作者近況2013 2013年09月 2012年07月 2013年05月 2013年03月

12/08 作者近況のサーバーを新しいWeb アドレスに移動する作業が完了。これで、自宅でのみ更新していたこの日記も他の場所からPCで更新できる。思えば10年以上古いMacを使い続けているが、これで、このMacも立ち上げる機会がぐっと減りそうだ。

新しいアドレスは masatophotography.com/diary/diary.html


12/08朝 自宅の外壁の補修工事があると言う事で週末に帰宅。実際の補修は、10分程で終わってしまった。逆に言うと、たいへんなところはそのまま。。。私の身体よりは丈夫にできていると思うので、雨漏りさえしなければあまり家の事は気にしない。生きている間は快適に過ごせれば文句はないのだが、、どうだろう、、、

ウィークデイはスタジオの仕事が忙しかった。そんな中、深夜まで渋谷で打ち合わせをした後、戻ったスタジオの留守電に、学生時代の親友の死亡を告げるメッセージが入っていた。連絡の糸がつながらず、、知らせてくれた友人も、前日に知らせを聞いたとの事。。亡くなったのは、夏だった。。。

同期の友人や、研究室のメンバーは、どう言うわけかどんどん早死にしていく。(本当に不思議だが)、、、もう、知り合いも少なくなってしまったが、彼が死ぬと言う事はまったく想像出来ない出来事だった。

学生時代はあまり付き合いの良い方ではなかったので、お互い親しい友人は少なく、たまに連絡をとるのは彼ぐらい。。その連絡も、昨年の個展を知らせようと電話した時に留守番電話だったのが最後だったような、、、、、、、、

私は、創作に於いて、人から影響を受ける、、、と言う事があまり無く、今でも特に親しい人間はいないのだが、、、自分の創作スタイルは、彼に出会った事に由来する。。。現在まで、作風は変わったが、創作を続けてこられたのは、学生時代の彼の影響が大きく関わっていると思う。

当時も、今でも、唯一、私の芸術を理解する人間だった。彼の死を知って、何かが変わるのか??

整理の付かない気持ちはあるのだが、、私も彼も、、、もっと自由になるのだと思う。。何かが変わるのか?私の中に本当のの芸術はあるのだろうか?


11/30朝 昨日のプリントのフラットニングを終えたところ。フラットニングを終えてバライタ紙は初めて美しい光沢を持つ。細かいテクスチュアが初めて見える。それは印画紙の種類によってかなり差があり、、、、ここで輝きはじめる紙が好きだ。微妙な再現性、、、ルーペで細かくチェックする。。。

月曜にアメリカに発送したプリントが木曜の朝には届いて連絡をもらった。ギャラリー宛に発送する事はよくあるが、個人宛に発送するのは初めてで少なからず不安があった。Web での注文だと、コミュニケーションが不十分な場合もあるのだが、喜んでもらえて、とても嬉しい。

今回は初めてFBから。Web 宛にメールをもらう事は時々あるのだが、信頼関係を築くのに時間がかかり、結局ギャラリーにまわしてしまったりする。。FBからだと、漠然とではあっても、お互いのキャラクターが伝わるので、話がうまく進む。とにかくよかった。

昨日はバリポイントの引き伸ばし機で仕事をした。この機種でなければ仕上げられないネガではないのだが、いま手掛けているネガが、どのように仕上がるのかとても興味があったから、、、そして、ここ一月、、、ずっと同じネガを手掛けている。紙を変え、光源を変え、このネガの可能性を、全ての角度から見てみたい、、、、

なぜ、このネガに執着するのか?その理由はただ一つ。。。プリントの大きさによって、とても印象が変わるように感じる事。。。それは当然の事で、どんなイメージでもよくあるのだが、、、つまり、、、印画紙のレンジの中で、特定のゾーンの情報を、最大限に再現する事ができないのか???プリントの密度を上げたいと思っている。

ここで、まず重要なのは紙の解像度。印画紙は、特定の濃度に際立った解像度を持っている。まず、それが、表現したいゾーンに入っていなければならない、、、そして引き伸ばし機の光学系。

ネガの情報は、例えコンタクトプリントであっても、それを印画紙に伝える光源の性質に大きく左右される。私の解釈だと、光源が点に近付く程、情報は正確に伝えられる。これは、つまり、、、スキャナーがドラムと、フラットベッドで性質が異なる事に似ている。

では、引き伸ばし機の光源は点であれば理想なのか?、、、勿論、点光源であれば最も多くのネガの情報が印画紙に正確に伝えられる、、、しかし、、、それが必ずしも理想ではない、、、、、

ネガには、光によって撮影時に記録された以外の情報、、銀粒子がフィラメントを結成する独特な立体情報が形成されている、、、これがある時は作品に味を与え、、そしてある時はそれをさまたげる。。。

光源の大きさは、そのイメージを銀粒子の中で、最適化する重要な役割を持っている、、、ネガの中の画像はある意味、、立体だから、、、

そして、、、今朝は、全てのプリントを見比べている、、、、ルーペで見る、スコープで、、、そして老眼鏡、、、細部の情報をチェックし、それぞれの再現性をくらべる、、、たしかに、、点光源に変え、私の欲しかったゾーンの解像度は上がり、大きく伸ばした時と同じような情報が再現されている、、、では、全体のイメージはどうなのか???これは微妙だ。。。今まで見えてなかったざらついた感じが、柔らかな水面に感じられる、、、、特に中間調、、、全て同じ濃度に仕上がった4種類のプリントを見比べている、、結論は出ない。。。

プリントの大きさはとても重要だ。それは、、情報量だけではなく、額に入れて飾った環境にも左右される。。。絵画であれば、大きさは変わる事がなく、額と一体になりいつまでも物体として存在する。。。

大きさを変えられる事、、写真はすばらしい特長を持っているのだが、、、物質として、工芸として完成させるにはフレームや、余白の問題を、作家自身が最適化する必要がある、、、、、、、、一つの作品に、、どこまで気持ちを込める事ができるのか、、、希望を持って。。。


11/28朝 少し天気が悪くなったが、暖かい。窓が結露する事はなく、外がよく見える。先日の低気圧で赤い紅葉の葉っぱがほとんど飛ばされてしまったのだが、今日見ると別の木が黄色に染まって新しい紅葉を楽しませてくれる。

色彩は人間の生理的な感覚にとても敏感に結びついていて、色彩無しに芸術が存在するとは思えない時もある、、、

しかし、うつろいゆくものの奥にあるもの、、自分の求めるものを探し当てるにはまだまだ時間がかかると思う。目に見えない美しさのような、?おそらくは引き算なのか?何故写真なのかもまだわからない。

私はヨセミテには行った事がないのだが、おそらく、A.アダムスの作品以上の物はそこにはないだろうと思う、、、

ここ数日、新しい紙を試している。イルフォードの価格があまりにも上がってしまいARISTA (アリスタ)のEDU を試している。他にも、試したい紙はたくさんあるのだが、あまりにも浪費する制作スタイルと、昔から、、、(貧乏だった学生時代、、、今でもそうだが)魔法の印画紙などない、、、そう思いながら手に入る紙でベストを尽くす事を考えて来たので、余り広範囲の浮気は性にあわない、、、、

アリスタの紙。。。イルフォードより2〜3割程、感度がある感じ。イルフォードのテストデータが85Vのプリントを79Vでほぼ同じ結果になる(私は電圧で微調整をしている)。これはローライのビンテージに近い感度だ。。

印画紙の持つハイライト側の感度を最大限に試す為に軟らかい現像液でチェックしているが、ハイライトはそこそこ軟らかい、、、これがクラシカルな印象で、人気のある所、、、最高濃度は、この現像液では判断出来ない、、、A120 を使用している、、、

ローライほど特長のある白の軟らかさはない、、、むしろイルフォードに近い感じ、、ただ、かなり落ち着いている。これなら普通の現像液も使えそうだ。

ここ数週間は、同じネガを伸ばしている、、、、、、、、違う光源を試してみようか、、、


11/25 ずいぶん長く日記を更新してなかった。

この2週間。妙に規則的で、平日はスタジオで過ごし、土日は友人が訪ねて来て千葉で過ごすと言う、、何となく普通の生活を味わっていた。。。そして今週はひさしぶりに、暗室で作業しながら千葉で過ごしている。天気が良くて暖かく、冬が来るのを忘れてしまいそうだ。

新しくなった暗室に早く慣れなければならない事もあるのだが、先日入手したアリスタの紙を試している。

気になっていたのはセーフライトのタイプ。。。

よくある事だが、パッケージにはRed の表示。さほど感度の高い紙ではないのでそれ程気にはしていないが、最近いろいろな人から、セーフライトで紙がかぶったと言う話を聞く。

ブロマイド紙ならともかく通常のクロロブロマイドでセーフライトはあまり気にした事はない。。。ほとんどの印画紙がマルチグレードになった頃、暗室のセーフライトをイルフォードの902に統一した。暗室内は作業する場所別に5ケ所のセーフライトを設置してあるのだが、その全てをワイヤレスのリモコンでコントロールしている。つまり必要な時だけつけるのであまり考えた事がなかった。

最近、Red の表示をよく見るので、考えるのだが、昔は、暗室と言えば、赤いライトの下で怪しげな作業をしている印象だったのに、実際に赤いセーフライトグラスは近年あまり使われていない、、、、しかし、、、40年前に入手したセーフライトグラスは、たしかに赤いセロファンを硝子と紙の間に挿んで作られていた、、、セーフライトグラスは何故、赤ではなくなったのか???

キャビネのフィルターで販売されているイルフォードの902はあきらかに赤ではなく、黄色から緑の色に近い印象を受ける、、、ところが、、セーフライトユニットで販売されているイルフォードのSL1はもっと赤に近い感じを受ける、、、この違いはなんだろう?

普通に印画紙の感光域を考えれば赤の方が波長が切り詰められていて感光しにくいと思われる。昔の話だが、引き伸ばし機にも赤のフィルターが取り付けられていた、、、つまり赤ならば感光しない、、、SL1は指定のバルブではとても明るく感じる、、それに比べて902はいくらか透過率が低いが、オレンジから黄色の広い波長を感じる、、、、、

マルチグレードになって、感光域が広がった、、、そんな話で、フィルターは変わって来たのだが、赤であれば問題なかったのでは?あるいは、マルチグレードのハイコントラスト側の感光域には赤に近いポイントを持っているのか?しかし、、、SCのフィルターでチェックすると赤にはまったく感じない、、、、

まあ、われわれはテストするので問題ないのだが、、、作業する環境がまちまちなので、、人に聞かれてもうまく答えられないジレンマもある、、、、印画紙に赤フィルターは万能ではないのか?????もちろんパンクロは別だが。


11/11朝 金曜の終電で戻り週末を過ごしたが結局暗室での作業はしなかった。スッキリしない体調もあるのだが、どんよりした天気ですっかりテンションが下がってしまった。何より先週、来週共に、仕事のキャンセルがあり、、、時間に余裕がある、、、そんな気持ちが、けだるさを生んでしまった、、、

ここに暮らしているととても天気に左右される。まる2日自宅にいたわけだが一度も外出せず、やった事と言えば、、余った端切れの木材で、掘りごたつ用のヒーターの枠を仕上げた事、、、意外と手間だった。

そして、ここ数日、しきりとネットで調べているのは、SONY から出た新しいフルサイズセンサーのデジタルカメラ。アメリカに続き、日本でも発表され、来週には発売される。

私はメカに馴染むのが早い方ではないので、一度購入するとデジタルのカメラも非常に長く使う。その為、モデルチェンジの少ない、最上位機種を購入するのだが、NIKON からはずいぶん長い間ニューモデルの発表はない。

デジタルでコマーシャルの仕事をするようになって20年近く経つが、、、スキャナーもそうだが、特にカメラは一台で全てをこなす事は不可能で、同じフォーマットであっても、フィルムのようにそれぞれに被写体との相性がある。その為、たとえばスタジオライティング用、ロケの人物用、自然光のイメージ用と、三機種を使い分けている。

ほとんどが、化石のように古い機種だが、、、ただ一つ、自然光で、人物やイメージ撮影するのに使っていSONY のアルファシリーズは価格が安い事もあり、最新モデルを使う。。。

今年導入したアルファは、驚く程性能が向上してい、操作系もNIKON などに近くなり、ぐっとカメラらしくなった。

SONY を使いはじめたきっかけは、ミノルタ時代のレンズに使いたいものがあった事と、センサーでの手ブレ補正。これを広角系と組み合わせる事によって、独特な臨場感が出せる、、、光学系の手ブレ補正とはひと味違う。。。。その後、古いアルファの50ミリレンズも購入し、サブのつもりが、このカメラで雑誌やカタログの表紙をこなす事もたびたび、、、有機EL のファインダーは、マニュアルフォーカスにも意外と優れている、、、

今年から使いはじめた新型は、スペックなど、何も知らずに購入し、、、「ファインダーを覗いて初めて光学式でない事を知った」、、と言う落ちもあるのだが、、、仕方なく使いはじめると、同じ取材中、NIKONと交互に使っていても、違和感を感じない程慣れてしまった、、、、デジタルで撮るのだから、ファインダーもデジタルで良いのでは?そんな事も感じたりする。。。

そんな感覚で興味を持ったのが、新しいミラーレスのフルサイズボディ。。。デジタルカメラにミラーはいらないと思うのは私だけ?

このミラーレスをスタジオ用に購入しようかと、、、もちろん、、センサーのタイプから考えると、少しでもアオレば、カラーシフトが起きて物撮りには使えそうにない、、、、しかし、最近そんなシビアな商品撮影はしないし、料理なんか、ストロボのモデリングだけで撮る方が多くなってしまったわけだし、、、、高価なスタジオ用のカメラは買わなくても良いのではないか???

そもそも高いリース料を払う事は最近のスタジオ事情から考えてまったく無理だし、、、、もし、、これ一台で済めば、、なんとも安上がり???

もちろん、安物買いのなんとか、、、、と言う最近のパターンも考えられる、、、、しかし、、何らかのカメラは買わなければならない。。。

もうすぐ発売だが、調べなければならない事はけっこうある。ライブビューはスタジオのモニターに出せるのか???スタジオの長焦点レンズとの相性は???SDやメモリースティックの信頼性は???良くある事だが、結局専用のレンズにしか最適化出来ないのか???そうなると、、、とても高い買い物になる。

今日はこれからスタジオへ。。。最近のデジタル事情も、少し勉強しなければならない、、、、、


11/05朝 昼の電車でスタジオに出かける予定。午前中はプリントの仕上げ。サインを入れたり、梱包の準備をしたり、、、。久しぶりに家事もこなした。朝早く洗濯したのでそろそろ乾いて出かける前に取り込めそうだ。気持ちよく晴れている。

暗室が新しくなって注意しなければならない事がもう一つ。今まではプリントや全てのネガも保管していたので、空調管理に気を使っていたのだが、作品を保管しなくなるっと、チェックを怠りがちだ。作業した後に、湿度計をみながらエアコンを使ったり、作業後の片付けや薬品の管理も何となく曖昧になってしまった。この点は要注意。

仕上げの部屋は、ドライマウントの後のコールドプレスの装置が完成。装置と言うのは大袈裟で、今までコールドプレスに使っていた重量級のの鉄板(クーリングウェイト)を、てこの原理で楽に持ち上げて、スポンジを貼ったボードの上に下ろすと言うもの。体力的に、クーリングウェイトを持ち上げるのはとてもたいへんで、ホッとプレスの終わった後すぐにプリントに乗せようとすると、腰をいためる。。。ずっと考えていた理想は、もう一台プレス機を設置して。ホッとプレスの後、すぐに冷たい状態のプレスをかける事だと思うのだが、大きなドライマウント機を2台設置する事は場所的にも難しい。

今週はスタジオで過ごし、週末に戻って暗室で作業の予定。広くなった暗室に早く体を慣らしたい。


11/03朝 マウントプレスを余熱しながらこの日記を書いている。ここ数日は、新しい暗室でプリント作業。数カ月ぶりだ。

新しい暗室でプリントを再開した。何度か移動した引き伸ばし機は、大きくアライメントが狂っていて調整やセッティングにほぼ1日を費やさなければならなかった。暗室はとても広くなった。作業効率も上がり、20枚くらいなら続け手作業しても、乾燥しながら続けられる。。。。水洗の効率は変わらないので、限界枚数は今までと同じだが、途中で乾燥する事や、前日のプリントのフラットニングが作業中にできるので、ストレスが少ない。

広くなった作業スペースに慣れていないので、足が痛くなってしまった。これは今までより、移動量が多い事、効率が良い為、座っている時間が無い事が原因。まだ、慣れないので、とにかく疲れてしまう。。。そう言えば、姿勢が自然に保てるので、腰の痛みは無いようだ。窓を大きく開けた時の海の見え方も好きだ。

今回のプリントサイズは11x14。テストプリントではなく、作品として11x14を仕上げるのは久しぶり。若い頃はこのサイズが好きで、展覧会ではこれより大きなサイズは使用しなかった。最近では16x20を展示する機会が多く、こちらのサイズが自分の中でメインに感じるようになって来た。

特に今回作業したイメージは、16x20で、販売の進む作品で、イメージがすっかりその大きさで出来上がっている感覚。久しぶりに小さくするといくらかのとまどいがある。。。。そして、だんだん見えて来る。

プリントは小さい方が集中力が必要だ。。。より繊細に、より細かい所に気を使う。ある意味、年をとってくると、小さい方が辛いのか、、、アンセルアダムスの展示も、若い頃よりもだんだん大きくなっていったように記憶している、、、初期の物はとても繊細だ。


10/31朝 今日も良く晴れている。ここのところ体調がすぐれず、何とか回復させたいところだが、天気が良いものだから、仕事をしなくてもつい、遠くまで出かけてしまう。夜にはかなり疲れて、翌朝は体が動かない。

台風から数日経ち、穏やかな、なぎの日が続いているが、海岸には流れ着いた流木、堤防の上には打ち上げられたゴミなどが散らばっている。そんな我が家の前の漁港で、見なれない大きな網で何かを熱心に採っている人達がいた。部屋から見ていると、魚のようなものを捕まえて、車の荷台のバケツに入れている。小雨が降っているので他に人はいない。

最近、シラスの群れがやって来たり、やたらとタコが捕れていたりするので見に行くと、それはこのあたりではあまり見かけないきれいな熱帯魚だった。

「死滅回遊魚」この言葉を知ったのはルアーフィッシングをしている友人からだが、その後、伊豆に出かけた時など、防波堤の周りにいる色鮮やかな熱帯魚も、そう呼ばれている事を知った。

暖かい海流に乗ってやって来た南の魚は、ごく一部の例外を除き(稀に暖かい排水溝の近くや、地形的に水温の下がらない入り江などで生き延びる事はあるが)季節が冬に向い、水温が下がって繁殖する事無く死滅してしまう。。。北に向う潮の流れに乗ってしまった時から、彼らの運命は決まっている。

ほとんどはとても小さく、おそらく、海藻などに付着した卵や稚魚の状態で海流に運ばれ、夏を過ごして、大きさはほんの数cm。珊瑚礁の似合う鮮やかな色だから、このあたりの地味な海で、ひときは美しく目立っている。。。。。そう、、、台風の影響もあるのだろうか?子どもの頃に、台風の後、珍しい魚が捕れたニュースを地元の漁港で聞いた事がある。低気圧に運ばれて来る南の海水が、本来の生息域とは違う冷たい所に彼らを運んで来てしまう、、、、

「死滅回遊魚」彼らだけでなく、言葉の響きも、とても美しい。


10/28朝 朝日が海から登る季節。昨日は雲が残っていたが、今日はスッキリと晴れている。ここに差し込む朝の光は、北の廃虚の光に良く似ていて気持ちがいい。

台風の余韻の小雨の中、一週間ぶりに自宅に戻り仕事を始めたが、疲れが残っていて体調はあまりよくない。ストーブを出して石油を入れ、冬の準備も少しづつ。

少しづつ年をとり、自分は変わってきたと思う。それは、他人(たとえば昔の知り合いが)「あなたは変わった」と言うのとは、違う感覚。言葉にすると変な響きだが、自分は美しくなったと感じる。たしかに、頭髪は薄くなり、歯は抜けて体重も増えたかもしれないが、なぜか、若い頃より、美しいと感じるようになった。

年をとりはじめた頃(変な言い方だが)たとえば40代になった頃(あるいはそのずっと前からだが)昔の自分とくらべると集中力も無くなり、なにか、時に流されているような感じがして、だんだん自分は、朽ちていく、、汚れていく、、そんなふうに感じた頃があった。

当時から比べれば、さらに容姿は醜くなったのかもしれない。それだけでなく、たとえば体力も、理解力も劣っていくわけだが、そんな事は、あまり気にならず、何か、自分の心の中に、昔より美しいものが生まれ育ったように感じる、、、そして、自分は美しいと、、、

何かと比較できるものではないし、目に見えるものではないので、優越感とは無縁だし、言葉に出して表せるものでも無い。。。。ナルシズムや、エゴイズムとは関連づけられない感覚なのだが、、、、なにか、目に見えないものに自分の視点が移項したと言う感覚?

何に引き寄せられているのか?何が美しいのか?それは、目に見えないものだと感じる。目に見えない光、、、

自分は、美と言うものを、まったく備え持たずに生まれて来たように感じる。

それは今までずっと続いて来た感覚で、それ故に、美しいものを切望しながら育って来たのだと。

私が生まれた家には母と姉と、そして、父がいた。自分には家族が望むものは、何一つ備わっていなかったし、母親の愛情は、まったく無意味な私の中の他人に向けられていた。一つ違いの姉も、最後まで私を受け入れる事はなかった。そして、なぜか、、母と姉の言葉にはまったく逆らわない美しい父。


10/20朝 明日の撮影の為に車でスタジオに向う。今週は忙しく、明日、撮影が終わったら一度戻って、すぐに電車で出なおす。長引きそうなスケジュールに、車をスタジオに置いておくのはとても不経済。コインパーキングもバカにならない。

一週間以上人にあう事が無かったが、今週は、慌ただしくスタッフの多い撮影が続く。この変化が自分にはちょうど良い。

いろいろな所で、また、いろいろな人から、日本人の、アートに掛けるお金が少ない(個人的にアート作品を買わない)、、、そんな話を聞く。一般的な生活をしている人の話になるが、必ずしも、住空間がせまいから、、それだけでは無いと思う。

日本人は、あまりにも、集団の中にいる時間が多い。それはもちろん、密集した住環境、余暇の少ない仕事、なども関係しているが、「生活の基準が、集団なのか、個、なのか」と、言う部分を考える。

美術品を所有して住空間の中に置いておきたい。そう思う場合、(もちろん、人に自慢する為、、、そう思って買う人もいるとは思うが、)個人として、自分の為だけに、、、そう言う感覚が、大きな要素になると思う。集団の中の生活(感覚)では無く「個」としての、自分の時間、感性を充実させる事。

感性の基準、自分の立ち位置が、集団の中でしか把握出来ない人達、、、芸術はとても個人的なものである(もちろん、表面的な意味だが)。

芸術に関心を持ち、趣味として何かを始める、あるいは作品を飾りたい、、そう思っても、、集団で共有できる情報の中でしか、その価値を把握出来ない人が多い?、、、大衆芸術、、、これは情報としての芸術だ。文化は雑誌であり、TV、や、ネットで同じものが情報として常に流動的に供給される。そして、それをどう受け止めれば良いかと言うアドバイスも常に、多角的に、解説されている、、、これは、所有する芸術では無い。(共有する芸術?)

集団である以前に「個」である事。おそらく、その感覚が、日本人にはなじみが無いのだと思う。「個性」と言う言葉。これも、日本人にとっては集団に対して位置付けられ、ある意味、集団に対してアピールする力のように解釈されている、、、そう、、個性の中には、「受け入れる」部分もある。表現する事だけが個性ではない。

あまり、他人の作品を見る方ではないが、たとえばネットで見たものが(あるいは、印刷物もそうだが)、もっと知りたくて、実物を見に出かける事がある。。その時、あまりにも失望するものが多い。表面的に流通するには十分でも、実物として存在するとなると、あまりにも貧弱なもの、、、もう一歩先の芸術に達する事のできない世界、、、あるいは、他人の評価で満足してしまっているのか?そんな事まで考えてしまう、、、

他人事のように、、、そんな事を書いてしまうが、、、自分の作品にも、そんな事を感じる。。。何か満足出来なくても、とりあえず発表して様子を見る、、?

とにかくゆっくり自分の作品を見たいと思った。。。もう一度見直したい部分がある。

深い光沢、透き通るような透明感、、、突き抜けて、あるいは、こぼれ落ちてくるような光り。。。自分を満足させるもの。一人で過ごす時間を大切にしたい。ここに引っ越して来た事も、新しい部屋を作った事もその為だ。。。

体調がすぐれないまま作業を続けていたので、ここ数日酒を飲まなかった。。。眠れない夜は、いろいろな事を考える。

集団と自分。社会の中の自分?いつも思うのだが、集団である事に、、、言いしれぬ不安を感じる。。。これは子どもの頃は訓練されてある程度馴染んでいたのかもしれないが(違和感を克服しなければ生きていけない)年令を重ねるにつれ、顕著に感じるようになって来た。集団で何かをする事。あるいは何かに反対する事。。。たとえば、デモに参加する事はどうしてもできない、、、何か大きなものが一つの意志のようにゆらゆらと、あるいは激しく流れていく感覚。集団の作り出す意志、、、、

先日、久しぶりに、下の漁港を見に行った。ちょうど連休で、たくさんの人達が釣りをしていたのだが、、ちょうど、シラスの群れが湾内に入っていて、それを、小さな網ですくっている人がいた。シラスは大きな魚のように、一つの形になって集団で移動する。これは危険から身をを守る習性だと思うが、網ですくえば、何匹かが、運悪く(運良く)網の中に入る。あるいは、、時折、大きな魚が、下から襲ってきて何匹かは食べられてしまう、そう、群れからはぐれたり、遅れた魚も餌食になってしまう、、、

集団でいる事の不安。。。。。。大勢の中にいる事で安全だと感じる人、あるいは生きている実感を得られる人。おそらくそう言う感覚が多数なのだと思うが、、、そうではなく、、集団の中にいる事で死の予感を感じる。集団は自分にとって、存在を「無」にする場所であり、必ず自分は最初に、消えてしまうのだと、、、

集団でいる時に「生」を感じるか「死」を感じるか、、、この違いは何から来るのか???あるいは。。。集団の中の死であっても、それを受け入れる事ができるのか?私は、芸術は無力なものだと思っている。それは集団に大して働きかける力を持たないと言う事。。。それを無力だと言うのは、集団の意志を肯定する事になるのだが、、無力とは、純粋だと言う事。。。芸術は、密かに、誰かの部屋の中で、輝けば良いと。そんなふうに思ってみたり、、、、、、、、

朝から長い日記を書いていてすっかり遅くなってしまった。出かける準備をしなければ。。。激しい雨が降っている。

8月に販売した作品だが、ドライマウントの不良があって仕上げなおした作品も、引き渡しの為に持参する。車なのは好都合だ。新しい作業部屋で初めて作業したのだが、なんとも作業しづらい。結局は、、慣れなのだと思った。これから効率をあげる。

マウントしたプリントの角がわずかに剥がれていた。大きな作品なので接着力を優先したマウント方法をとっているのだが、温度が低すぎて融点に達さなかったのか、あるいは時間不足なのかは不明。ボードが2プライなので、額装しないで保管していると、不用意な力がかかってしまう事も要因か、、、

スペアのプリントに差し換える予定だったが、試しにもう一度プレスをかけるとしっかりマウントされたので、そのまま納品する事にした。今回は、特にコールドプレスをしっかりかけてある。少し様子を見てもらう。


10/19 乾燥用のブースが完成。本来は、水平でゆっくりと自然に乾燥させたいが、湿気の多い土地がらと、流しの下しかスペースが無いので、下から温風を送ってブース内の空気を入れ替えながら、ハンガーで乾燥する事にした。

最も重要なハンガーの形状だが、本来なら、窓わくの様な四角に、上下をクリップでとめれば良いのだが、まずは上下の2本のバーのみで試してみて、クリップの部分にクラックが入るようなら、いずれ作りなおす。

今日もアレルギーで辛い1日だった。理由はわからないが、一日中花粉症のように激しい症状。


10/18朝 昨日ホームセンターを2時間以上物色し、プリント乾燥ブース用の材料を調達した。理想に合わせて東急ハンズなどで探せば、時間はかからないのだが、おそらく、数万円はかかってしまう。今回、園芸用のポールやジョイントなどを組み合わせ、5000円程で仕上がる予定。

ついでに、黒のペイントスプレーも購入したので、引き伸ばし機の後ろボードを塗装。こちらは198円のスプレー。さすがに、もう少しお金を出しても良かったように感じる。スプレーとは名ばかりで、霧吹きのように、水滴状のペイントがタレながら飛んでいく。ま、、反射しなければ良いのでOK.

今日はこれから乾燥ブースを組み立てる。水平ではなく、吊るして乾燥するタイプなのでクリップの後は残るのだが、場所を考えると、しかたがない。。。


10/16朝 ほとんど眠らないまま朝になり、台風の通過でほっと一息付いた感じ。

地形的に北からの風雨には強く、逆に南や東からの海風にはめっぽう弱い。台風の接近に伴い風が北向きになり、海の荒れ狂うさまはものすごいのだが、窓に雨風があたらなくなり静かになった。

明け方を過ぎて、海上は晴れ間が見え、沖の方は台風の中心で晴れているのが何となくわかる。子どもの頃、台風の多い四国で育ったので、台風の目が通過するのを経験した事がある。その時は急に静かになり、ポッカリと晴れ間が見えるのだが、、、数10キロ先の海上はそんな感じだったのかもしれない。

子どもの頃は日本中、そんな気候だと思っていたから、被災すると言う感覚はなく、台風の通過は、とてもわくわくするイベントだった。もちろん被害も少なからずあるのだが、こどもだから、その莫大なエネルギーの神秘にやられてしまう。

もう一つの楽しみに学校が休みになり、それに加えて、運動会の季節だと延期になったり、中止になったりした。とにかく、集団で何かをするのが嫌いだったので、運動会が中止になってくれるのは、とてもありがたい、、、そして良いタイミングで台風は通過するのだが、、今日のように、夜明けと供に雨が止んでしまう場合がある。そんな場合、最悪の事体もある。雨水で使えなくなったグランドを、全校の生徒を集めて雑巾やバケツで排水し、少しでも早く乾燥させて、翌日の予備日に開催してしまう、、、

なぜ??、勝ち負けのある大会だとそこまで夢中になるのか。。。それがわからなかった。順位と言うものにまったく関心がなく、その為に熱くなる感覚もいつまで経っても備わらない、、、、無意味に感じてしかたがない。特に、集団の感覚?たくさん人がいるだけで醒めてしまう。

機械なら、それも良いのだと思う。数値で評価されて、、それはそれで納得ができる。。人間にはあてはならない、、、

台風の通過。まだ、海も空も荒れている。。。


10/13 やっと戻ったのだが、昨日はアレルギーで何もできなかった。今日は大丈夫。あまり働かず、昼前に下の漁港の様子を見に行ったり。。。

連休で人も多いのだが、イワシやアジが釣れ、しかも、時々大きなタコが罠にかかっていたり、シラスの大群が網ですくえたりと、、、連休に相応しいサービスがいっぱいな感じ。風もなく、穏やかな1日だった。

少し体を休めながら、、、そう思って、和室の片付けと、大きなラグの洗濯など。昼過ぎには乾く程、湿度も低い。

スタジオには4日程滞在して仕事に追われていたのだが、撮影で、、、と言うのではなく、飲み会で、疲れたように思う。とにかくタバコの煙りで肺が痛くなり、アレルギーもその時から始まった、、、少しづつ回復しているが、まだダメだ。

先日、目黒の美術館に8x10のカメラグループの展覧会を見に行った。会場はスタジオから徒歩10分くらいだから、初日にも顔をだし、翌日も、仕事の合間にゆっくりと。

特に8x10だからこうでなければならない、と言うしきりはなく、単にカメラとしての8x10が好きだと言う事なので、展覧会としてまとまった何かを感じると言う事もないのだが、コミニュケーションツールとして、あるいはファッションとして、、、と。言うだけではもったいないと感じるものもちらほら、、、意外なのは、コンタクトプリントがとても少ない、、、

私自身が、カメラの大きさに違いを感じるのは、フィルムの大きさと言うよりも、レンズの焦点距離と、最終的な光の通過する絞りの部分、いわゆるひとみの大きさ。これは感光材のサイズに大きく左右される。たとえば16x20のカメラを1200mmで使用すれば、人間の小さなひとみでは考えられない不思議な視点を持った映像になる。

たとえば、F値10だとしても口径は12cm。小さな感材では、通常の画角でその口径は難しい。

写真的な表現では、単にボケ、と言えるのかもしれないが、人間の脳は、どうしても輪郭で識別しながら見ているわけだから、その部分からすると、ある意味、リアルな視覚を得られるようにも感じる、、、

客観的に、全てを人間のひとみと同じように把握するならば、むしろ、、小さいサイズの感光素子の方が忠実。。。1900年代前半の、アメリカのリアリズム(写真的な)から考えれば、、現在のテクノロジーに於いて、大きな感光材はナンセンスだと思う。

自分にとって8x10と言うサイズは?と、考えるのだが、焦点距離に於いてなんとも中途半端に感じる、、、ピンホールまで絞っても、微妙にパンフォーカスな感じが得られない、、クローズアップでは特定の輪郭が障害になって、画面全体の抽象的バランスを組みづらい、、、これは、、私の能力の問題だが、、、、

では、自分にとって理想的な焦点が得られる感材の大きさはどれくらいなのか???現実的には4x5しか使わないのだが、なんだか、35mmくらいのコンパクトなサイズが、良いように感じる。そう、デジタルではそのサイズが調度よい。。。


10/08朝 昨日、最後に残っていた2枚の扉(前の住まいの暗室の遮光扉)をカットして棚を作り、リフォームにまつわる作業は概ね終了。これからは、作業が再開できるように収納した作品や、ネガの整理など。大工道具もとりあえず、片付けよう。

結局、乾燥ブースと、ドライマウント後のコールドプレスは未完成。新しいものを作るのは勢いもいるのだが、いろいろ考えているとめんどくさくなって、ついつい後回しにしてしまう、、、ここで途切れるとまずい、、、来週には手を付けよう。

乾燥ブースは、暗室を作った当初から、流し台の下にスペースだけは確保されている。そして、温風を送る送風機や、アクリルの扉は用意した。問題は、ペーパーハンガーの部分。そして、それを固定するフック。何か流用できるものを探していて、先のばし、、、アクリルだと加工に手間がかかるし、、、

これから電車でスタジオに向い週末まで撮影が続く。


10/04 千葉に戻って作業を再開し2日目。暗室の片付けが進み、やっとセーフライトを取り付けた。引き伸ばし機周りのハレーション対策などはまだ手が付けられない。通常の生活空間も、収納を失ったので物が散乱しているのだが、こちらも、作業で余った端材で、少しずつ収納を作り、片付けはじめた。

なかなか捨てられないものに衣類がある。今回のリフォームで衣類を収納する場所が無くなり、本当に必要なもの以外は処分しなければならないのだが、もともと着るものに関心がなく、最低限の物しか持っていない。しかし、それでもけっこうな場所をとってしまう。撮影用のダウンなどは、生涯で2着目だが、30年以上前の初代のダウンも何故だか捨てられない、、、、機能は失っていないわけだし、、、セーターもそうだ。。。つまり、かさ張る冬物は、それぞれ特長があり、、、処分を躊躇ってしまう。

結局、あまりかさの減らない夏物や下着を処分することに、、、、確かにこちらは無駄なものがある。めったに着ないシャツ、、30年前のよれよれのポロ、ボロボロになったジャージ、、、そして、靴下。。。。靴下は、特売のカゴの中から適当に買うのだが、ゴムがきつすぎたり、ゆるすぎたりして、履けないものがけっこうある、、、安物買いのなんとか、、、てなかんじで、捨てずに持っていても絶対にはかない、、、そして気にいって履いていた靴下は、、片方が穴が開いても、残りの片方を大事にとってあったりする???、、いくつもでてきた。。。

普通の人の感覚からすれば、それはもう捨てても良いだろう、、、そんなものを、一気に捨てる。といっても、何年も、服は買ってないので、捨てるものと、残すものの差は、微妙。

「服なんて、着ないものは、一度着て、洗濯せずに捨ててしまえば良い!」そんなふうに簡単に言う人もいるのだが、、なんだか肌に触れたものは捨てづらく、また洗濯してしまう、、、、そうすると、また、捨てられない、、、人間も同じ。


10/02 珍しく、明るい時間の電車で帰宅。激しい雨で、何度かぬれながら、、、

先日、珍しい取材で、動物園のチンパンジーを一日中撮影した。子どものチンパンジーを見ていると、自分の子どもの頃を思い出す。人間的な感覚と言うものは、以外と後天的なものが多いと思う。

たとえば「恥じ」の感覚。なぜ、恥ずかしいと思うようになるのか?しかし、、、これも、、はじまりがあり、きっかけがある。。。。そのきっかけがなければ、、その感覚は備わらないのだと思う。

つまり、動物もそうなのだと思う。常に変化し、、新しい環境は、新しい、感性を追加していく。。。

何が純粋なのか、、、遡るのではなく、、到達して突き抜ける事???




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