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7/31 朝シャワーを浴びようと思ったのだが、いくら待ってもお湯が出てこない。どうやらボイラーが壊れたらしく、修理が手配できた月曜迄はお湯の出ない暮らしである。
昨日購入した物を棚におさめるべくスタジオの片付けを続けていたのだが、夕方からは隅田川の花火大会に招かれていて、4時を過ぎた頃にスタジオを出る。花火大会に招かれていると言っても、写真を撮るのでは無く、花火の打ち上げ会場の隣に位置する会社が取引先で、本来ならばこちらが接待する関係にあるのだが、事のはずみで花火見物に招待される事になってしまったのである。 場違いに招待されている事に加え、同伴する物も無く一人で出向いてしまった物だから、かなり心細い入場だったのだが、いざ始まって見ると明るいうちは芸能人のショーがあり著名な方もちらほらと見受けられ、引き込まれるように花火が始まってからは、トイレに立つ事も出来ないほど集中して見入る事になってしまった。 それにしても周りの人出は尋常では無く久しぶりに寿司詰めの地下鉄に乗って戻った事もあり、帰宅してからは疲れでぐったりである。東京で花火を見る事など、この会社に呼ばれる時以外、出向いた事は無いのだが、御盆の時地方に旅行した時などに、海岸で上がる花火を遠くで見る事が時々ある。真下から見上げる花火は確かにすばらしい物ではあるのだが、私は遠くから見る花火の方が好きなのかも知れない。 静かな港町の反対側の海岸から海に上がる花火を静かに見る。町には高い建物は何も無く暗い夜空にくっきりと一つづつ花火が上がって行く。澄み渡る静けさの中に誇らし気に、、、 |
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7/30 午後になってから小道具を探しに千葉方面に車で出掛けたのだが、まさかの大渋滞で3時間程首都高に閉じ込められてしまった。できるだけ車は使わないのだが、荷物のある時は仕方が無い。
夜遅くなってやっと東京に戻ったのだが午前中、仕事の合間に塗ったペンキの具合は中々良い物で、少しではあるが満足感を味わう事が出来た。 今日探していた物は小道具としてのボードを製作する為のタイル2種類、スタジオのキッチンを使って行く為に必要になる調理器具などだが、大きな鍋やケットル、電気オーブン、カットボードや実用のカトラリー、トレーやトングの類いなど様々で、今日揃わなかった物として、鍋や、ボール類、包丁、ゴミ用のトラッシュなどが待ち構えている。 今迄殆どの調理器具は自宅から運んでいたのだが、あまりにもスタジオには物が無く、私自信の仕事を考える上では、あまりに殺風景だったように感じる。実用本意で何か付加的な感覚を無視して来た事が、自分のスタジオでの仕事に対する態度にもあらわれていたのではと考えられなくも無い。 今回、できるだけ経費を使わずに進めている、リニューアルではあるが、無かった物は少しずつそろえて行かなければならない。これだけ料理の撮影が多いにも関わらず、自分のスタジオでは全くやらないと言うのも、私自信の仕事を表現する上で手落ちであったのでは無いのだろうか。 |
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7/29 午前中からスタジオに向い、経理の雑用などを進めながら台風対策として、ベランダの片付けをすすめる事となる。山手通に面したビルの6Fにスタジオはあるのだが、騒音や排気ガスが凄い事もあり、ベランダはほとんど使っていないのが現状で、雨が吹き込むシーズンになると、配水管がゴミで詰まったりと、いろいろな問題が起こりかねないのである。
小道具の一時的な置き場になっていたり、ペンキやいろいろな材量が置いてある為に、台風となるといつもの事なのだが慌てて片付けをするのがここ数年の習慣になっている。 3時を過ぎる頃迄は片付けに追われ、その後は二子玉のイラストレーターの作品を納品に出掛け、ついでに珍しい焼酎が置いてあると言う、狛江の酒屋に案内してもらってから自宅に戻る。 結局台風は思った程の雨を降らせる事は無かったのだが、これで姑くは天候を気にする事は無くなりそうだ。 夜になってからも8月のスケジュールについての電話が多く、クライアントに気を使いながら日にちを埋めて行く作業が続いている。今年は去年一年を取りかえす大事な年なので休みは取らず、1日1日を大事に使って行くつもりである。 |
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7/28 昨日済ませる事の出来なかった入金を銀行で済ませ、午後からは時間にも余裕があり、先日の続きの板ををミルクペイントで塗装したり、新しく作った作業台に足を取り付けたりと少しづつではあるが軽い作業を進めている。
昨日聞いたネコの話を反芻しながら生き物の事についいて考える。私がここを離れて地方で暮らそうと考えていた時、動物と暮らすと言う事が一つのテーマになっていた。それはあく迄何かを飼う、と言う事では無く共に暮らすと言う考え方だ。狭い部屋の中がいけないとか都会の環境が良くないとかそう言った一次元の問題では無く、自分では無く一緒に暮らす動物の都合で環境を決めてみたいのである。 人に飼われる事が嫌で、一人で暮らしている自分にはなんだか動物の気持ちもそう言う物に感じ取れてしまうのだろうか。実際家族の中に引きこもりがちな人間であれば、全く別の考え方をする事もできるのだろう。子供を手放す事の出来ない母親がいる世の中だからその観点から見れば、適応さえしていればお互いの幸福だと考えてしまうことも出来なくは無い。 たとえばそんな親子関係を不憫だと思うかどうかと言う彼岸が存在するように、私にはそんな動物は不憫にしか見えないのである。 結局はかなう事のない夢なのかも知れないが、その土地、その空間と一つになって暮らしたい。今の自分にとってここに根を下ろす事ですらかなわぬ夢なのかも知れないのだが。。。。 |
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7/27 午前中はテストのチェック、デジタルの現像処理。午後からは入金や打ち合わせ、本番が仕上がってからは納品など、茹だるような暑さの中こまごまと動き回る一日だった。
夜になって最近見かけなくなった近所のネコの事が気になって、近くの店に出掛けたら、少し前に病気で死んだ事を知らされた。久しぶりに遅く迄店で飲む。 |
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7/26 朝からの撮影は夕方迄続き、微妙なタイミングで現像所の集配に間に合わず、テストを出す為に渋谷の現像所迄出かける事となる。数えてみると結構なカット数だったのだが撮影の流れそのものは順調で予想していたよりは幾らか早く終わったように感じている。
昨日迄かなりの労力を使って幾つかの改良を加えているスタジオなのだが、今日の撮影辺りではこれと言った効率のアップは感じない。幾らか広くなり、すっきり片付いていると感じる程度のレベルである。 このスタジオのリニューアルの目的は今迄のスタジオの使い方を大きく変える為の物なのだが、そこ迄辿り着く事は容易では無い。つまり作業するスペースと言う単純な目的では無く、ある意味表現できる空間に変えて行く事が目的なのである。それは最終的には仕事の内容にも関わって来る事なのだが、ここに来る人は今迄は、ある程度限られた関係者だけであったのだが、これからは新しい人との出会いを考えあわせた空間にして行く事を考えている。 せっかくいろいろな人が集まる空間である。その一期一会を最大限に生かす空間に作り替えて行きたい。あくまでも理想ではあるのだが、、、私の活動を総合的に伝えられる事が、理想なのでは無いかと思う。 |
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7/25 朝から無心に作業をすすめる。板を張り合わせカットしたり塗装したりを繰り返している。昼過ぎに足りなくなったペンキを買いに東急ハンズ迄出掛けなければならなかったのだが、それさえも走るように休日の人込みをかき分けて僅かな時間でスタジオに戻る。
日付けの変わる頃やっとスタジオは使える状態に戻り始めて来た。明日の撮影迄に片付けを終わらせなければならないので結局深夜迄の作業になったのだが、やっと結果が形になり始め、少しではあるが報われて来たような気持ちである。 未だ終った訳では無いし、終わりのある物では無いのかも知れないが、幾らかの満足感を感じる。腰や肩の辛さはあるのだが無心になれる数少ない時がここにはあるのかも知れない。物を買う事では無く、作る事によって、、、、 |
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7/24 午前中かなりの時間を掛けて幾つかののメールを書く。ここ最近、特別時間が無かった訳では無いのだが、何か釈然としない苛立ちを感じる夜が多く、朝のスッキリした時間ならまとまりそうな感じがして、長らく溜めたままになっていた。
昼が近くなってしまった為、昼食がてらうどん屋に寄ってからスタジオに向ったのだがやらなければならない事が沢山あるので、その後は夜中迄缶詰めで作業をすすめる事になってしまった。 昨日に引き続き、板を張り合わせたり、塗装したりを繰り返しているのだが、途中2個の椅子の修理が完成し、幾らか気持ちにゆとりが出来たのを感じた。4キロのペンキの缶が殆ど空になり3キロの接着剤が無くなった。 自宅に戻ってバッハの平均律を聞いた。半ば偶然、ある意味引き寄せられているのかも知れないが、ここ姑くの自分の生活が意味のない焦りの中で不必要に追い立てられていた事に気付いた。暗室に散乱する企画書、意味のない妄想、値段の付いている不必要な物の羅列。何故この曲を長らく聞いていなかったのだろう。芸術も、創作も、快楽さえも、もっと無欲な物ではでないのだろうか? |
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7/23 昨日ギャラリーでかなりのウィスキーを御馳走になり、自宅に戻ってからも幾らか杯を重ねた事がこたえているのか少し身体の重いスタートである。昨日の仕上がりが全て揃ってからはバイク便で発送したり、来週の打ち合わせを進めながら、空いている時間にペンキを塗ったり、板を削ったりを繰り返し、少しづつではあるが作業を進めている。
こちらの方も少しずつ先が見えるようになって来たので作業にも幾らか希望のような物が見えて来る。始めた頃はしょうがない雑用と言った感じだったのだが、少し作業にも楽しさを感じるようになって来た。少し日が陰ってからはベランダも幾らか暑さが和らぎ、先日の暑さが異常だった事を思い出す。 |
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7/22 午前中は児童書の表紙の撮影なのだが、実際の物では無く、来年のシリーズの為のプレゼン用の撮影である。仕上がりはまずまずだと思うので、最近出したプレゼンの中では期待が大きい。午後からはレギュラーの書籍の表紙を3本。結構な量のように思えるのだが、いつもこなしている物は掛る時間も案外少ない物である。
夕方の現像の仕上がりを待って、下北沢のギャラリーへ知り合いの写真展を見にでかける事にしたのだが、住宅街の中にあるその不思議なスペースに辿り着くのにはかなり迷ってしまい結構な時間と労力を費やしてしまった。バーでもギャラリーでも無い不思議なスペースなのだが、ある意味どちらの目的も十分に満たす物で、もう少し便利な所にあれば私にとっても最高の空間のように感じた。 写真展そのものは心の中を駆け抜けて行く街角の風景と言った感じで、次々と肩に力を入れずに見れる物でこのスペースにもマッチしている。ある意味私の作品のように創り込んだ印象の物はまとめてみせるのが難しい場所かも知れないと思った。 多くの書籍の装丁を手掛けるデザイナーの方が今回の写真展の主なのだが、そこで紹介された方も出版会の大物でとても恐縮してしまう。多くの雑誌の創刊号を手掛けカメラマンの名前にも私の知る人が多く登場したのだが、自分にはこの出会いを生かせるだけの力があるのかどうか今の段階でも少し気後れしてしまう。 乗り馴れない井の頭線を神仙の駅で降り、歩こうかと思ったのだが途中でタクシーを拾い自宅迄戻る。何かもやもやとした物を感じながら1、2杯の酒を飲んで寝る。 |
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7/21 先週から考えていたのだが、スタジオのベランダに放置されていた数十枚のベニヤ板で棚や作業台などを作る作業に取り掛かる。この板は数年前に、建築関係の会社からサンプルを貰い受けた物で、半分程はすぐに加工していろいろな物に利用する事となったのだが、残りの半分は、そのままの状態でベランダに放置されたままになっていた。
もちろん今日一日をそれだけに使う余裕は無いので経理の処理を進めながら、連絡の合間や、適当に時間を作っては接着剤で張り合わせたり、サンドペーパーで角を削ったりして少しづつだが資材として使える形への加工を進めて行くのだが、経理の息苦しい作業には中々バランスの良いブレイクでどちらの作業もとても捗ったのをを感じる一日である。夜になって先日数人で集まった時の食材が沢山残っているのを考えて、友人を呼んで夕食を作る事にしたのだが、暑かった一日には丁度良い夕食で何時に無くビールが進むのを感じる。 できるだけお金をかけずにスタジオのリニューアルを進めなければならないのだが、私のセンスでは、なんだか限界があるのかも知れない。貧乏臭くならなければ良いのだが。できる事は全て自分で、、、、空いている時間は全てその為に使うつもりである。 |
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7/20 先週忙しく撮影したフィルムが全て手許に揃い、茹だるような暑さの中、広尾にある製作会社迄納品に出かける。今日予定していた一件の撮影は来週以降に延期になり、今日のスケジュールは半日近くポッカリと空いてしまう事となる。
何か得体の知れない衝動で、海を見に出かけようかとも思ったのだが、余りの暑さ故、車のオーバーヒートを気づかって郊外のDIYの店迄先日から気になっていたペンキや接着剤を買いに出かける事にした。最近進めているスタジオのリニューアルの為の物で、ペンキが5キロ以上だったり、接着剤も3キロをこえる大きな物をそろえなければならない為、郊外の店で無ければそろえる事が出来そうに無いと考えたのである。 午後3時を過ぎた頃スタジオを出て首都高を経由して埼玉にあるショップ迄出掛け、予定していたペンキや接着剤を慌ただしく買い揃え、とんぼ返りのようにスタジオに戻って来る。時間を気にしながら進めていても都内に戻ったのは8時を過ぎている。流石に今日は作業をすすめる事は出来そうに無い。 |
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7/19 昨日遅く迄酒を飲みながら話し込んだガラス作家の友人と代官山の町を歩く。彼女の作品が飾られている美容院は、今日解った事なのだが私の家の直ぐ近くだった。何年住んでいても、ある意味ここが自分に似合う町だとは思えない。散歩していても何かよそよそしく、妙に周りを気にしててしまう。
むしろ誰かと歩いていると落ち着いて町を見る事ができる。訪ねてくれた友人を案内すると言うか、地理的な事だけは分かるので、逆にいろいろな新しい店を教えてもらっているのが事実かも知れない。おかげで偶然立寄ったショップのセールで気に行ったシャツとTシャツを買う事が出来た。久しぶりに落ち着いた時間を過ごす事が出来たように感じる。 居心地の良い町。そんな物はあるのだろうか。新しい刺激が満ちあふれ、発想が刺激され未来が見えて来る。そんな話がつきまとう場所でさえ自分にはただのスーパーマーケットの中にいるように感じる時がある。1つ1つの店は小さな陳列棚で、フックから取り外した商品はあっという間に次の物に変えられてしまう。ギャラリーであっても雑貨であっても何も変わらない。 もし、そこに並んでいる商品が、私の作品であったなら、その町を愛する事ができるのだろうか。 |
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7/18 昨日の夜から少し体調がすぐれなかったのだが、夕方から数人で自宅に集まる予定があり、準備の為の買い物などをしているうちにいつのまにか回復しているのを感じる。途中渋谷でばったりとカメラマンの知り合いに会い、神岡鉱山に撮影に行った話しなどを聞く。
夕方になって久しぶりに会うメンバーが集まったのだが、イラストレーター、絵本作家、ガラス工芸家などで、かなり長い時間いろいろな話をした。皆今後の活動の拠点、方針などにそれぞれの考えを持っており長い目で見た協力体制のような物がおおまかな課題となった。できる事なら、それぞれが協力しあえる場所に共同の工房を立ち上げる事が理想なのかも知れないが、実際問題そこ迄親密な活動は無理かも知れない。 では何故そのように共有できる部分を求めるかと言う事になるのだが、もちろん作品の発表や販売など物理的な利便性も無いわけでは無いが、単調な創作の毎日に何かしらの刺激や、共感を感じたいと言うのが本音の部分であるのかも知れない。 私自身の場合郊外の良い環境に暗室や製作の拠点を持ち、残りの生涯を製作に没頭すると言うシナリオは何処迄あてはまるのだろうか。それに就いて最近考えていたのだが、未だに可能性と言うか、具体的な視野と言う物が見えてこない。そしてそれを可能にする物は、パートナーとしての隣人や、そう言った人間的な環境による物では無いのだと感じ始めている。自分の創作を支える自信。それをここで掴む事がもっとも大事なのかも知れない。確かに人は繋がり、支えあっている。しかし言葉は嘘つきで埃のように実態を伴わない物が多い。 生み出すもの、支える物こそが真実である。何時間も将来の夢に就いて語られても、その人の作品を見る迄は何も伝わらないのと同じように、空虚な褒め言葉も無意味である。 |
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7/17 昨日全ての撮影が終ったおかげで今日は幾らかスケジュールに余裕が出来た。京都に住んでいる方から作品の問い合わせがあり、わざわざ見に来て頂けると言う事だったので、何とか時間を作らなければならなかったのだが、ここの所の忙しさで中々都合が付けられず、週末の今日になってやっとお互いのスケジュールをあわせる事が出来、作品を見る為に自宅の暗室迄来ていただく事となった。
私の作品に限った事では無いのかも知れないが、写真や美術品を購入する方は幾つかのタイプがあるように感じる。特に写真に関しては、投資や保存的な目的が未だ確立されていない事もあり、直接その作品への思い入れが購入へのきっかけになる事が多いように感じるのだが、もちろん私のような知名度の高く無い作家の作品に関しては、その要因が全てであり、今回購入を希望されて出向いていただいた方に関しては、私の作品のオリジナルを一度も見た事が無く、展覧会では無くWeb上でその存在を知りメール上のやり取りでわざわざ出向いていただく事となったむしろ特殊なケースである。 最初に書いたように作品を購入する方には幾つかのパターンがあり例えば、海外も含めていろいろな作家の作品をコレクションしている、キャリアの長いコレクターのような方が多いのも事実である。そのような方が私の作品を購入していただくのはそれはそれとしてとても光栄な事ではあるのだが、ある意味、始めて画廊に立寄って、偶然目に止まった作品が写真であり、初めて購入する美術品が写真であると言う方も、私の作品に関してはけっこう比率的に多いように感じるのである。 美術品を購入する。それが工芸品であれ、実用的な物であれ、普通に生活を送っている人間にとって、どれ程特殊な体験であるかは十分に想像できる物である。逆に言えば、何時も自分の作品の制作費にしのぎを削っている自分にとって、未だに他人のプリントを購入した事は、恥ずかしい話しかも知れないが一度も無いのである。 学生時代、アメリカの西海岸の作家の作品が、始めて日本でも販売されるようになり、その美しさや珍しさに魅了されながらも当時の自分にはとても手が届く値段ではなく、ならば自分でと、技術的な向上心のきっかけにしていた事がその理由の1つにあるのかも知れない。 今回京都から見に来ていただいた方にはとても良い作品を購入して頂いたと思う。販売する上で価格の事やエディションの事など、自分の中にもいろいろなしがらみがある。何時迄続けられるかは解らないのだが、できれば何時迄も作品の値段は自分で決められるようにしたい物である。 5月に坂川栄治さんを訪ねた時に、氏が経営していたバーソウフォトギャラリーの話しになったのだが、日本には生活空間の中に写真を飾る習慣が、未だ熟していないのだと言うような話しになったのだが、その中でその感性が少しづつこれから育まれて行く為には、この環境に、少しでも良いから写真を販売し、空間の中に見なれた物として広めて行くべきだと言うような話しになった事を思いだした。 私の写真がどこかに飾られて、誰かがそれを見る。その連鎖が少しづつ広がっていつか日本にも写真の文化的価値が確立されるのではと不思議な期待を感じさせる一日だった。 |
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7/16 三日間続いた撮影がようやく終った。ほとんどスタジオに缶詰めだった為、身体にはかなりの疲労が蓄積している。今日はスタジオを変えて10年ぶりに使う恵比須のレンタルスタジオでのモデル撮影だったのだが、少し不便な所にあるそのスタジオが長い歳月で少しも変わっていないのは意外で、妙な懐かしさを感じてしまった。
2カットのイメージカットに加え、トータルで8カットと言うスケジュールはこの3日間の中では異常に軽く、台湾人のレディースとハーフのメンズのモデルはどちらもイメージにぴったりで、予定を大幅に繰り上げて夕方前には全てのカットを終了した。 機材の片付けや現像のテスト、昨日迄の本番の仕上がりなどのチェックは遅く迄続いたのだが、かなり繰り上げて、処理が進んだ事もあり、日曜日には知り合いと集まって食事をする時間が作れそうである。 スケジュールから開放されると言う事だけで何か不思議な開放感がある。学生やサラリーマンの時は休みの前はこんな気分だったのだろうか。何かが生まれたわけでも、何かが変わったわけでも無いのだが、、、 |
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7/13 昨日もスケジュールの合間を有効に過ごす為に一日中走り回っていたような気がするのだが、今日は更に時間に追われてハードな一日である。冷蔵庫の届く時間は12時頃と言う連絡があったのだが、そもそもその連絡の為に朝8時過ぎからスタジオに出向いていなければならなかった。
冷蔵庫の到着を待つ間に、周りの小道具を一通り片付けて、大きな冷蔵庫の入るスペースを作らなければならなかったのだが、それとは別に先月から始めたデジタル化の為のリニューアルの一貫として、今日はモニターを設置する為の台を作る事も予定に入っている。以前の冷蔵庫の上にあった棚を組み立て直して高さを高くして、重量に合うようにバランスを組み直す。仕上げにオイルを塗ったのだが、貧乏臭さは完全には消し去れないようだ。まあ何とか、ただなのだから、、、 しかしこのモニターの配置によって作業環境は飛躍的に向上した。これで電磁波を浴び過ぎて目や体が痛くなる事もない。 時間に追われていたのは冷蔵庫だけではなく先日アポをとった写真集の売り込みもあったからなのだが、出向いた先の担当者は活字系の人間で興味を示していないのがすぐに解ってしまう。 出版社の人間を沢山観察する機会を持った事で何かそう言う人間を見る目のような物が少しずつ備わって来た。最初の絵を見た時の反応で大体その後の展開が読めてしまうのである。最初の一枚で良いのである。きっと映像の中にも活字にできる物がぎっしり詰まっていないと落ち着かないのだろうと、幾らかうらやましいような哀れなような感じである。 人間の感性は一様な物ではない。共有できる人間とそうでない人間、その違いの中で今日始めてこのデジタルのシリーズも自分の分身のような、私自身の作品である事を悟った。ここにもまぎれもない自分が存在しているのである。今迄は何かにこびるような未知の物として授かって育てているような感じだったのだが、今日ハッキリと私の感性が生み出した物である事がわかった。 そんな事を考えながら電車でスタジオに戻ったのだが、途中東急ハンズに寄って小道具を購入したり現像所によってフィルムを受け取ったりで、スタジオに付いた時は大荷物で汗だくで、電車で出掛けた事を少し後悔した。そして明日からの撮影の機材の準備が遅く迄続き、この日記を書いていて初めて今日を振り返る。 |
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7/12 午後の空いている時間に美容院に出掛け髪を切る。何故だか昼間ポッカリ時間が空くのは月曜日が多く、床屋よりも美容院に行く機会が多くなる。恵比須の写真美術館もたしか月曜休館で何時も悔しい思いばかりしているように思える。
夜7時過ぎからの打ち合わせのスタートが少し遅くなり、かなり時間に余裕が出来た為、先日より探している冷蔵庫を見つけるべく秋葉原に出掛けてみたのだが、さすがは世界一の電気の町、すぐにぴったりの物が見つかった。ビックカメラなどの見積もりよりも1万円以上安かったのですぐに注文し、しかもも明日には届くそうである。 最近頻繁に顔を出しいる秋葉原であるが、何時も何かを買って帰ろうとノルマに追われるように通りを行き来する事になるのだが、今日はマック用の新しいマウスとジャンクの中から200円のキーボードを買って帰る事になる。 夜からの打ち合わせを終えて自宅に戻って試してみたのだが、新しいマウスはとても使い易く、明日にはスタジオのマックに付け替えるつもりである。ジャンクで買った初期のマック用のADBのキーボードなのだが、ほぼ完全な形で使える事が解り、掃除してみるとそこそこ程度も良さそうだ。1万円近い予算で買わなければと思っていた物がただ同前で手に入ったのだから今日はとても良い買い物に満足である。 何か買い物をしている時の自分は嬉々としているように感じる。物欲と言う事だけでは表現できない、経済的な観念に因る充実感があるようだ。まさに「我、買う故に我あり」と言った感じなのか。 打ち合わせは明後日からの撮影に関する物で、今回の3日間は一筋縄ではいきそうにない。体調の維持に気をつけなければ。 |
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7/11 昨日掃除の終った暗室でストックプリントのチェックを始める。朝食をしっかり取った為、午後遅く迄食事をする事もなく気が付くと8時間近くずっと作業を続けていたようだ。終ってから散歩がてらに食事に出たのだが、久しぶりに自宅の周りを歩いてみると、新しいカフェが何軒も出来ていて驚かされる。今の私には妙になじみが薄く一人で入るにははばかられる店ばかりであるが、幸福な人にはきっと素敵な店ばかりなのだろう。
ケースからプリントを出して各年代ごとにチェックしていたのだが、途中からくしゃみが止まらなくなり、マスクを探したのだが見つからず、タオルで顔を覆いながらすすめる事となったのでさながら泥棒に入っているような心境だ。花粉などいろいろなアレルギーはあるのだが特にハウスダストの類いはたちが悪く何かのはずみで突然始まると一日中体調を崩してしまう。結局作業が終わる迄、涙目で、鼻水が止まらず、重たい頭痛に悩まされる事となる。 過去の展覧会で使用したオリジナルプリントは、基本的に全て手許に保存してある。販売する場合は時間を頂いて、枚数がまとまった時点で仕上げるのだが、気に入っている物はたいがい多めにプリントするので販売用のストックも幾つかの作品に関しては存在する。それ以外にもいろいろな事情でキャンセルになった物などがマットの掛った状態で保存されていたりするので、時おり確認しておく事が必要になる。 今日チェックしてみて分かった事は色々ある。かなり多くの作品が予備のプリントを保管してあるのだが、マット迄仕上げてある物は極僅かで、特にキャンセルで残っている物などは、何時誰が注文したのだか、記憶にない物迄あり自分の管理能力を疑ってしまう。その他にも入金だけ頂いて、預かっている物や、記憶しているものとマットのサイズが違っている物などがあった。 結局在庫のリストを作る事は出来ず、記憶の中をひとまわりしたと言う一日なのだが、最近の自分にとってとても良い刺激を与えてくれたような気がする。 70年代、80年代、90年代それぞれトーンには特徴があり、初期の作品の黒の繊細さは、それ以後の作品には見る事が出来ない。90年代に入ってからの作品は、際立つ白が特徴で、黒の中のデティールは意識的に沈められている。もっとも積極的に製作に臨んでいた80年代は、日本の写真にとっては良い時代だったのかも知れないが、ファインアートとしては認識が低い時代で私の作品に対する評価は最低だったように記憶している。 これらの作業を通して感じる事。不思議な感覚なのだがそれは期待である。ここにないもの、つまり未だ仕上げる事が出来ずにある、ネガへの期待感がある。 作品を発表しながら、誰一人目を向けてくれないジレンマを感じていた80年代が自分の作風をとても幅の広い物に成長させたのは事実である。先日、今後の作品の傾向をある人と話している時に、私が抽象的なシリーズを仕上げるつもりだと言ったのに対して、それでは昔に逆戻りですね、と言うような会話になってしまった事がある。 その意味に関しては微妙な感覚がつきまとうのだが、仕上げてみなければ解らない。次に仕上げるもの、それが自分の中で新しい物である事は間違いない。 |
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7/10 東海地方での豪雨のニュースを聞きながら出かける事は断念し、午前中から自宅の掃除に専念する。ニュースとは裏腹に朝から良い天気でマットやラグを洗濯し、結局雨が降ったのは一時間程でそれ以外はかなり良い天気が続いていた。
午前中は居間や台所の掃除をし、昼食が終わってからは暗室のいろいろな所を片付けた。ふだんは調子の悪い暗室のエアコンが今日は不思議に一日中動いてくれた事が追い風となった。 夜になって気が付いてみると結局一度も家から出る事もなくずっと細かい片付けに追われる一日だった。最近いろいろな人からプリントに関する問い合わせがあり、手持ちで在庫している作品を確認しようと思って片付けを始めたのだが、その前に、と思って掃除を始めるとついついそっちの方に専念してしまう。 販売その物を重要視していないとも思われがちなのだが、プリントのストックはあまり持っていない。サイズの違うものなどと言われると金額は関係なく何時も断ってしまう。それはマスキングなどの物理的な問題もあるのだが、感覚的にサイズはその作品の性質の一部だと考えるからなのか。写真なのだから大きさは変更できると言う考え方に就いても微妙である。 最近の作品はマットボードにすらマウントしていない物もある。以前ならマウントする迄は仕上げた気にならない物だったのだが、、、ここの所1年以上展覧会の期間が空いているので自分の中では落ち着かない状態を送っているようだ。写真集の件が宙に浮いている関係で微妙に手がつけられないのだが、そろそろそれも限界か。 |
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7/9 昨日早く寝たせいで妙に朝が早い。洗濯を済ませた後スタジオに向ったのだが、9時の現像所の集配を待つ事となる。昨日の仕上がりは特に問題はなく、機材の片付けを終え、同じく昨日済ます事の出来なかったデジタルの現像処理を自宅に戻ってすすめる。
午後からは2件の納品があり、データを仕上げポジを整理して、3時を過ぎた頃に出掛けたのだが、どちらも問題なく届け終わり、久しぶりに渋谷のデパ地下で食料品を買い込んで自宅に戻る。いつもより朝が早かったせいで予定がスムーズに進んだのだが、気持ちの上では妙に落ち着かない一日だった。 昨日から何か自分と向かい合っていないような気がして落ち着かなかったのだが、来週の僅かなスケジュールの隙間に売り込みのアポを入れる。 僅かな可能性、ほんの少しのきっかけでも、写真集の出版に関わる事は積極的に動くようにしている。協力してくれる人間こそが自分の財産なのだと思う。 生まれ育った郷里や両親から離れ、生まれ持っていた素質から1つ遠ざかるごとに、私を支える人は増えてゆき、貴重な魂の財産は満たされてゆく。私の意志を貫き、ここを去り、次の世界に行けばもっと自分の求める物や、支えてくれる人がいるのだろうか。 |
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7/8 ロケは9時半からのスタートの為けっこう早い時間に家を出る事になったのだが、家のカギを掛けた時に何か変な感触がして、手許にあるカギを見てみると、先の半分が何とカギ穴の中に折れ込んでしまったらしい。カギはかかった状態なので、このままでは帰った時に家に入れないのではと思い、何とか残っているカギの部分を再びカギ穴に差し込んでみると比較的簡単にカギは開いた。
幸い自宅のドアには防犯の為に二つのカギが付いておりどちらか1つが掛っていればドアは開かない。さい先の悪いスタートに不安な一日になってしまったのだが、先方での料理の撮影は無事終了し現像所に寄った後スタジオに機材を戻してから帰宅。夜になってもかなり蒸し暑い自宅のドアの前で考え込んでしまう事となった。 もちろん朝出る時にカギは開けたので中に入る事はできたのだが、このままでは不用心なのでカギ屋を呼ぼうかと思ったのだが、それもなんだか面倒臭い。なんとか自分でシリンダーを外してみたら以外と簡単に分解できて、時間は掛ったのだが、折れ込んでいたカギの部分を摘出する事に成功した。再びドアに取り付けるのに結構な時間が掛り、全身に汗をかいてしまったが、不安な一日はやっと終った。 なんだかカギの事ばかりを考えていた為、ある意味、無心な一日で、カギを修理している間も妙に集中し、終わった後は何も考える事もなく、空白になっている自分を感じる。いつもなら今日一日の事などを遅く迄思い出して考えたりするのだが、あっさりと風呂に入り、ビールを飲んで11時には寝てしまった。 |
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7/7 この日付けを書いていて今日が七夕だった事を思い出した。他の日の事はあまり関心がないのだが、七夕は何故か、特別な日のように感じるのは自分でも少し不思議である。昨日はさすがに飲み過ぎた。二日酔いと言うのではないのだが、だるい一日である。
昨日伺ったデザイナーの遠藤さんとの話の中で、奥さんがかなり昔の事になるようなのだが、写真家の栗田紘一朗さんと知り合いである事を聞いた。日本で広告の仕事をされていた当時からずっとモノクロのファインプリントを追求されていたと言う事で、やはり日本では満たされる事のない世界観を、渡米してから完成させたのかなどと、勝手に想像してしまった。 当時はごく普通に広告の仕事をされていたようで、いかなる切れ目で、NYへ移り住んだのかとても興味のある所である。できればコンタクトを取ってみたいと思うのだが、どう切り出せば良いのかなどと考えてしまう。 明日のロケの準備を済ませ比較的早い時間に帰宅する。来週はけっこう忙しいのだが、スタッフの手配が未だ終わっていない日があるのが少し不安である。ふと、今度の週末はどこかに出掛けようかなどと思ったのだが、、、、、 |
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7/6 午前中はネガフィルムのスキャニング、月末に時間がなくて遅れていた振り込みなどを済ませ、午後になって知人に紹介してもらった、写真集などの書籍のデザインを多く手掛けるデザイナーの方を訪ねる。
写真集を企画しはじめて、大変多くの方を訪ねていろいろなアドバイスを頂いているのだが、今回もとてもすばらしい出会いを感じる一日だった。千駄木駅の近くの近代的なマンションの仕事場で長い時間話に夢中になっていたのだが夕方になって、一緒に仕事をされている奥さんが今度は谷中の町を案内してくれて、住人ならではの下町気分を堪能させていただいた。 暗くなりはじめる頃に、なじみ客ばかりの居酒屋で飲み始め、店を出た時間が思い出せない程かなりの酒を御馳走になった。久しぶりに長い時間飲み続けたせいで、かなり酔っぱらってしまったのだが、これも下町ならではの心地よさが為せる技である。 デザイナーの遠藤さんはたしか昭和10年代の生まれだと聞いていたので私などとは世代的にはかけ離れているのだが、第一線で仕事をされている方はいつまでも変わらない。そして谷中と言う町も実にすばらしい。 |
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7/5 先週の仕上がりの納品や、遅れていた経理の処理を済ませ、来週の撮影の打ち合わせなどをすすめる。昨日仕上がった約1000枚のプリントも夕方には納品を終え、スタッフ全員で長い時間を掛けてセレクトの作業に入る。
取りあえず消去法で絞り込む作業を繰り返し、最終的には200枚程度から、メインの候補の10枚を選びだす結果となった。自然な時間の流れの中で撮影した事が良い結果を生んだようで、表情などは申し分の無い物が撮れたようなのだが、やはり夏の日射しは強すぎる。 私のカメラに限って言えば、もう少し感度の低いフィルムを使っても良かったかも知れない。細かい事ではあるが、それも天気がとても良かった事が影響しているのだが、、、 今日写真を撰んでいて気が付いた事は色々ある。ふとした事で見落としていた面白い構図や意外な表情。自分だけで見ていては見つけられない良い作品もある。今回自分の中でこのシリーズを撮る為に考えた事なのだが、良い写真に仕上げない、と言うような物が頭の中にあった。結果的には、仕上がってみるとついついカメラカタログの作例のような型にはまった物も含まれていたのだが、バラバラに表情だけを追って行ったような自然な画面に新鮮な発見がある。 見る人間の感性はまちまちである。ここは一気に突き放し、作るべきイメージを先に作った方が勝ちなのではないだろうか。コンセプトは1つ。譲歩するべきではない。などと思いながらもついつい押さえのイメージも撰んでしまうのが悲しい性である。 写真学校の先生やコンテストの審査員などをやっていると、人の撮った写真を撰ぶ事に感覚が麻痺させられて、自分では本当に良い作品が撮れなくなってしまうのではないのだろうか。作品を見る目線と言う物は立場によって変わって来る。上から見下ろすように見る癖が付いてしまった人間には、自分の感性も何か見下した物にしか仕上げる事が出来なくなってしまうような気がするのだが、、、良い物を見い出す時、何かを求めるまなざしで、上を見上げてこそ感動や、発見が見えて来る。 色々と学ぶ事の多い撮影だったのだが、きっとふだん何気なく撮っている仕事の中でも同じような事があるのではないだろうか。セレクトを終了し、担当のスタッフと一緒に食事をしてから帰宅。途中スタジオによって機材を片付ける。すっかり遅い時間になってしまったが、1つ終わったと思うとほっとする一日。 |
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7/4 昨日の疲れが体の痛みや重さとなって辛い一日。ビックカメラの開店に合わせて渋谷に出掛け、昨日のネガのフィルムを現像に出す。近くのカメラ店でも良かったのだが、傷をつけられる事が多々あるのと、フジの処理で仕上げてみたかった。
渋谷に出たついでに新宿迄出掛けヨドバシカメラに冷蔵庫を見に行ったのだが、やはり丁度良いサイズの物は値段が高い。昼前に自宅に戻り、こんどは千葉のショッピングモール迄車で出掛けてみる事にした。高速道路を使い、会員制のモールなので期限の切れていたカードを4200円も払って更新したのだが、結局目当ての物は見つからず、渋滞を避けて慌ただしく都内に戻って来たのだが、無駄な出費と時間の浪費を考えたら通販で買っても良いのかも知れない。 夜になって渋谷のビックカメラへプリントの仕上がりを取りに出掛け、1000枚程のプリントをチェックする。目を通しているだけでも結構な時間がかかり気が付くと日付けが変わっている。一日をフルに使った割には充実感の無い一日で、花瓶の水を変え掃除をした事だけが今日の成果のようだ。夏物のシャツを出して何枚か洗濯した。 |
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7/3 千葉の九十九里海岸へロケ。周辺のスポーツ施設や、公園なども含め、広範囲のロケーションで子供達を撮る。企業のコンセプトイメージなのだが、ある意味よい笑顔がとれればOKだ。最終的な出力が数メートルのサイズなので、天候も考えた上で全てのカットをフィルムで撮影する。デジタルでも良いのだが、ここのところの日射しでは、幾らか階調に無理がありそうだ。
日が陰る頃にはぐったりしているだろうと思っていた子供達は、妙に最後迄元気で、一日のロケを終えた6時頃になっても遊び足りないと言う感じで走り回っているのには驚かされてしまった。 こちらはと言うと体力を維持させる為にかなりセーブしていたのだが、終了する頃になると走る事はおろか歩いていてもよろよろである。 今日の撮影でいつもと違っている事は、スタッフの全員にカメラを持ってもらい、同時にいろいろな角度から気に入ったシーンを撮ってもらったのだが、その本数も結構な物なので後で撰ぶのは大変そうである。進めていて以外だったのは、モデルのお母さんたちにもカメラを持っていただいたのだが、母親と言う物は、スタジオならきっと意欲的に撮影したと思うのだが、今回は日常的な空間の、日常的な子供達なので、一切興味を示す事はなく、忙しそうにその世話に追われている感じである。日常にある物はきっと撮るに足らない出来事なのだ。もっともである。 日が長くなった高速道路を、東京迄走りそこそこの時間にスタジオに戻る。かなり疲れたのだが、スタジオでの撮影と違って苦痛ではない。むしろ爽やかだ。 |
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7/2 千葉の九十九里迄ロケハンに出掛けたのだが、午後からは打ち合わせや、納品などスケジュールが詰まっている為できるだけ早く東京に戻らねばならない。早朝から出かけるつもりで気合いを入れていたのだが、今日納品するフィルムの仕上がりや、昨日の分のテストなど、いろいろな事を済ませていたら10時になってしまった。
混んでいる首都高を避けて環七を湾岸高速迄下り、2時間程掛けて予定していた公園に到着する。7月になった事を思い知らされるような強い日射しで、歩いているだけで汗が吹き出して来るのだが、海から来る風は心地よい。 完全に希望道理と言う訳には行かなかったのだが、ほぼ条件は満たされているので、明日に迫ったロケであるし、ここで全てを撮る事を決断する。広い公園を一回りするだけで結構な時間を取られ、現場を後にしたのは2時を過ぎた頃。4時半迄に都内に戻らなければならないので、かなり急いで車を走らせていたのだが、抜け道のつもりで撰んだ海岸沿いの道ばたに広い乗馬クラブが目に付いてつい、車を止めてしまった。 海が近い為か広い砂地のようなのだが、ウェスタン風の建物や、広い厩舎のような物があり、脇の方の草地にはエアストリームのようなトレーラーが置いてある。とても広いコースの側の、小さなトラックでただ一人だけレッスンを受けている人がいたのだが、私には今迄見たどの場所よりも、馬その物が美しく見えたのである。整然と並んだ厩舎の中の美しい馬もさる事ながら、広い砂地をかける姿は美しい。 世の中にこれ程魅力的な生き物がいるとは思っていなかった。それはとてもごみごみした都会の中で、それもきっと、人間の方が沢山いる所でしか、馬を見た事がなかったからだと思うのだが、吸い寄せられるように中に入り、気が付くとコーチの人に幾つかの説明を聞いている。 その生き物に触れてみたいのだがあまりにも時間がなく、名刺だけを交換し慌ただしく東京に戻る事となる。 |
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7/1 昨日のテストをチェックして本番の指示を出す。午前中に進めなければならない事は多く、昨日迄の仕上がりを出力して発送したり、スタジオで使う事になったキャノンのプリンターの部品を取りに出掛けたり、細かなスケジュールが時計の針を追うように迫って来る。
かなり焦って進めているのだが、先日撮影したネガフィルムのスキャニング迄は手が廻らず、このままではまた日曜日が潰れてしまいそうだ。夕方からは撮影もあり、終わってすぐにスタイリストとの打ち合わせ、忙しい中出向けない私に変わってスタジオに訪れてくれたスタイリストの方には本当に感謝した。 来週の料理の撮影のスタイリストが中々見つからなかったのだが、以前別の仕事で知り合った方が、厳しい条件を承知で引き受けてくれる事となった。今日だけならともかく、明日もクライアントとの打ち合わせに立会ってくれる事となり、人とのつながりこそが機材を超えた財産なのだと感心させられる一日だった。 昨日迄考えていた土曜日のロケ地として、千葉の公園を下見に出掛けなければならないのだが、明日のスケジュールはかなり詰まった状況である。朝早く出掛ければ、何とか打ち合わせや納品迄に戻って来れるかと考えているのだが、その後ロケの準備をするのかと思うと、気が重い。 昨日セッティングに取り掛かったスタジオのPCはソフトのインストールが進み、やっとデジカメのデータの現像が出来るようになった。まだまだインストール作業は続くのだが、取りあえずファックスやプリンターとは繋がるようになり、オフィス系のソフトもようやくインストールした。ADSLの環境がかなり遅いようなので重いドライバのダウンロードなどはかなりの時間がかかってしまう。 このスケジュールが一段楽したら万座温泉に、、、と何時も思っているのだが、同じように何かを乗り越えた友人がいてこそ休息と言う物は盛り上がる。会社に勤めていない人間にとって、同じ修羅場をくぐり抜けると言うような仲間意識とは無縁な物だから、ついつい休む事なくいつまでも働き続けてしまうのか。 無力で無能なまま1年の半分が過ぎてしまった。 |
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