしさがつきまとうのかも知れない。 

今日一日を自分の感性の中で過ごし少しでもリセットする事が出来た自分を感じる。夏が終わり、良い秋を迎えられそうな予感がする。


8/21 昨日の午前中に続き、一人で商品の撮影を続ける。今日の午前中に新しく届いた物を含め20カット以上を夜遅く迄掛って全て終わらせる。集中した作業が一日中続いたせいで、自宅に戻ってからは少し意識がもうろうとしているのを感じる。

量的には土、日の2日分は猶にあったと思うのだが、明日は色々と出かける用事がたまっているのでどうしても今日一日で終わらせなければならなかった。

秋になって気候が良くなったら少し休みを取りたいと思っている。その前に仕上げなければならないもの、やらなければならない事が沢山ある。明日は麻布十番に用があるのだが、たしか祭りの時期なので少し憂鬱だ。西村さんの展覧会にも行きたいと思っているのだが、、、、


8/20 午前中は昨日預かった商品を一人で撮影していたのだが、10件近い宅急便などのやり取りがあり、なかなか捗らない作業にイライラさせられる。

荷物の内訳は、昨日迄のフィルムの発送や、小道具の返却。今日の午後からと、来週の撮影の商品や小道具の受け取りなどがあったのだが、特に来週の商品の受け取りは、高額な食器類などがあり、リストを見ながら破損がない事の確認などが必要になり、長い時間撮影の中断を余儀無くさせられた。

3時からは幼児向けの学習書の表紙の撮影で、もう12月号で気分はすっかりクリスマスである。

毎日違うクライアントの撮影を進めているので、商品などの片付けもシビアになってくる。競合ではないにしても他社の物はできるだけ表に出ないように片付けておかなければならない。あまりに毎日撮影が続いていると返却や受け取りなど、細やかな対応が出来なくなる事もあり、一人で進めている事の限界を感じずにはいられない。

撮影が終わって明日の準備を進め、夕食の食材を買って帰宅したのだが、朝が早くくたびれている割にはまだ9時過ぎで、時間に追われていた一日を振り返る。


8/19 朝からの撮影だったのだが進められる物は以外と少なく、担当者と打ち合わせを進めながらゆっくりとしたペースで一日が過ぎて行く。担当のデザイナーから最近の会社の事情などを聞いているとつくづくサラリーマンでなくて良かったとほっとさせられる部分もあるのだが、私の場合、自営業だからといってそれ程楽でもないのである。

ただ、いろいろな話を聞いているとサラリーマンだからといって事業の行く末を考えなくても良いわけではないのだから昔の人が考える程気楽な家業であるはずもない。

そんな事とは関係はないのだが、御盆を含めてこの時期の忙しさは異常な物があるの。肉親を含め郷里に住む親戚の人達から見れば朝から深夜迄喜々として撮影している姿は、中学生が部活に打ち込んでいるぐらいにしか見えないのだろうと思うと世界を隔つ絶対的な価値観の違いに、言われのない寂しさを感じてしまうのだが、そのミゾが埋まらないからこそここにいるのだと居直ってしまう事が明日への活力であって、本当に良いのだろうか。


8/18 スタジオに向いながら澄み切った青空と強い風で、去年休暇に出掛けた離島の夏を思い出した。

スタッフの到着は11時頃と比較的ゆっくりだったのだが、テストのチェックや片付けの為少し早い時間からスタジオで準備を進めなければならない。昨日に引き続きカタログの撮影なのだが、担当者はその都度入れ代わるのでそれぞれの撮影内容も全く異なっているのである。

8時前に全ての撮影は終了し、来週の撮影の打ち合わせに外苑迄出かけたのだが、深夜迄掛るのではと言う懸念をよそにあっさりと終了し、自宅に戻ってから夕食を取る。

撮影で出会ういろいろな人から、休暇中のいろいろな話を耳にする。うらやましくもあり、全てが自分にはあてはまらない寂しさのような物を感じ、明日に向って今日の事を振り返る。

何か達成感の様な物を求めているのだ、掴みきれないもどかしさに、まだプリントしていないネガを見る。


8/17 昨日に続いて一日スタジオで撮影。天気のスッキリしない朝にもかかわらず、早く目が覚めてしまったので、しっかりと朝食を取って撮影に臨んだのだが、そのせいだかどうなのかは解らないが、妙にスッキリしない一日のように感じる。いつもと違う事をするとなんだか調子が悪い物なのか。

気圧が低く湿度が高いせいか、昼食を取る頃迄は妙に気合いが入らない。昼を過ぎて少し複雑なカットを撮るようになってからやっと調子が出て来た感じである。

撮影そのものは辛い作業ではないのだがスケジュールが詰まってくると色々とナーバスになる要素も増えて来る。行き当たりばったりのスケジュール調整に先の見えないいら立ちを感じ始めているようだ。

9時を過ぎた頃スタジオを出て自宅に戻り夕食を作る。昨日買ったキャベツと有り合わせの食材を組み合わせ、沢山のお好み焼きを焼いて冷凍する。そんな物が忙しくなった頃に以外と重宝するのである。


8/16 撮影が午後からになった為、午前中は小道具の到着を待ってから広尾迄納品に出かける。12時過ぎに中目黒に戻り、待ち合わせた担当者と昼食を済ませた後撮影をスタートし夜8時頃に終了する。

出掛けていた午前中の感じからすると世間はまだ御盆で休みの企業も多いのかも知れないが、午後になってスタジオにいると電話も多く、もう夏は終わりつつあるのだと、御盆の気分は一掃させられてしまった。かなりシリアスな仕事に関する連絡が多かったからかも知れない。

姑くは忙しい日々が続く。去年の夏、5月の連休、休暇を取れた日の事を思い出し明日への力を貯える。


8/15 午前中は北海道で撮ったデジタルデータを調整し、インデックスとCDロムを作成する。午後になってからは少し前から気になっていた引伸し機の蛇腹の部分を修理する事にした。

それ程大袈裟な修理ではなかったのだが、かなり大型の蛇腹である為、その重量で少しづつ取り付け部分がはがれて来てしまうので、接着剤で張り付けてクリップで固定して乾燥を待つと言う作業である。

夕方前には雨で濡れていた駐車場の地面も乾いて来たようなので、車の下に潜り振動で異音が発生していた触媒のカバーを修理した。先日擦ってしまったバンパーはかなりシリアスで近々修理が必要だ。デフのオイル漏れも夏場になってかなりひどくなっているようだ。

気になっていた事が幾つか片付いて、程よい休日の一日である。


8/14 昨日頼んだ洗濯機の修理は朝早い時間に連絡があり朝の10時前には終ってしまった。修理の担当者の話によると、ちょっとしたセンサーの接触不良なので、再発した時は軽く本体のパネルをたたいてくれとの事である。特に部品を交換する事も無く、調整のみと言う事で幾らかの支払いを済ませ、呆気無く帰って行くサービス員を見送る事となった。

ここ姑く続いていたスケジュールも今日は幾らか落ち着いて友人のデジカメの買い物につきあう事になったのだが、新宿で無く横浜のヨドバシカメラに出掛けた事は正解で、何時に無く客の少ない店内で落ち着いて買い物が出来たのは幸いである。結果的にはヨドバシには在庫が無かった為ビックカメラで買う事になったのだが、どちらにしても久し振りの横浜の町で、食事に寄った中華街の海老ソバは記憶に残る絶品であった。

人にカメラの買い物を頼まれる事は良くあるのだが、それぞれの人に向いている機種は異なると思う。今回は始めてのデジカメと言う事もあり、画素数よりもシンプルな機能に重点を於いて撰んでみた。その選択がベストではないとしても、何かしらの意図は伝わったのではないだろうか。

今回相談を受けた友人は、学生時代に買ったオリンパスの一眼レフのOM10を長い間所有していると言う事で、写真に全く関心がないわけではないのだが、それ以来カメラと言う物の存在をそれ程意識する機会はなかったように思われる。

それでもその当時の一眼レフに今でも愛着を持っているようなので、始めて使いこなした一眼レフの感覚と言う物が、その性能やスペックよりも彼女の感覚の中に強い印象を残している事を汲み取って、使いこなせるカメラというコンセプトで機種を撰ぶ事にしたのだが、その顛末は随分先迄待たなければ解らない。

僅か2万円程のデジカメではあるのだが、その存在は少しづつカメラへの概念を変えて行く。デジタルであっても銀塩であっても、それは人と写真との距離を確実に縮めてくれる物である。そして私がいる世界は写真の世界である。


8/13 ロケの疲れもかなり残っていたのだが、朝早く起きて洗濯などの家事を進める。数日ではあっても家を空けた後は洗濯や片付けなどこまごまとした雑用が多い物である。

そんな中、旅行中の洗濯物を済ませていた洗濯機が突然動かなくなり、修理を頼む事になってしまった。最近家電に絡むトラブルが多くナーバスになってしまうのだが、洗濯機が壊れるなどと全く考えていなかった物だからかなり憂鬱である。連絡を取ったサービスの対応は良く明日には修理に出向いてくれるそうなのだが、ここの所頻繁に続く家電の不調に何もかもが信じられなくなってしまいそうである。

朝早くからいろいろな事があり、長い一日となったのだが、撮影の予定が一件先送りになり納品や打ち合わせなど、気になっていた用事をかなり片付ける事が出来た一日である。

テスト、本番共に、北海道ロケのフィルムは全て仕上がって結果としては満足の行く物だと思うのだが、新しい発見が無い事が少し物足りないようにも感じてしまう。


8/12 三日間の撮影は無事終わり、夕方の便で旭川を発ち、羽田からタクシーでスタジオに戻る。羽田着が8時頃の便だった為いつに無くスタジオに戻る時間も早くなり、機材の片付けや、フィルムの番記など、細かい作業を進められる。

慌ただしく道内を移動するスケジュールだったのだが撮った写真は以外と少ないように感じる。雑誌では無く、広告の取材なので、それぞれに時間が掛ると言う事もあるのだが、ある意味楽でもあり、また、少し物足りないような感じの三日間であった。

良く考えてみると、取材に出ていたにもかかわらず、スタジオのようにセットを組んでストロボでのライティングでの撮影が多かったからでは無いだろうか。時期的に北海道の食が旬を迎えるのはまだ少し先なのかも知れない。とは言え道内での移動距離は多く、九州に例えるならば、福岡から長崎を廻り鹿児島へ出て、奄美大島から沖縄迄行って戻って来るような感じである。北海道が九州より遥かに広く、交通が完備されていない事をついつい忘れてしまいがちである。

一日の7、8時間は常に移動に取られている状況だ。写真に就いては、スタジオで撮ったような物が多いので、何となく仕上がりの結果も解ってしまう。ロケとしての緊張感や、現場での偶然の面白さなどは、普段にくらべると幾らか少なかったように感じている。

倒れそうな夏ばてからスタートした北海道ロケだッたのだが日にちを重ねる毎に、だんだん健康が戻って来る自分を感じた。何故あそこ迄自分が衰弱していたかが今となっては良く解らない。2日程で三キロ痩せてしまったのだから、、、


8/9 あまり眠らないまま朝になり、やっと機材を積み込んでロケに出る。府中に住む料理研究家の自宅で撮影するとの事で、場所の広さが解らない為、アシスタントは使わなかった。

幾らか回復したものの体調がすぐれないので機材を運ぶ時などすぐに息切れし、貧血の為に動けなくなってしまう。それでも昨日の夜に比べたら随分楽になった。明日からの北海道の機材を用意して少し横になり始発で羽田に向わなければならない。


8/8 朝早く洗濯を済ませて10時前にスタジオに入る。かなり魂を詰めて全てのカットを終わらせたのだが、急に体調が悪くなり、激しい疲労感で動けない。

8/7 御盆を挟んで詰まって来たスケジュールの為、休日なのだがクライアントの立ち合いのある撮影。撮影は午後からなのだが、午前中は昨日迄のロケの片付けが忙しい。昨日の仕上がりが午前中に届いたのだが、思ったよりもフィルムの発色は良好だ。

幾つかのカットを明日に残し7時頃には終了したのだが、この時期、幾らかでも仕事を進める事は重要である。来週の北海道ロケのスケジュールがファックスで届き、羽田発が7時過ぎの飛行機でいつもながらハードなスケジュールに憂鬱になってしまった。

今はただ、こなせる物をこなして行く事が重要だ。その中の僅かな時間を自分の意志を伝える為に使いたい。


8/6 朝早く機材を積み込み撮影に向う。途中スタイリストと小道具をピックアップし9時半のスタート前に現場に入る。カット数は10カット程度で順調に進み現像所に寄ってからスタジオに戻る。

現場の駐車場で車のバンパーに傷を付けてしまったようなのだが、降りてみる迄は全くそのような感触を感じなかった。閉め切った車内で強いエアコンの風、外の状況がほとんど伝わってこない恐ろしさを感じた。狐に摘まれたようである。

ネットのニュースの片隅に写真家のブレッソンが死んだ事が載っていた。恥ずかしい事かも知れないが私は彼がとうの昔に他界していると思い込んでいた。スナップショットでしか作り得ない美しい構成、彼がいなければ写真が芸術としての地位を築く迄にもっと時間が掛った事だろう。三脚から開放されなければ作り得ない芸術もあるのである。

決定的瞬間と言われる彼の画面だが、その言葉を額面道理に解釈していては、あのような名作は決して生まれる事は無い。そこにある瞬間とは、切り取られた時間では無く、相互の関係の中にある決定的、絶対的な美意識の空間である。カメラマンの能力、役割と言う物をもっとも分かりやすく世界に定着させたのは、彼ではないのだろうか。

しかしそれだけが、写真の芸術としての特異性では無い。瞬間と言う言葉はあまりに曖昧だ。人の感性が把握しにくい程早く動いている物に対して使われる。それは主体である自分が移動している場合にもあてはまり、その中の特定の部分が瞬間として認識されるのである。

空間を美に導く決定的要素。それは精神的にも物理的にも、その作家独自の物である。客体と主体との関係が美の世界を生み出すのであるが、物理的に早く動いている物だけが、人の感性を妨げているとは限らない。人の意識もまた、高速で走る電車に乗せられたように、自己の継続する意識の中で動き続けているのである。

たとえば廃虚。機能を失い物理的に静止している空間の中で三脚に固定されたカメラと被写体が向かい合い、一時間の露出が与えられたとしてもある意味それは決定的瞬間である。高められ頂点に導かれる作家の意識とうつりゆく空間の融合。その一瞬は二度とやってこない。


8/5 昨日のロケの機材を片付けたのだが、明日はまた別の料理のロケである。同じカメラを使うのだが、全てを点検し細かいレンズなどをセットし直す。明日はデジタルも併用する為、デジカメの点検をしてCCDを軽く清掃する。

デジカメのフィルムにあたるCCDの部分はすぐに汚れてしまう。絞りやレンズによっては気にならない事も有るのだが、スタジオ撮影の場合は絞って使う事が多いので殆どのゴミが写り込んでしまう。そろそろサービスステーションに清掃に出さなければならない。カメラのメンテナンスは次から次に時期を迎えるので、常にどれかの具合が気になっている。考えてみるとカメラマンと言うのは決して楽な商売では無い。

最近ブローニーのフィルムのエマルジョンが気になっていたのだが、昨日の仕上がりを見る限りでは問題は無さそうである。料理の撮影だとどうもパットしないのだが、増感する程でも無く、ちょうど微妙な仕上がりになる。そんな気になるフィルムであるが、来週の事を考えて今日かなりの量を注文した。

明日に備えて全ての機材をセットして、少し時間があったので、小さい方のワゴンチェストをペンキで白く塗ってみた。元の色が濃かったので何回か重ね塗をする事になったのだが仕上がりはまずまずである。ペンキの扱いが少し上手くなった。


8/4 都内のショールームでロケの為に車で出掛けたのだが、到着してからスタートの時間を30分間違えて遅刻している事に気が付いた。取引先の本社内での撮影と言う事もあり、つい確認を怠ってしまったようで大失敗である。それ程の遅れに繋がる事は無かったのだが、デジャブのように同じ事が5年程前にあったのを、ふと思い出してしまった。

撮影の量はそこそこ有り、8時頃の終了からは、他の撮影の打ち合わせ。車で帰る途中では、解っていたにもかかわらず、工事中の六本木を通ってしまい30分近く時間をロスしてしまった。決してぼーっとしている訳では無いのだが、何時も何かが頭の中を廻っているように感じる。

機材をスタジオに戻し、ラーメン屋に寄って食事をしてから帰宅。かなり遅くなってしまった。

ここ数日酒を飲んでないせいか、いろいろなストレスから抜けだせない。考えが同じ所を廻るのでは無くどんどん突き詰められて、極論とも言える結論が次々に浮かび、感覚を締め付け始めている。


8/3 昼過ぎに故障していたボイラーの交換の為に自宅に戻る。作業は1時間程でやっとお湯が出るようになった。僅か数日間だったのだが快適な暮らしは無くなってみないとその大切さが解らない。

明日のロケの機材を用意した後自宅に戻ったのだが、久し振りの熱いシャワーにほっとする。少し落ち着いていた仕事なのだが、明日からは少しずつ忙しくなって来る。来週からは北海道のロケもあり、その前後には徹夜しなければならない日もありそうだ。

できるだけ体調には気を使ッているのだが、スケジュールが立て込んでくると機材のコンディションも心配だ。ハッセルのレンズはここ姑く壊れていない。

今日はキッチンの小道具用に2種類のタイルをベニヤ板に張り付けたパネルを製作した。パテで目地を作ったのだが、なかなかの出来映えでこのテクニックはいろいろな事に応用出来そうである。

昨夜、酒を飲まずに寝たのだが、不思議な夢を二つ見た。二つともテーマは同じで、あたかも映画のように2本続けて違う自分が違う人生の岐路にいた。ベッドの中から見える風景で未来的なラジカセが淡い光を放っているシーンと、破壊された家の中で氷で出来たアワビの貝殻を手の中に持っているシーン。極端に曖昧な物と、破壊を伴う厳格な物。その両方がとても美しい。


8/2 午前中に2本の打ち合わせはけっこうハードで、渋谷で昼食を済ませた後は、ちょっとバテ気味である。3時過ぎに先日お湯の出なくなったボイラーの修理がある為自宅に戻ったのだが、5分もしないうちに部品が製造中止の為修理不能という事になり、翌日そっくり新しい物と交換する事になってしまった。まだ使えそうなのに、複雑な心境である。

スタジオに戻り、台所の作業を進め、作業台の穴を埋めてゴミ入れを装着し、台所に関してはこれでほぼ完成。狭いスペースが考えられない程使い易くなった。後は使ってみながら少しずつ改良すれば良い。

追加の請求書や、急な見積もりなどを済ませたのでスタジオを出るのがけっこう遅くなってしまった。途中でラーメン屋に寄ってから帰宅。暑さが和らいだが、お湯に浸かれないのはさすがに辛い。


8/1 午前着の宅急便を待っていたのだが、待っている時に限って中々届かない物で、結局出掛けられたのは12時を過ぎた頃である。先日の買い物がけっこう残っているのでできるだけ早く出掛けて、少しでも早く戻って作業を進めたかったのだが、スタジオに戻ったのは4時を過ぎた頃である。

今日のスタジオでの作業はキッチン内部に関する物で、新たな棚を作ったり、買い揃えている道具類の整理などが中心だ。かなり片付いたのだが、電気の調理機を外した為に出来た穴をうめる事が次の作業である。

先週メールを出してあったNYの栗田紘一朗さんから返事が届いた。突然一方的にメールを送ってしまったので少し気まずい気持ちがあったのだが、9月に東京での展覧会の為に来日する事などが書かれており、私にとっては予想していなかった機会なのだが、作品に触れる事だけで無く、できれば直接お会いしてお話を伺いたいと考えている。

今の自分にとって、何をする事が最も良い事なのかは解らない。良く考えてみると間違った方向に努力しているように感じる時もある。しかし、ここに居続ける為には色々回りくどい努力も必要なのである。それはたとえば地方の小さな島に移り住んだとして、そこなりの風習に従って葬儀や祭りをこなして行かなければならないのと同じように、この町に合わせて多角的に自分を表現する手段を常に考えて身に付けなければならにと言ったような事なのか。


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