2月
作者近況 3月 1月 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月以前

5/1 連休前の仕事を全て終わらせて、夜の9時過ぎに東京を立つ。しばらくは三河湾で過ごす予定。

4/30 昨日久し振りに飲んだシェリー酒で幾らか体調の優れない一日。現像所も幾らか込み合っているようで急ぎのフィルムを出したのだが明日の朝迄仕上がらない。昼間の撮影はそれほど大変な物ではなかったのだが、夜になって納品や打ち合わせに渋谷から外苑迄歩いたせいでけっこうくたびれる一日となった。

今の所PCは正常に動いている。動いている時は希望的にもう壊れないのではないかと考えてしまうのだが、、、


4/29 先日から調子の悪いPCを分解して組み立て直してみる。何処に不具合が在るのかは全く見当が付かないのだが、少なくともどこかに物理的なトラブルが在る事は確かで、3回程全てを組み直した時にやっと起動する事に成功しバックアップだけは取る事が出来た。最近インストールしたリアルプレイヤーを外してみたのだが幾らか関係が在るのだろうか?1日掛かりで2度目のデフラグを行い今の所正常に動いている。

デフラグの処理を進めながら、上野の芸大にガラス工芸の展覧会を見に出かける。この展覧会は芸大出身でガラスに携わる作家を一堂に集めた物で、今迄芸大にガラス科は存在していなかったので色々なジャッンルの中からそれぞれのスタンスでガラスに携わって来た人達が、それぞれの作品を展示いしている。

つまり工業でザインの分野の作品も在れば空間でザインも在り、陶芸や平面構成、ステンドグラス迄様々な物がガラスと言う素材だけで寄せ集められた物で、普通に考えるとめちゃくちゃな展示になってしまいそうなのだが、ガラスと言う素材に対してして見る側が芸術的な固定観念をまだ持っていない背景に助けられているのか、かえって全ての作品を並列に観察する事が出来て大変面白い物に感じられた。

この展覧会に出向くきっかけとなった知り合いの作家の作品は、デザインと言う観念とは無縁の物で、彼女自身の一部、生命を継承するエネルギーを内側に秘めているようなオブジェなのだが、ここに展示されてみると、他人が見る事、触れる事を拒絶する佇まいで他の作品とは一線を画している。

殆どの作品が展示され人に見られ接する事で始めて存在価値を発揮する中にあって、その作品だけは沢山の人に見られる程小さく遠く、見えにくくなって行くような感じがするのである。

私自身はグループ展という物に何時頃からか嫌悪感を持つようになり、20年以上参加した事はないのだが、その理由がおぼろげに見えて来たような感じがして何故だかこっそりと逃げるように会場を後にしてしまった。旨く表現する事ができないその気持ちの中には、全ての人が金属やプラスチックで出来た人形を展示している会場に、自分だけが生身のか弱い自分の子供を置き去りにしているような何とも悲し気な感覚なので在る。


4/28 目黒のキッチンスタジオで月刊誌の撮影。予定よりもスムースに進み、渋谷の現像所に寄りスタジオに戻る。テストは7時過ぎに上がり、連休前なのだが以外と現像所は空いている。テストをチェックした後先日のアーティストの仕上がりを届け、夜遅く迄打ち合わせ。

途中、先日の料理のお礼の差し入れで、シェリー酒2本をもらう。2本ともかなり良い物なので愉しみである。今日の撮影は多量の野菜を使ったので、野菜も沢山持ち帰ったのだが、自分で選んだ訳ではないので色々目新しい物が入っていてそちらも愉しみである。

朝から1日中動き回っていて結構くたびれる1日だった。天気もかなり不安定で夕方はけっこう寒く渋谷迄電車で出かける時は又してもセーターを出す事になる。最近ひどく疲れを感じるのだが、これは肉体的な物ではなく、なにか生活への原動力のような物が低下しているように感じる。写真集の事、個展の事、HPの為の技術的な事など全てが中途半端で、収入と消費のバランスも、自分のエネルギーを喪失させている。


4/27 月末の支払日なので銀行に寄ってからスタジオに出かける。経理の処理が溜まっており昨日撮影したフィルムの仕上がりを待ちながら請求書を書く。明日の撮影の機材を用意して自宅に戻り、昨日の撮影分も含めたデジタルの処理を夜遅く迄続ける。仕上がった物から宅急便で発送し、少しづつ連休に近付いて追い込まれているのを感じる。

明日納品しなければならないアーティストの写真がほぼ出来上がりインデックスやモノクロのサンプルをプリンターで出力する。赤外フィルムのスキャニングには結構手こずってしまったが、ケミカルでプリントするよりは格段の時間の短縮になる。コンタクトプリントが取れるようにフラットベットのスキャナーを改造できればもっと効率が良いのかも知れない。

ここ姑く調子の良かった98のPCが全く動作しなくなってしまった為Macで全ての作業を進めたのだが、G4になって幾らかは速くなり、助けられた気がする。5年近く立ってしまった98は余りにも故障が多いのだがここしばらくは買い替える余裕がない。何とか蘇生させて切り抜けたい。


4/26 午前中に小道具の洗濯機が搬入される為、ノートPCで仕事を進めながら連絡を待つ。その他も含めた小道具は午前中に全て到着し、予定道理撮影を始める事が出来た。先日製作したアクリルの水槽でのカットなど、実験のような物も含め8時を過ぎる頃に終了し、データのバックアップを終えた後9時頃にスタジオを出る。

すぐにでも自宅に戻ってデジタルの処理を進めなければならなかったのだが、先日撮影したアーティストの写真を見たいとの連絡が在り、サンプルを持って近くの店に寄る事となり、帰宅するのは少し遅くなってしまった。まだ整理が全然終ってなくて現像されただけのデータなのだが、デジカメで撮った物は直ぐに見る事ができると、注文する側は考えがちなので困ったもので在る。

戻ってからかなり遅く迄、アーティストのモノクロデータをPCに取り込む作業を続ける。ネガのダイナミックレンジが特殊な為、処理にとても時間がかかる。


4/25 午前中は車をスタンドで洗車してもらい流石に必要の無くなったスタッドレスタイヤを夏用の物と交換する。ここ姑く長距離の運転が続いていたので作業をしながらかなりの時間をかけて車体の各部を点検する。新たに見つかった不具合は、又してもフロントのドライブシャフトのブーツが破損していることと、触媒のカバーのがたつき、デフのオイル漏れがひどくなった事だろう。車も10万キロ近くなると故障のサイクルが短くなるらしい。

塗装の状態も気になっていたのでほぼ二年ぶりに自分でワックスをかける事にしたのだが、屋根などに塗装の剥がれ始めた所が沢山在り、そろそろ全てにおいて手のかかる時期になったのだと気付かされた。暗くなる頃迄塗装の手入れを続け夜になって先日のモノクロのフィルムを現像する。非常に体力を使う一日だったので明日は筋肉痛になりそうで在る。


4/24 九十九里海岸の近くに在るクリスタルガラスの工場迄ガラス製品の買い出しに出かける。年に一度だけ開催されるセールなので、以前より頼まれていた数人を車に乗せて朝から出かける事となったのだが、これも朝になってキャンセルする者が在り、頼んでいたもう一台の車を急きょ断らなければならなくなった。

セールその物は毎年の事なのだが、けっこう買わなければならない物は在り、グラスや器など、20点程を購入し夕方前に東京に戻る。昨日の夜からの冷え込みが少し残っている感じで、厚着をして行ったのは正解だった。


4/23 天気も良く撮影は順調でデジタルとモノクロの赤外フィルムを使い3時間程で予定を終了する。3時からは出版社で月刊誌の編集者と打ち合わせ、更に銀座に寄って夜遅く帰宅する。先週、スケジュールの変更があった会社から又しても変更の知らせが在り、夜中の12時頃に結局都合をつける事を断念し、スケジュールを白紙に戻す事となった。

先月にも二度のスケジュール変更で同じような結果を招いた取引先なので、リスクの多い調整でこれ以上他社に迷惑をかける事はさけなければならない。会社よって管理能力には差が在るのでその部分を踏まえる事も仕事上の経験か。

今日撮ったデジカメのデータのバックアップに深夜迄かかってしまい久し振り異に酒を飲まずに寝る。


4/22 出版社までサンプルを引き上げに出掛けたついでに、渋谷のハンズで月曜日に使う小道具の材料を買いそろえる。水を入れた水槽の中で撮影する予定なので薄いアクリルを補強して小さなボックスを作る。接着剤の強度などは、いずれバライタ紙の水洗層を作る時に役に立つ情報なので、まんざら無駄な作業でも無さそうだ。

水槽を組み立てながら後輩が機材を帰しに来るのを待ち、7時を過ぎた頃やっと戻ったストロボを含めて明日のロケの準備をする。今日の夜は音楽関係のレセプションが在り、明日の午前中にそのアーティストのジャケ写を撮る。

最近沢山の出版社や編集社に出向くようになり漠然と感じるのだが、写真集の出版にこぎ着ける為に色々な意見を聞いていると、その感覚、アドバイスは皆バラバラで一人として同じ点を指摘する人はいない。若い頃は編集者の意見など真剣に聞いた物で、作品の方向性なども修正した事も在るのかも知れないが、いま、これだけバラバラでさかさまな意見が届いていると、自分の感性を信じ、そのままで協力してくれる相手を探す事だけが確かな方法に思えて来る。私はただ撮る事に集中し、売り込みはでかい顔をしたロボットにでも任せてしまいたくなる。


4/21 写真集の版元が中々決まらない事も在り、より広い範囲に展開すべく新しいサンプルを製作する。これは写真集その物とは線引きをして考えているのだが、このビジョンの可能性をより広い分野で受けとめてもらう事が目的である。

今迄に試験的に人物を撮った物や、イベント、リゾート、子供など、企画を組んで撮り下ろす事を前提にしたプレゼン用に準備していた作品なのだが、写真集以外のジャンルでの売り込みもそろそろ始めるので、気分的には営業ツールの感じが強く嫌悪感も在るのだが、重い腰を上げてやっと仕上げる事にした。

写真集を最初に展開すると言う、私の希望は決して無謀な物ではないと思うのだが、トビラの重さに幾らか疲れて来た事も事実なのかも知れない。勿論諦めた訳ではないのだが、かかり過ぎる時間にうんざりである。


4/20 昨日アポを取った出版社の中で最近最も感心を持っていた所に写真集のサンプルを持って出かける。新しい視点を展開する事をメインテーマにしているような出版の方向性が出向いたきっかけだが、売り込みの結果に関してはまだ少し結論迄時間がかかりそうで在る。

今回の売り込みとは関係ないのだが、この出版社が最近オープンしたギャラリーで川内倫子さんの展覧会が開かれており、最近新しい写真集を出版した事に伴う企画展示と言う解釈で見させていただいたのだが、写真展そのものを見ているといささかイメージが散漫で見る側に頭の中で構成しながら解釈を組み立てて行く事を要求しているようで、無作為なスクラップブックを覗き込んでいる印象を感じたのだが、傍らのコーナーに展示してあった写真集は展示してある作品のなぞが全て溶けて行くような見事な出来栄で、出版が主体になった展覧会と言う自分には今迄考えた事のないジャンルを展開している事に気付かされてしまった。

今回の写真展は確かに展示形態や作品のセレクトから考えて行くとあまりにも未熟で中途半端な感じがするのだけれど、出版されている写真集を見る事でイメージが完結する。プリントのみでイメージを展開する作家からは考えられないような構成であるかも知れないのだが、出版社が主催するギャラリーだからこそ「あり」と言える企画なのではないだろうか。

今回、自分が写真集を企画するにあたって、最初に考えた部分もそこなのではないかと思う。今迄の自分の展覧会の中で目録やカタログに類する印刷物は作った事も在るのだが、それが写真集として一人歩きする事はどうしても許せる物ではない。写真集はあく迄展覧会の作品とは別の、それを目的にした独立したイメージを持って、全ての関係を逆転させる力を持っていなければならないので在る。もちろんあまりにひどい展示では問題外であるが、、、

今回の写真集の企画に関しては、出版の部分だけが未決定のまま止まっており、その他の部分では色々なジャンルの方々から様々な企画を持ちかけられているのが現状だが、写真展に関しては私の頭の中では全く空白である。ギャラリーのオーナーから個展の話など持ちかけられてはいるのだが、今迄の展覧会の形態では何ともつまらない物になってしまいそうで在る。プロジェクターを使ったカフェでのイベントなどが思いつくのだが、映像と大きさや距離の関係は私が考える以上に複雑で今の段階では空想のレベルから抜け出す事はできないのかも知れない。


4/19 プレゼン用の資料を作り直し幾つか売り込みのアポを取る。プレゼン中の写真集のサンプルも、一月近い歳月ですっかりくたびれてしまった為、全てをバラバラに分解し、手許にあった6冊全てを作り直す。これはけっこう手間のかかる作業だった為、午後からはほとんど外に出る時間も無く、夜になる迄黙々と作業を続ける事となる。

夜になって、去年1年間撮影を担当した、児童書の編集スタッフのパーティーに招かれ、表参道のレストラン迄出向いたのだが、初めて顔を合わすスタッフも半数近く、いつもの事であるが、皆それぞれの個性を持った人達ばかりで話を聞いていても少しも退屈する事が無い。バラバラの個性、様々な経験が1つの物を作り上げる現場に立ち会える事はとても興味深く、ものを見極めるフィルターが又1つ加わったようで楽しい一夜であった。

今日アポを取った出版社の1つは、新しく創刊された雑誌の編集部で、今回の写真集とは直接結びつく事は無いのだが、自分の興味の在るジャンルにはとにかく積極的にアプローチを進めるつもりである。雑誌の特集や連載は今の所考えてはいないのだが、書店で目に付いた創刊号に、少し心を動かされて電話してみる事となった。


4/17、18 知人宅で出版、編集関係の人達との集まりが在り、久しぶりに本格的に料理を作る。10人程の集まりだが皆、食欲旺盛との事でけっこうな量の材料を買い込んでタクシーで出かける。昨日仕入れたアンコウは朝早く解体し、下ごしらえを済ませた状態で幾つかの容器に入れて持って行く。

去年忘年会のメインだったアンコウのチゲ鍋は、けっこうな評判を呼んでおり、暖かくなる前にもう一度くらいは食べてみたいと思っていた事も在り、丁度良い機会と思いメニューに加える事にした。その他のメニューは伊豆直送のかなり大きなキンメダイの姿煮、山口産の大粒のアサリ入りアロース、サーモンやタコなどのシーフードを使ったバルサミコ風味のサラダ、サワラの切り身とオクラのエスニックソテー、一夜明けて朝になってからは人数は半分になった物の、残ったシーフードとトマトの松の実のパスタや前日のアンコウ鍋の残りを使ったスープなど、週末に相応しい贅沢なメニューのひとときを過ごす事となった。

慣れない知人宅のキッチンに疲れは感じる物の妙にリフレッシュした自分を感じ自宅に戻ってからも、一人で飲む酒が旨い。


4/15、16 納品の迫っているスキャニングを進めながら、途中何度か打ち合わせや雑用の為に外出する。又しても機材を借りに来る後輩がいたり、余計な事の為に時間を取られてしまい、気が付くと走るようにして、バス停からスタジオを何度と無く移動する。

夜には久しぶりに友人と飲む機会が在り、当初三茶の店を予定していたのだが人数が増えた事も在り、作りおきの簡単な料理やあり合わせの酒で自宅でもてなす事となる。飲み始めた時は4人だったメンバーも夜がふけ、朝が近付くにつれて、一人一人と少なくなり、空が明るくなる迄飲み続けたのは私と今回の主賓であるもうひとり、正確には私一人と言う感じである。

朝迄飲み続けた物の、翌日も仕事が入っていない訳では無く、昼からは打ち合わせや納品が隙間なく迫っている為、わずかに横になっただけでは体が重く、机の角に二度も膝をぶつけてしまうなど、情けない一日になってしまった。昨日今日合わせて写真集の件でも3社程売り込みに出向いたのだが、今の所結果につながるような出合いは無い。

昼食に上野で博多系のラーメン店に寄り、アメ横の魚屋でアンコウを買う。打ち合わせの合間に自宅の冷蔵庫に入れたのだが、明日の朝には吊るし切りにする予定。


4/14 昨日のロケのフィルムは昼過ぎにテストをチェックし、夕方になってやっと本番が仕上がって来る。セレクトを終えて納品を済ませたのは7時頃だったのだが、冷たい雨は切れ間なく降り続いており、昨日の撮影終了にホット胸ををなで下ろす結果となった。

朝から自宅でプリントのスキャニングを続けていたのだが、現像所や納品、打ち合わせで4回も渋谷迄出掛けなければならなかった。スキャニングは絵画を複写した原稿をデジタル化しているのだが、オリジナルを見ていないので釈然としない作業である。

今日の納品で全て終了したロケであるが、当初は2カットであったメインイメージは、その他のカットを含めると10数カットに迄膨れ上がり、いささか体力切れの部分も在ったのだが、少しづつ原稿になって行くところを見ていると、自分の力を発揮できる楽しい仕事であった事を感じる。天候に翻弄され予定していた映像は、二転三転する事となったのだが、広告の仕事ではあっても、自分のイメージに幾らかでも引き寄せる事が出来たのは、スタッフとの信頼関係に因る所が大きいと思う。

自分に向いている仕事?そんな事を考えはじめると全てを放棄してしまいたくなるのだが、ごちゃごちゃした制約から開放されるなら、どんな仕事であっても、今よりは楽しめる物も多いはずである。スタジオでの撮影で在れば時間内に、平均的な結果を期待できる訳で、リスクは最低限で済むのであるが、ロケとなると不確定な要素が多すぎて、よほどの余裕が無い限り自分のイメージは作れない。色々な意味で考えさせられる事の多い仕事であった。


4/13 先月から続いているシリーズで最後のロケ。2カットの予定で、ロケバスは使わずワゴン一台に商品と機材、2人のスタッフを含め、3人で埼玉の河川敷の公園迄出かける。

昨日迄の暖かさが嘘のようで、風は無いのだが、どんよりとした空のせいでとても4月とは思えない寒々しい気持ちになる。林の中での撮影なのだが、たまに人陰を見るぐらいで、公園と言ってもほとんど山の中にいるような印象である。昼前のスタートから着々と作業を進めたのだが、手間のかかるセッティングが多く、終了は暗くなり始めた夕方である。

都内に戻る高速は何時になく空いていて、少し遅れたものの、次の打ち合わせには機材をスタジオに戻してから出向く事が出来た。12時を過ぎる頃帰宅したのだが、最近あまり体を動かしてないせいか疲れがひどく、風呂に入る事もなくすぐに休む事にする。


4/12 依頼があったネガのスキャニング。ネガ用のスキャナーは古いパワーマックにつながっている為、久しぶりに古いマシンで仕事を進めていたのだが、G4のデュアルを使い慣れているせいで流石に遅く感じて仕方がない。マシンそのものがそれ程遅い訳ではないのだが最近作業中に待つという事が余りなかった為かよけいにイライラしてしまう。

納品済みのフィルムの周辺ポジの問い合わせが在り、スタジオ迄探しに出掛け、ついでに買い物を済ませようと思ったら財布の中には1000円しかなく、慌てて銀行で下ろす。最近は差し迫って必要な物以外あまり買い物もしていない気がする。

明日はロケなので天気の事は気になるのだが、今日のように自宅で仕事を進める時は、陽気が良すぎるのもつまらないもので在る。夜になって先日片付けた暗室でベタ焼きと、ネガを照らし合わせてチェックする。最近の物は濃度も申し分なく見ている限りでは簡単にプリントできそうなのだが、初めてプリントするイメージは何時もかなり時間がかかるので、愉しみでもあり、憂鬱でも在り、気分的には複雑である。


4/11 昨日かなり体調が良かったので、無理をした為か起きてすぐにアレルギーのような症状がひどくなり、先日の風邪の症状に逆戻りしてしまった。本来ならば幾らかモノクロのプリントを始めようと思っていたのだが、出来る範囲で暗室内の整備をすすめる事となる。

のどの傷みから始まった先日の風邪は鼻水やくしゃみが止まらないアレルギーのような症状がひどくなるのだが、今日の状態もほとんど同じ物で、微熱やのどの傷みだけであれば作業は進められるのだが、くしゃみと鼻水で下を向いての細かい作業は全く手がつけられない。

午前中にネガキャリアにガラスをセットする作業を終わらせたのを最後に全てを諦めて横になる。ガラスキャリアのセッティングはとても慎重な作業で圧力が強すぎてもニュートリングを誘発する事となり、また低すぎると本来の目的である平面性が保てない。ここしばらくは、11x14インチをこえる大きなプリントは予定していないので、圧力を低くする為スプリングの板バネは使用せず、ガラスの重さだけで圧着する方法を選択した。11x14インチのプリントに合わせて引伸し機の電球の位置調整を行ったのだが、最大25%の光量低下が左側の画面に残り、これをわきまえた上で、作業を進める事となる。

仕事での撮影など多くのスタッフと行動を共にする時は体調に不備が在るとすぐに色々な薬を飲み、気力も含めて、無理矢理に体を動かして時間を過ごす事となるのだが、自分一人で、作品作りとなると、期日が迫っていない事も在り、ついつい自分に都合が良いように体をいたわって薬を飲む事を渋ってしまう。仕事の撮影の時のように強い薬を飲めば動けない訳でもないのだが、横になる方を選んでしまう事に、自分の真意が見えるようで心苦しい。今の自分を見ていると何処で暮らし、どんなに時間の余裕があっても、たいした物は作れないのではと考えてしまう。

やはり、自分を追い詰める事も必要である。


4/10 昨日思い立った事なのだが、流し台に設置してある浄水器を何とか邪魔にならない位置に移動できないかと思い、色々とアイデアを探っていたのだが、昼頃にやっと設置場所の図面を作り上げ、東急ハンズでパーツを加工してもらい夕方頃に設置を終了する。

この浄水器を使い始めて6年になるのだが、写真の水洗にはかなりの水量が必要である為、本体の要領が5リットル程度、重量に至っては5キロ以上はある為、中々都合の良い場所に設置できず、全ての作業を通してとても邪魔になる存在だった。

何度も色々な設置方法を模索したのだが良い方法が思いつかず、今回はたまたま余っていた段ボールで模型を作ってみたら良い感じだったので実際に作ってみる事となり、完成してみると、これがまたとても都合の良い物で今迄の長い年月がばかばかしく感じられるようだ。

今回の作業の中で、特に感じた事なのだが、とにかく、感じている事は駄目もとでも、すぐにやってみるという事である。この設置工事に関しては、こんなに簡単な事であればもっと早く済ませておけば良かったと痛感している。実際に試してみると可能な事であっても、妙に不可能に思えて、いま一歩行動に出れない事という物は、けっこう在るのではないのだろうか。プリントにおいてはマスキングやパートフラッシングなどではないかと思うのだが、それ以外にも数限り無いテクニックが眠っているような気がして来るので在る。

何時かここを離れプリントだけに集中する日々を過ごすようになったなら、若い頃の再現不可能だったネガを今現在、時分の中に在る全ての技術で蘇らせてみたい希望が満ちて来る。


4/9 薬品や暗室の機材で探している物があり、昼前に銀座に出掛けたのだが何一つ必要な情報を得られないまま3時を過ぎた頃に帰宅する。久しぶりに銀一(写真機材のプロショップ)に出向いたのだが、掲示板に幾つか新しいレンタル暗室の案内があり、どんな形であれ、モノクロのプリント作業に触れられる場所が増えて行くのは好ましい事だと思う。

状況そのものに大きな変化はないと思うのだが、暗室用品はその値段が驚く程高い割にお粗末な物が多い。円高である事がもっと還元されて価格が下がれば購入してみたい物は沢山在るのだが、バライタペーパーの水洗器など、もっと使い易い物を自分で作る事はできないのかと考えてしまう。

夕方になって自宅の近くの店のオープン6周年のパーティーに出掛け、1時過ぎ迄呑む。終ってから次の誘いも在ったのだが久し振りに多くの人に会った為けっこう疲れてしまい、2時を過ぎた頃に休む。


4/8 最近デジタルの処理の為に使えなくなっていた暗室を、何とか片付けて少しずつプリント作業が出来る状態に戻している。去年の暮れにベトナムでの赤外フィルムをプリントして以来ケミカルの処理は行っていない。デジタルの写真集の為に出力したプリントが暗室中に散乱していた為、整理する場所を作るべく、棚の中の古い物からかなりのプリントを処分する。

よく、物を捨てられない人の話を耳にする。必要がなければ急いで捨ててしまう事はないと思うのだが、狭い都会の借間暮らしが続いていると物を捨てる事が、次に向う1つのステップとして存在する。3帖一間の下宿から始まった私の生活は常に何を残し何を捨てるかと言う選択上に在り、この習慣は何時しか、私の精神的な世界にも、同じ法則を作り上げてしまっている。選択という言葉は、何を選ぶかと言う事より、何を捨てるかと言う事の方が、より深い記憶を魂に刻み、選ぶ事無く全てを受け入れ続ける豊かな環境に在る人は、きっと過去を記憶にとどめる事はない。

今日は学生時代、写真を本格的に始め、現在の抽象的な作品を作りはじめるきっかけとなった多くのプリントを処分した。写真学校の課題として仕上げた物、今迄の展覧会の為のセレクト用のプリント、最初の個展のレイアウトを決める為に作った作品のミニチュアカードなど、思い出深い物が数多く含まれている。理由はおぼろげで思い出す事はできないのだが、同じプリントが100枚近く存在し、当時の自分の感覚が尋常でなかった事だけは推測が付く。

ふと考えてみると現在も同じ事は言えるのかも知れない。完全と思える1枚が見えて来る迄は、これからもきっと長い道のりが在るのだろう。完成された物から見れば、途中の物は皆必要の無い物で、完成を見る迄は全てはまだ必要なので在る。

心の中の許容範囲という物もきっと同じような物なのではないのだろうか。何時も何かを考え、研ぎすました感性に照らし合わせて行動していても、形としての結果を見る迄はその真意は掴めない。そのもどかしさの中に生きる事は、他人の心にどう写るのだろうか。ただ1つの物を探し求める人などいるのだろうか?


4/7 午前中スタジオで荷物の到着を待ちながら、経理の処理やロケ場所の資料探しなどの雑用を進めていたのだが、捗らないスケジュールに苛立たしくなり、気晴らしに1時間程都内の道をドライブする。久しぶりに動かした愛車だが、キャンバス地の幌がすっかり埃をかぶっており幾らか情けない風貌になってはいた物の僅かな時間ではあっても、その存在の全てで私を楽しませてくれる。

しばらくしてスタジオに戻ってみたら宅急便の不在表が届いており、再配達を待って夕方には撮影を終了、自宅に戻ってからデータの調整をすませ、夜中になってやっとメールで送信する。

ロケの追加撮影は、埼玉の秋ヶ瀬辺りはどうかと考えているのだが最近行った事がないので少し不安である。可能であれば週末に一度下見をしておきたい。

すっかり暖かくなり、目黒川の桜も半分以上は散ってしまった。体調はかなり回復し普通の生活は出来るのだが、風邪ぎみと言うような感じで今一つスッキリしない。


4/6 午前中は仕上がりをチェックして発送しなければならなかった為、何とかスタジオに出向いたのだが、かなり体調が悪い為すぐに戻って休む事にする。昼の間はほとんど横になって過ごし、夜になって幾らか回復し、夕方やっと事務所に戻り残った仕事に手をつける。

幾らか調子は良くなった物の、ここの所あまり病気などした事がなかったせいで精神的にはけっこう落ち込んでしまう。仕事に関する知らせもあまり良い物がなく、偶然なのだがやっと終わった仕事が2本とも追加が発生してしまい、ロケの物に関しては又しても場所を探さなければならない。スタジオの方は荷物の到着を待ってスタジオの空き時間に撮影する予定。


4/5 朝起きた時から激しくのどが傷む。スタジオに向っている途中から鼻水やくしゃみが止まらなくなり、アレルギーなのかと思っていたのだが症状はひどくなる一方で、どうやら本格的な風邪を惹いてしまったようだ。

今日の撮影は午後からだったのだが、請求書や見積もり書の作成、急ぎの入金などが在り、ロケから戻った機材のチェックなどを兼ねて、午前中からスタジオに入る。大手製菓メーカーの社内報の撮影で、撮影そのものの取材なども在り普通よりは少し賑やかに時間が過ぎて行く。アレルギーのようなくしゃみが止まらない状態で、薬を呑みながらの撮影だったのだが、それほど時間のかかる事もなく終わってからは渋谷迄フィルムを現像に出しに出掛ける。この頃やっと本格手的に風邪を惹いたのではと自覚し始め、自宅に戻ってからはしばらく横になる。

少し眠ったようなのだが、それほど時間は経っておらず夕食を作り、明らかな風邪の症状に落ち込んでしまう。仕事も落ち着き少しゆっくりした週末を過ごしたばかりなのに、今になって何故風邪など惹いてしまうのだろうか?


4/4 自宅の前の目黒川の桜はほぼ満開で、そこら中で花見関連のお祭りをやっているらしく大音響のブラスバンドなどが部屋の中迄聞こえてくる。ややゆっくり起きだしたので朝からの天気は判らないのだが、夕方前迄はそこそこ花見日和を維持していたらしい。

ふと気が付くと窓の外は冷たい雨が降っており、花見客も一息付いているらしいので、車庫から車を出して先日のロケの機材をスタジオ迄運ぶ事にする。明日の早朝迄は車庫から車は出せないだろうと思っていただけにこれはラッキーで、花見客には申しわけないが近所の住人にとっては生活が脅かされる暮らしにくい数日である事も事実である。

暗室を兼ねた自宅は駅に近い目黒川沿いに在り、1階には色々な店などが入っている物だから休日などは買い物客などがぶらぶらと散策するのに丁度良い場所で、マンションのカーリフトから車を出す為には人込みをかき分けなければならない事が在る。ましてやこの時期は路上に店などを出す物も在り、ゴザや椅子など迄並べられており、とても車を出す事など不可能である。

以前そんな事を忘れて長期のロケから花見シーズンの夜に車で戻った事が在り、車庫迄何とか辿り着こうとする私の車は、酔っ払いの女性客に椅子をぶつけられ、そこらへんの酔っ払い達にかさでめった打ちにされた悲しい記憶が、楽しいはずのこの季節をすっかり憂鬱な物にしてしまった。

雨が降っている事で路上の花見客はまばらで、きっと昼頃は凄い人だかりだったのだろうと思いながら車を再び車庫に戻したのだが、余りの桜の美しさに自分でもしばらく見とれてしまった。私の生活と、この町の時間の流れは全然噛み合っていないように時々感じるのだが決してこの町が嫌いな訳ではない。しかし早くここから抜け出さなければ、いつかはそのギャップの中で押しつぶされて行く自分が見えるような気がするのである。

雨が降っているのに暗室の湿度は異様に低い。何時の間にか天候とは関係のない空間で自分は暮らしているのかも知れない。プリントが再開できるように暗室を片付け始めたのだが、まだ姑くは時間がかかりそうで在る。


4/3 昨夜、先日迄の疲れからすぐに深い眠りについてしまった為、今朝の目覚めは快適で、朝早く洗濯したシーツなどが昼頃には乾いて取り込む事が出来る。暗室の戸棚の落下してしまったトビラをけっこうな時間をかけて修理したり、電気の配線を手直しするなど、夕方迄、家事や自宅のメンテナンスを一気にすすめる事となる。

昨日今日を含めて何度も宴会の誘いが在ったのだが、ここの所の慌ただしかった時間の流れをリセットしておきたい気分で、全ての誘いを断って自宅で一人で過ごす事となる。作りかけで素材だけが用意されているHPの暗室技術に関するホルダーや写真集のサンプル、撮ったままになっている沖縄の写真や、壁に貼られたままのベトナムのモノクロプリント、様々な自分の中途半端な物全てと向かい合い明日からの時間の使い方を考え直したい。

昨日迄の仕事は幾らか中途半端なままで終わってしまった感じはぬぐい去れないのだが、今回の撮影のために沢山の場所を廻り、多くの物を見た事は自分のモノクロの作品作りに非常に参考になったと感じている。先月赤坂の写真文化館で開催されていたScenic Beauty と言う写真展のお粗末なコンセプトが、新しいテーマについて考えはじめるきっかけになったのも事実では在るのだが、日本人の自然界の風景に関する写真的解釈はほとんどゼロと言っても良い程未開拓なのではないのだろうか。

自然界の造形は何度消滅しても必ず繰り返す無限の普遍性を持っている。それに対する美意識は一見全ての作家が同じ物のように見えても、微妙な世界で少しずつしのぎを削っているのである。私自身がストレートに風景を撮影しないのは、感覚的に被写体として満足できないからではなく、恐らく技術的に再現不可能である事が原因だと思う。なにか美しい物をストレートに撮影してその全てが表現できれば本当にすばらしい事だろう。技術の向上と供に私の中の感性のトビラも少しづつ開く。感性のエネルギーは少しづつ自分の技術的なレベルを押し上げているのである。


4/2 昨日のロケのフィルムは現像してみないと全く予測のできないもので、しかも現像処理自体も2段以上の増感を考えていた為ラボの処理にも時間的にかなりの余裕を見込まなければいけない状況である。

私の心の中ではもう一度当初予定していた場所でチャレンジしたい気持ちは在るのだが、何時になったら撮れるのか判らない状態で待ち続けている事は不可能である。そんな状況で、昨日撮ったフィルムが何処迄イメージを伝える事が出来ているかは、過剰な期待をしてはいけないと、自分を戒めながらも、何とかこれで終わりにしてしまいたい気持ちも隠す事ができない。

昨日最後に撮影したテントのイメージは私の考えの中ではアイスランドのような黒と赤とのハードなイメージのものだったのだが、実際には赤い岩が点在する河原での撮影ができなくなった為、使われていないキャンプ場を使って撮影する事となってしまった。可能な方法を探りながら月明かりの夜のイメージで周りの状況をフィルターでブルーに変えてしまう事で何とかその場を凌ぎ、露光時間は猶に2分近く、テントを内部から照明した光源も発電機を用意できなかった為、ハロゲンではなくクリプトンのバッテリーライトを使っていたのだが、そんな事も在りフィルムの仕上がりに関してはあまり予測の出来る物ではない。

本番が仕上がって来たのは1時を過ぎた頃。なんとか使えそうなイメージにほっとした反面、これで良いのかと言う疑問も在ったのだが、4時過ぎに出掛けたプロダクションの評判は好評で、敢てもう一度撮る必要性は無くなってしまったのが実状である。

私がロケハンの中から考え続けていた1つのイリュージョンが形にならずに終わってしまう事はとても複雑な気持ちでは在るのだが、予算はともかくこれ以上スケジュールを遅らせる事は事実上不可能であり今回は昨日撮ったイメージがより良いものとして使われる事に期待する事が希望的な感覚である。


4/1 先日悪天候の為中断したのロケのリテイク。今回はクライアントは立ち会えず、プロダクションから2人の担当者が同行してくれる。ロケバスはさすがに経費の関係で手配する訳には行かないので、私のワゴンに商品と機材を積み込んで出掛ける事となる。

既にこの場所に出掛けるのは4回目となり、運転にも余裕を感じるのだが、時間がかかる事にはかわりがない。昼過ぎにロケ場所に到着したのだが、又しても大きな問題が発生しており、今回はダムの放流に因るものなのか、30cm近く水位が上昇して予定の位置にテントを立てる事ができないのである。

水位の下がる事を期待しながら、もう一点のイメージカットを何とか残っている川べりで撮影していたのだが、水位は下がるどころかじわじわと水辺が迫って来る状況となり、そのカットは何とか撮り終えたものの、逃げるように河原から這い上がり、テントのカットを残して途方にくれる事となってしまった。

今回のブランドのロケに関しては、何かを試されているかのように予想外の状況ばかり発生し、既に何度も変更を余儀無くされているのだが、不思議な事に自分のモチベーションだけは維持できているのだが、他のスタッフに関してはいいかげんぐったりして来ているのではないだろうか。

とにかく形を残さずにロケを終える訳にも行かず、前回他のカットを撮ったキャンプ場迄引き返し、夜のシチュエーションなどを押さえてみる事で現場を後にする。さすがに疲れてしまった為途中でゆっくり食事を済ませ、事務所に戻った頃には日付けも変わっており、又しても降り出した雨に気分は憂鬱である。


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