5月03年 | 4月03年 | 3月03年 | 2月03年 | 1月03年 | |||||||||||||
作者近況 | 8月03年 | 7月03年 | 6月03年 | ||||||||||||||
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9/30 朝から4件の打ち合わせや、明日の撮影の小道具のピックアップで時間に追われて忙しい。原因不明の頭痛のせいで途中15分程車の中で仮眠を取る。全ての荷物をスタジオに運び入れたのは10時過ぎ、明日の準備が終わると1時過ぎになってしまう。出発前に片付けてなかった事が悔やまれる。
留守の間にも下水の工事は続いており、トイレと風呂はかなり掃除しないと使えない。留守の場合は管理室のカギを使うとの連絡はあったが、入室に関する連絡がないのは少々不愉快で物騒な感じである。作業をした事の連絡ぐらいは残してもらわないと泥棒が入ったようでなんだか落ち着かないのである。 暑かった対馬とは対照的に東京はすっかり寒くなった。先日修理したエアコンも姑くは使う事が無さそうである。 |
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9/29 いつもより早い朝食済ませ、8時前に宿を出る。昨日とは反対側の海岸を、国道を避けながら少しづつ下りはじめる。整備された道が少しずつ出来ており、昨日よりは幾らか走りやすい。当初予定では昼の高速船で博多に戻る予定だったのだが、厳原の港で少し時間を潰し、3時過ぎのフェリーで島を離れる事にする。
フェリーの中で今日の撮影分を、ノートパソコンに保存する。撮影したデータは意外と重く、CD一枚には入り切らない。すぐに結果が見れるのもデジタルの良い所では有るのだが、なにか期待や想像を膨らませる時間を喪失しているようで、作品に就いて完結したイメージが創りづらく、いつまでもテストをしているような煮え切らない感じである。 約5時間の航海で、フェリーは30分以上遅れて博多港に着いた。最終の飛行機迄一時間を切るタイミングで随分気を揉んだが、博多港から空港迄は距離の割に道もよく、快適に飛ばすタクシーで余裕をもって乗る事が出来た。身近なところ程つい油断をして下調べを怠ってしまう。 乗り継ぎの悪い電車のせいで、自宅に戻ったのは終電間近になってしまったが、昨日迄のデータをPCに保存する。撮影スペックをチェックしながらシャッターにワイヤレスのリモコンをつける必要性を痛感する。次の撮影迄には何とか工夫して作りたい。 |
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9/28 昨日の疲れで遅めの朝食を取り、チェックアウトぎりぎりに宿を出る。今日は島の反対側にあたる一番上の、韓国にもっとも近い港に宿を取っていて、丁度この島を縦断する形で移動する事になる。距離にすると100キロちょっとと言ったところだが、道は非常に入り組んでいて、国道から少し脇に逸れると、車同士が行き違う事もできない田舎道になり、さらに入り江に入って行くと一台でもやっと通れる程度の幅しかない悪路になってしまう。
小さな入り江を廻ってみて解ったのだが、この島の魅力は国道を走っていては全く解らない。殆どの村は行き止まりの入り江に有り、静かな海と、妙にそれぞれの間隔を保って建っている古い家のバランスが非常に美しい。日本ではあまり見られない高床式の倉庫や、石を積んだ壁に瓦をのせた藻小屋などが、当たり前の様に、朽ちながらそのまま残っている。刈り取り間近の稲のあぜ道には彼岸花が咲き乱れ、至る所に蕎麦の花が咲いている。 国道を走れば100キロ程の道のりを200キロ以上も走り、港の傍の築130年と言う古い民宿にやっと辿り着く。日にちを間違えて大慌てになっている女将さんの心のこもったもてなしでやっと長い一日を終える。 |
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9/27 フェリーは朝の5時前に対馬の港に着く。その後は7時迄船の中で仮眠を取る事が出来るので、特に島での予定が決まってない私には都合が良い。レンタカーは昼からの予約なので、午前中は港の近くでゆっくりカメラのテストをして過ごす事にする。
博多から5時間近く掛けてやって来た厳原の街は、それ程変わったところもなく、伊豆辺りの漁村と一見しただけでは違いが見当たらない。しかしこの街の特徴は細かく入り組んだ小さな入り江を回ってみなければ解らないところに有るようだ。車で小さな漁村を廻りながら撮影をして行くのだが、本州の街とは明らかに違う家の造りや集落の配置が興味深い。 レンタカーのナビには出ていないような小さな集落を廻り、夜には島の下のほうの山荘の宿に着く。今日の宿はかなりきれいな山荘で、庭園が作られていたり、地鶏が飼われていたり、設備的には申し分ないのだが、風呂の浴槽の中に巨大なムカデが泳いでいたのにはさすがにびっくりした。 |
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9/26 今日は午後の早い時間に全ての仕事を終わらせて、夕方の便で博多迄行く予定だったのだが、予定を覆す大きな問題が二つも持ち上がってしまった。一つは明日急に、下水の工事でトイレの壁をまた壊さなければならない事、もう一つは急にエアコンの修理が部品の都合で今日の午前中にしてくれと言って来た事である。
エアコンの件は立ち会えばいいとして、工事のほうは明日以降も続くので、カギを預けるにしても、再び貴重品とかを別の場所に移動しなければならない。急ぎの仕事の納品だけを済ませ、結局殆どの仕事を休み明けに持ち越して、そのまま九州に旅立つ事になってしまった。戻ってからの事は考えず、取りあえずは今を乗り切る事が大事だと割り切って見るしかない。 予定外に時間を取られた為カメラのファームウェアの設定が終わっておらず今一つに不安を残すままの旅立ちになってしまったが、何時迄もスタジオでテストをしていても始まらない。博多の空港から中州の繁華街を経由して、博多港からの深夜のフェリーで対馬に向かう。 長い間色々な話題だけを蓄積して来たエキゾチックな国境の街へ、期待が高まって行く。 |
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9/25 今日は久しぶりに撮影で、午前中から夕方の現像所の集配迄、一日中スタジオで作業をする事になる。撮影そのものはそれほど難易度は高くはなかったので、予定より少し早く終了し、自宅に戻り、先日の6x6のプリントで気になっていた物を焼き直す。昨日はポジのセレクトを進めたのだが、今一つ気分が乗らず、もう少し時間を置いてからカラーはゆっくり見てみたい。
明日は夕方の便で博多迄行き、深夜のフェリーで対馬に向かう。明日の仕事の進行にもよるが、予定道理であれば先週やっと完成したデジカメのセットを持って行き、本格的にシリーズの撮影を進める予定である。デジカメで作品を撮ろうと思ったのはこれが初めてなのだが、結果が良ければもう少し本格的な物も試してみようかと考えている。発売間近のフジの6x8につけるカメラバックはかなり魅力的なのだが、自分的にはやはりコダックが好みの様な気がする。コダックの14Proに改造したマクロレンズなどで、物撮りはどうなのだろうと考えてみたりするのだが、気楽に試すには少々出費が大きすぎる。 自分の中ではもうかなりの所迄デジタルのカメラは迫って来ている。後一歩の所で、全ての35ミリを変えてしまいたい願望に迫られている。私にとっては、ニコンのD1でデジタルは始まったのだが、それと同じような感動がまた訪れるのだろうか? |
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9/24 月末の支払日は明日なのだが、撮影で銀行にはいけそうもないので、一日早く全ての支払いを済ましてしまう。いつもの事なのだが、恐ろしい出費で憂鬱になる。先日に引き続き経理の処理を進め、久しぶりに沢山の請求書を発送する。
途中機材を借りにくる知り合いがいて、一時間程世間話で中断する。個人レベルでの写真の学校を開業しようとしている彼は、随分前から構想を練り続けているようで開講した暁にはできるだけ力にはなりたいと思っている。ここ1年程の間に何人かの人に同じような話を相談され、みな決まってスタジオワークの講師を依頼して来るのだが、恐らく自分にできる事は、カメラも含めて本当に基礎的な事しか伝えられないだろうと思う。取り立てた専門分野を持たず、広告全般を手掛けて来た自分はある意味で広く浅く、都合がいいのかも知れない。 アシスタント時代から、収入を得るために割り切っていたとは言え、ファッションから広告、建築、料理と次々と違う分野を渡り歩いて来た物だから本当に色々な状況に対応できるようになって来た。当時、スタジオワークはタングステンから、ストロボへ、丁度過渡的な時代でもあり、ストロボワークに馴染めない年輩のカメラマンの助手としては重宝がられ、何時しか仕事もこなせるようになって来た様な気もするのだが、やはりストロボと言う物は、経験もあるのだが、数学的な演算と、それぞれの特性を把握する科学的なデータがなければ使って行けた物ではない。テスト用のポラロイドと供に、歩んで来たのは言う迄もないが、そろそろストロボでなく定状光で撮影できるようにはならない物か? 最近ではフィルムの性能も良くなり、料理や花などの撮影もイメージであればできるだけ自然光でこなすようになって来た。デジタルであれば尚更状況の把握が早いので、より多くの状況に対応できるし、ラチチュードや発色の問題は初期のポジフィルムに比べれば問題にならない程改善されているような気がするのだが、、、 夜になって自宅に戻り、新しいポートフォリオ用のカラーポジを探しはじめる。今迄よりシリアスで、抽象的なパターンなど、さらに個性的な物を探しているのだが、いざ探し始めてみると頭の中で思い描いていた作品も、意外とノーマルで個性に欠けるような気がして中々進まない。カラーの作品に関しては全てがデジタルであっても別に抵抗は感じない。これは前にも書いたと思うのだが、以前色々なタイプのカラープリントを自家処理していて、結局、例えば35ミリのカラーであれば、オリジナルプリントと言う概念を捨てて、ページをめくりながら見ていける印刷物とかの方が自分にあっていると言う結論に達した事が原因だと思う。一点ずつの再現性と言うよりも、シリーズとしての総合的なイメージへの期待が大きいと言う事なのか。 久しぶりに色々なフィルムをチェックしていると、フィルムのエマルジョンや、たまたまカラー特性があっていなかった為に作品としてのイメージを見出せていなかった作品が沢山ある事にも気付いて来た。スキャンして変換すれば、撮影した時のイメージが蘇るかも知れないなどと考えながら、そのデジタルの行為に奇妙な抵抗がある事は何故なのだろうか、永年ポジで仕事をしてくるとポジに写っていなかった物は自分の能力不足として諦めなければならないような変なプロ意識が有るのだろうか? |
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9/23 暫く中断していた、6x6のプリントを再開する。九州のロケと、工事の為にかなり間が開いてしまったのだが、4x5用のキャリアを、6x6用にガラスを外しているので、一通り、全てのネガをこの機会に処理してしまう必要がある。
ここ1年の6x6をまとめてプリントする事となったのだが、シリーズ化できる程、同じテーマの作品が揃って居ない事に少しがっかりさせられる結果となった。たくさん撮っているように感じても、予想がつきにくい赤外のフィルムなので、全く使えない物が結構な確率で存在してしまう。 経験的に学習して行けば幾らか確率は高くなるのかも知れないが、このフィルムも何時迄生産が続けられるのか、我々には全く解らないもどかしさもある。極端に粒状の良くないフィルムである為、余り決め込んだ画面の作り方をせず、全ての撮影を手持ちでこなしているのだが、マイナスの要素のみが目立って、構図に新しさがない様に感じるのも今となってはしょうがない。 一応今日迄で6x6は一通りの区切りを付けて明日からは新しいカラーポートフォリオのセレクトに作業を移す事となる。本格的に4x5のプリントが再開できるのは、10月に入ってからになるのだろうか。 |
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9/22 昨日迄とはくらべられない程爽やかに目がさめる。起きてみてこれほど体が軽いのは久し振りである。自宅にいても落ち着かない工事の影響がここ迄肉体を支配しているとは自分でも気がつかなかった。ふつうに眠りふつうに目覚められる事の必要性を心から実感する。
ホームレスの生活をしていたライターが当時の事を綴った手記の中に、夜になるとずっと歩き続ける話があったようだったが、やり場の無い自分の立場を、休ませる事のできない感覚が、自分の生活からも休息と言う感覚を喪失させていた様な気がしない訳でもない。 気が重くてやる気になれなかった経理の処理を朝から少しづつ始め、今日は一日スタジオでデスクワークに専念する。途中来客や、貸していた機材を帰しに来る知り合いなどもあったのだがほとんどスタジオから出る事もなく、無心に事務的な仕事を黙々とこなす。 昨日夢の中に今迄に会った事のない女性がでて来た。私の夢の中では何時も空気は非常に乾いていて、旨くは表現できないのだが、昔見た映画の「バクダッドカフェ」の様に不思議な風が吹いている。 |
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9/21 朝から雨が振っている。全身ががだるく動く気がしない。体の疲れが抜けていないのか、精神的な倦怠なのかが解らない。何とか気を取り直し、先週連絡のあった友人と、夕食を家で取る約束をする。
夕方前に買い物に出かけたのだが、体調が優れないので渋谷迄出る気になれず、近くの東急ストアでほとんどの買い物を済ませる事にする。初物の白鮭の切り身を見つけ、先日作ったイクラの醤油付けをのせた炊き込み御飯を作る。最近美味しくなってきたスルメイカのお刺身とキンメダイを買って後は、家にある物で済みそうである。 結局二人の友人が7時頃やって来て、12時前迄、色々の酒を飲み、居心地の良い時間と言う物を久し振りに味わった。 先日美容室の怪しいマスターにマッサージをしてもらった時も感じたのだが、自分の力だけで、心身の緊張をほぐす事が出来なくなっているのかも知れない。今日の夕食はマッサージのように心の中のストレスを溶かしてくれた。 私が知らないだけで、みな、その中でバランスしているのか?しかし一生マッサージなど行かない人もいる訳だし、、、、、 |
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9/20 朝早く電話がありエアコンの修理は11時頃と言う事で取りあえずベランダ等を片付けて待つ事にする。今回壊れたのは居間のエアコンなのだが以前より暗室のエアコンもかなり弱っており、居間のエアコンが作動していないと部屋が繋がっている暗室も、作業温度の23度程度迄空調を維持する事ができないのである。
時間どうりにやって来たメーカーのサービスマンは、一通りの状況を聞いた後室外機を分解し、故障の状況を丁寧に説明してくれた。結局は彼の用意した部品だけでは間に合わず、来週もう一度部品をそろえてから修理に来ると言う事になってしまった。 昼を過ぎた頃雨が降り始める。かなり強い地震になぜだか今日は少しも驚かない。今週は物凄く長い1週間に感じたのだが、形になって残った物は何もない気がする。「かたち」とはなんなのかと言えば、作品か売り上げと言った物なのか、、、誰かと酒を飲んで楽しそうにしていても、なにか違うシステムが勝手に立ち上がっているようで心の中迄は届かない。 |
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9/19 エアコンの故障のせいで余り眠れないまま朝になる。9時から工事が始まるので少しだけ立ち会った後、スタジオに出かけ納品の準備をして昼前にタクシーで出かける。先日撮影したポジはまあまあと言ったところ。
自宅のPCで仕事を進めたいのだが、台所と居間での作業は続いており仕事ができる状態ではない。何度かスタジオとの間を往復し、結局自宅での仕事は断念する事にして、工事の終了を待って自宅に戻る。 自宅に戻り仮復旧された台所を見たのだが、棚の設置や居間の片づけが余りにもひどい状態で放置されており、とてもこのまま一人で片付けていたら夜中になっても終わりそうもない。色々考えたのだが工事の業者にクレームの電話をし、夜遅くではあるが、作業にあたった人間を呼び戻し片づけのやり直しを始める事になった。全ての物を台所から運び出すのは大変な作業でバケツリレーのように人数がいれば幾らかは効率がよい。一時間程で設置した全てを白紙に戻し作業にあたった人達は帰し、再び台所に戻すのは一人で少しづつ進める事にする。 他人の作業にクレームを入れるのはめったにない事だが、夜中になっても後味が悪くスッキリしない。今迄あまりに寛容にしていた為手抜きを誘発した事は言う迄もないが、状況に対する諸々の事情は尺度に関係なく双方に存在するのである。ただ、もしもエアコンがちゃんと動いており体力が有り余っていれば夜中迄一人で片付ける事も可能だったかも知れないのだが、、、、 関係を維持するための最低限の条件とはなんだろう?それは家族や、他人では微妙に違う訳だし、過去の経験や状況で、この位は許されるだろうと直感的に判断するものなのだろうか、いつか感覚は曖昧になり時間すら守らない事を「思いやり」として許すようになったとして、それこそが疎外であり関係の破壊に繋がると考えなくても良いのだろうか? 壊れたエアコンは明日修理に来ると言う事で早く通常の生活に戻りたい。 |
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9/18 自宅の工事の立ち会いをオーナーに変わってもらい、久しぶりに長時間家を空ける事ができる。今迄は頻繁に様子を見に戻らなければならなかったので余り遠出はできなかった。
午前中は仕上がりのチェックや納品の打ち合わせなどでスタジオから出られなかったのだが、午後になって7月に試作したデジカメのテスト撮影に出かける。このカメラは今年の春から色々工夫して作ってみた物なのだがこの半年の間に色々なアイデアが加わり、少しづつ改良を重ねて来たのだが、使うのは少々勇気がいる為に外でのテスト撮影は今回が初めてである。 出かけたのが3時過ぎだったので千葉迄は結構混んだ道のりで、海岸に付いたのは5時を過ぎでしまった。いつの間にか日はすっかり短くなったようで、いざ撮って見るとシャッタースピードが1/4S程度になってしまいテストと言ってもほとんど実写はできない暗さである。とりあえず大雑把なテストだけは済ませデータを収集してすぐに帰路につく。 いざ外で使ってみるとまだまだ改良の余地があり作品をシリーズ化する夢はまだまだ叶いそうもない。赤外のフィルムやこのデジカメなどは自分の中で趣味的な息抜きの部分ではあるのだが、やはり作品を仕上げるとなると集中的に作業できる時間がどうしても必要になって来る。 バラバラに色々な事を進められる人もいるのだろうが少しはまとまった時間が欲しい。自宅に戻り今日のデータをチェックして、明日の仕事の準備をする。明日はウィンンドウズで作業をするので少し環境を整理しなければならない。夜中迄バックアップに時間がかかる中、今度はエアコンが壊れて部屋の中がサウナのようだ。 |
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9/17 下水管の工事は9時からで、始まってしまうと凄まじい埃と騒音でとても居られた物ではない。風呂場と屋根の解体だけの予定だったのだが、急きょキッチンの壁面もコンクリートを詰めるようで、再び全ての物を退かさなければならなくなった。撮影の予定があるので適当なところで後を頼み、スタジオに出かける事になる。
昨日打ち合わせた月刊誌のカラーページの撮影は、登山用の古いピッケルやハーネスなどで、有名な登山家の思いで深い品物らしい。簡単に一通りの説明は聞いたのだが、またしても絵作りはまかされているので、イメージが湧いて来る迄かなり時間がかかってしまう。長い試行錯誤の後、午後になってなんとか撮影し渋谷の現像所迄フィルムを出しに行く。 昨日程ではないが時間に追われ、夕方の納品と打ち合わせ迄なんとか漕ぎ着ける。納品は月曜に撮影した生花のカタログ用のポジで、あたり用のデータのCDロムも付ける。7時からの打ち合わせは知り合いの結婚式にブライダル専門のカメラマンを紹介した引き合わせで、こちらの方は夕食を取りながら打ち解けた話が進んで行く。このくらいの集まりならばいつもは自宅で食事を用意するのだが、工事の影響でキッチンが使えない為、駅の近くの店に行く。 今日引き合わせた二人はとても個性的な人達で、結婚する彼女の方は日本と海外を行き来している内に最近知り合ったイギリス人の男性と結婚する事になり、結婚後は彼の勤務地であるキプロス島に住む事になっている。一方紹介したカメラマンの女性は、通常の会社のサラリーマンからブライダルのカメラマンを突然志し、独学と、見習いを経て現在では色々な式場の契約をこなしている。 現在の生活から抜けだせない自分から比べると、彼女達はなんとも自由な発想と行動力を持って生きているのだろうか、私を縛り付けている今の生活は過去の集積である。しかしその過去は全て今よりも恐ろしく不自由で束縛ばかりの毎日だった。だからといって今が幸せだとはどうしても思えないのである。過去との連鎖の中で何を変えなければならないのだろうか。 写真と言う物はとても不思議な物だ。撮影した瞬間のイメージは、自分の中で古臭くなってしまう危険を孕みながら、作品の完成迄熟成されつづけなければならない。そして完成された作品はそれまでの全ての時間を包括している新たな瞬間であるように感じるのである。 |
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9/16 朝早くから現像所を待っていたのだが、またしても手違いでやってこない。今日の午前中は忙しく、宅急便での機材の受け取りや、プリントの発送、バイク便でのデータの発送など時間に終われる事ばかりが押し寄せてくる。九州から戻った機材や昨日のロケの機材を片付けるだけでも結構な重労働で、冷房の効いた部屋の中でも汗をかいてしまう。今日の打ち合わせは日比谷の出版社なのだがいろいろな遅れが少しずつ重なって編集長を待たせる事になってしまった。新橋から日比谷迄久しぶりに走ったが間に合わない。
打ち合わせが終わってからは幾らか時間に余裕が出来たが、フィルムの現像が遅れている為今日の納品は明日にまわす事になる。時間を守らない他人を許す事が、結局は自分の性格迄いい加減な物にしてしまっているような感じもする。他人には寛容に、自分には厳格に、、、、公子の言葉はあまりにも空想的でヘッセがどのように受け止めていたのか不思議に思ってしまう。 明日から下水管の工事が再開される。マンションのオーナーに連絡して一日だけは立ち会ってもらえる事になった。今のスケジュールは休暇を終えてからの私には、なにか無意味に急かされている気がして寝るまえに考え込んでしまう。北海道の原野で暮らしている空想が地下鉄の中の自分に被さってくる。 |
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9/15 昨夜自宅に戻らなかったせいで携帯の電池が切れてしまった。慌てて車にあった充電器で充電しようとしたのだが全然受け付けない。祭日なのでそれ程問題もないだろうと思ってロケに出かけたのだが、いざ現場に付いてみると地図が不正確でどうにも場所が解らない。車を離れて歩いて住所を探すのだが資料が不十分で何度も同じところを行き来してしまう。30分以上余裕を持っていたのだが、さすがに不安になって担当者に電話してみるのだが今度は相手の携帯が繋がらない。携帯無しではもはや仕事はできないようである。公衆電話はもう世の中には余りにも少ししかないのだと思い知らされてしまった。
なんとか場所には辿り着き不安の中で撮影は始まったのだが、段取りもよく予定よりも少し早い時間に全てのカットを終了する。全ての機材をスタジオに戻しあまりに暑かった一日をぼんやりと振り返ってみる。今日は夜の打合せが一件明日になったので家で食事が出来そうである。 日記を書こうと思って暗室の机に向かったら椅子の近くにてんとう虫が死んでいる。無機質な空間に余りにも静かで、全ての存在から疎外されている。これは調和なのだろうか? |
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9/14 午後遅めの飛行機で羽田に向かう。一日でも多く旅を続けたいと思う性格から14日まで帰京を延ばしてしまったのだが、夜9時に予定していた打ち合わせはやはり少し遅くしてもらう事となった。休日と言う事で幾らかは融通がきくからつい甘えてしまう。
昨日までのデータの処理も進めなければならないのだが、さしあたっては明日のロケの準備を進める事にする。明日は生花の撮影なのでかなり多くの照明機材を用意しなければならないのだが、昨日までの九州の機材が未だ戻ってこないので新しくセットを組みなおさなければならない。 昨日までのデータをセレクトし、全ての現像処理をする。今回はJpgでテストを撮り、Rawでかなりの撮影をこなしたのだが、あまり意味はなかったようで、画像そのものがJpgでも十分なレベルだったような気がする。レンズなのだか、カメラなのだかは解らないのだが100%の画像でも幾らかのにじみがあり、あまり拡大は出来そうにない。自分の未熟な部分だからしょうがないのだが、それぞれのカメラに慣れる迄は色々無駄な作業もこなさなければならないのだろう。 明日の撮影に向けて少しスタジオで仮眠を取る。撮影は午後からだが、未だ準備が終わらない。 |
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9/13 博多での一日。ずっと気になっていた、7月に撮影した伊万里の造船所跡を見に行きたいと思っていたのだが、体調は余りにも悪く、車で遠出をする事は出来そうもない。昼頃迄横になり幾らか体調が回復してから買い物に出る。市場にはいろいろな魚が並んでおり、先月の休暇の時から気になっていた朝日ガニを買う。刺身や鮮魚などは東京とは比べ物にならないくらい安く、どれでも買いたくなってしまう。
食の中に文化や幸せはある。それはあくまでも形而下の事ではあるのかも知れないのだが、私の幸福の中では同じ物なのかも知れない。体の中を流れる同じ水のような気がするのだが、、、、、、 |
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9/12 今日は撮影の予備日だったのだが昨日すべてのカットを撮り終えたので、朝はかなり余裕がある。昨日遅く迄飲んでいたので早くは起きられないが、全て終わっているので気も楽だ。照明機材は全て宅配便で発送し、荷物はカメラやパソコンだけなのだが、それでも20キロは猶にある。午後になって解散し、連休中なのを利用して少しゆっくり帰ろうと、14日の飛行機にしたのはいいのだが、意外と荷物が重いのと、昨日迄の疲れでどうにも体は動きが悪い。
博多で疲れを癒して帰るつもりで飛行機を遅らせたのだが、博多のアジア美術館で行われているR.ウェントの写真展を見る事にも幾らかの期待はあった。中国や韓国ならばともかく、スリランカの写真家などはめったに見る機会がない。昔から何人かの知人もいたので知らない国ではないのだが、美術的見地に於いては、その知識は余りにも少ない。イギリスやヨーロッパと関連の深い国だけにモダニズムの影響は幾らかは察しが付く。 写真に限った事ではないのだが、モダニズムと言われる現代のルネッサンスが世界的な影響力をおよぼしていた頃、日本は芸術とは完全に無縁の世界にいた。当時日本のリーダー達に認めれれた極一部の芸術以外は、この時期に100年の遅れを作ってしまったと言ってもいいような気がする。今回の写真展を見ていても、1920ー40と言う年代は余りにもその時期にあてはまり全く日本にない写真の本当に重要な可能性への模索を感ぜずに入られない。 本来ならば存在するはずの芸術的基盤が、全く存在していない事は、教育や評論の中に致命的な空白を残し、テクノロジーだけが先行する、日本の写真文化を作ってしまった事を痛感せずにはいられない。勿論、その無知ゆえにテクノロジーが進歩したのではあるのだが、、、、、 ダダも含めた表現主義、技巧的な物で言えばソラリゼーションやモンタージュ、即物主義的なリアリズム、、、、、言葉で言えば日本の作家にも充てはまる世界はあるのかも知れないが、本当にそれらが本質を見据えた物だと思っている批評家が一人でもいるのだろうか?取りあえず当てはめなければ現在の写真の世界観が余りに安っぽいのに見えてしまうためにあたかもベースが存在したかのように教科書に書いているだけではないのだろうか? 今回の写真展が芸術的に新しい発見をもたらす物ではないし、むろん作品はヨーロッパのモダニズムからの連鎖的な物である事は確かだと思うのだが、写真の独自性を芸術的な観点から見い出そうとしている事は、日本の幼稚な時代背景とは一線を画する物がある事だけは確かだと思う。勿論、一部の教育関係者以外は直感的にそんな事は理解しているのだろうが、、、、、、 |
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9/11 撮影のスタートは12時からなので朝早い便で羽田を発ち、11時前に博多に入る。そこからは車で1時間弱、現場のスタッフとメンバーはは10時頃よりスタンバッていたようですぐに準備を始める。予備のカメラも持って来たのだが、結局新しいデジカメだけですべての撮影を終えてしまう。
今回はデザイナーは同行せず、ポスターもジャケットも写真は一任されてしまっている。気楽でもあり、気の重いところもある。 かなりの量を撮影しすべてを終了したのは7時頃、かなり旨い居酒屋で食事を済まし、見知らぬ街の歓楽街に多人数で飲みに行く。ホテルに戻ったのは午前4時を過ぎた頃、さすがに少し飲み過ぎた感じがする。 |
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9/10 午前中からスタジオ撮影のスケジュールなのだが、昨日迄の工事で汚れてしまった、テーブルクロスやラグなどの山のような洗濯物に追われ、スタジオに入ったのはスタートの10時前ギリギリになってしまった。ラグなどは洗えるからいいのだがいずれカーテンなどもクリーニングに出さなければならないだろう。
今日の撮影はたいした量ではなかったので夕方前には終了する事が出来たのだが、今日中に仕上がりを発送しなければならない事情があり、9時の仕上がり迄渋谷の現像所で待つこととなる。明日からの2日間は九州の久留米でCDジャケットの撮影があるので、今日中に羽田迄機材を預けに出かけなければならない。照明機材は3.2Kwのストロボジェネレーターなどとても当日タクシーで運べる量ではない。明朝はカメラだけを持って羽田に行く事が出来そうだ。 今日の仕上がりは明日着の宅配便の集配迄持って行き何とか一安心である。週末に出張が重なるとスケジュールのミスを出しやすくていつにもまして注意が必要だ。15日には戻ってロケもある、その機材も幾らか準備しておかねばならない。自宅の工事の為に時間が取られている事が恨めしい。 久留米での撮影はポスターとCDジャケット、タレントとは言えまだ子供なので油断はできない。フルデジタルのつもりでパソコンも持って行くので意外と荷物は多くなる。予備のつもりのニコンのF100がフィルムも合わせると結構な荷物で考え込んでしまう。 |
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9/9 昨日からの下水の工事は今日も続いており、自宅で立ち会わなければならないのだが水周りが全て使えないので作業を進める訳にも行かない。結局工事の合間を見ては少しずつ外出をくり返す。仕事もあるのだがなんとも落ち付かない一日だ。
昼頃の時間帯に横浜のニコンのサービスセンター迄デジカメのCCDのクリーニングに出かける事にした。買った最初の頃から画面にゴミが写っていて気になっていたのだが、無料でクリーニングしてくれると言う事なので暇を見て行ってみたいと思っていた。作業そのものは一時間くらいとの事で、適当に食事をして時間を潰し、仕上がった頃を見計らって取りに行く。一年間は無料と言う事でメンテナンスはやはりニコンが優れている。 今回のメンテナンスで、たまたま私がボデーに付けてあった広角レンズに故障が発見された。ほとんど絞りが動かないのである。しばらく使っていなかった夏の間にオイルが回ってしまったのか、広角では珍しく、すっかり点検を怠っていた。 なまじデジカメばかり使っていると機材の点検する場所が多すぎて、基本的なカメラの部分を忘れてしまいがちである。とにかく週末からの撮影で危なく使ってしまうところだった事を思えばニコンサービス様様と言った感じだ。 その他の用事も済ませて自宅に戻ると今日の作業はほぼ終わっており、やっと掃除と片付けができるようになっていた。台所の物を棚も含めてすべて居間に移してあったので片付けと掃除に夜中迄かかる。工事そのものは未だ終わった訳ではないのでこの作業をこれから未だ何回かやるのだと思うとかなり憂鬱になる。 夜る遅く昨日思い付いた「春にして君を想う」のビデオを借りにツタヤに行ってみたら、1本しかないテープは貸し出し中だった。少しがっかりしたのだが誰かが見ていると思うとなんだか嬉しい気持ちでもある。 |
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9/8 自宅の配水管の工事が再開され朝から台所やトイレの壁を激しく壊し始めた。もちろん水周りはしばらく使えないので午前中は昨日迄のプリントのフラットニングをする。結構な枚数がたまっており昼前迄目一杯の作業である。
工事の進み具合を気にしながら渋谷に出かけ、現像所で先週注文してあったカラープリントの仕上がりを受け取る。ネガのカラープリントはラボに出すとほんとにいい加減な仕上がりで、自家処理をしていた頃では考えられないピントのあまいものだったのだが、人に頼むのだから所詮はそんなものだとあっさり諦めてしまった。もう少し余裕がある時はスキャニングしてインクジェットで出力するのだが、今回は30点もあったのでとてももやっている余裕はない。 そのまま表参道へ納品に出かけ、続いて秋葉原へデジカメのコンパクトフラッシュを買いに行く。最近のカメラでは256Mは必要でもう少し大きい物も必要だとは思うのだが、転送時の不安などもあり小さい物を数多く使う方が自分の好みにあっている気がする。それにしてもデジカメ関係の細かい出費は結構な物である。 自宅に戻ると工事はほぼ終わっており部屋の中は全体に埃っぽい。家にいても仕方がないので打ち合わせをかねて渋谷に出かけ、失業中のデザイナーと久しぶりに飲む。会社が潰れてからは6ヶ月の専門学校に通っておりそれも今月一杯との事、失業給付が切れるのとともにフリーで仕事を始める話などを聞く。 東京近郊に実家のある彼女の話を聞いていると、両親と家の存在が穏やかに底辺を流れておりとても羨ましい。価値観や感性を超えて、見守っている家族と言う物は本当にすばらしい物だろう。過去であり、未来でもあり、普遍的な感性なのかも知れない。家を持たない人間にとってそれは大地と自然なのだろうか?心を満たす空間をいつかは見つけられるのだろうか?宇宙に帰依する神の子ならば、、、 フレデリック・フレデリクソン監督の「春にして君を想う」はとても好きな映画でこの日記を書いていたら思い出して見たくなった。 |
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9/7 昨日も明け方迄作業をしていたので今日も早くは起きられない。印画紙を買いに渋谷迄出かけたので、ついでに回転寿司で昼食を取る。なぜだか少し幸せな気持ちになったのだが自分の中では妙に納得が行かない感じである。
昨日に引き続き6x6のプリントを進めるのだが、キャリアのガラスを一枚はずしただけで作業効率はぐっと良くなり、ネガのレンジや紙の調子に慣れるためにもできるだけ多くのイメージをテストする事ができるようになった。 今使っているイルフォードのウォームトーンは癖のある紙で、ベルゲールなどから比べると調子も明らかにチープで、色調はどうにもいただけないのだが、再現性の中に今の印画紙と昔の印画紙が合わさったような不思議な特性があり、安っぽいようでも妙に止められなくなってしまった。シリーズが仕上がってしまったら嫌になってしまうのかも知れないのだが、初めてプリントするネガと言う事もあり、6x6のプリントなら薄いネガの濃度に意外とマッチしているのかも知れない。 少しづつ気温がさがって来た。暗室のエアコンの調子がよくないので、設定温度を余り下げられなかったのだが、この2日間はそこそこ温度が安定している。外の空気にも明らかに秋の気配を感じ、東京にも季節があるのだなと今さらのように感心する。時間を気にしていてもつい夜更かししてしまう気が付けばもう3時。明日は朝が早い。 |
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9/6 先週に引き続きブローニーのプリントを進めるのだが、途中で来週撮影するCDジャケットの打ち合わせの為に表参道迄出かけなければならない。一時作業は中断したものの、午前3時を過ぎる頃迄作業を続け3点の作品を取りあえず仕上げる事ができた。
先週から気になっていたニュートンリングに嫌気がさして、キャリアの上のガラスをはずす事にした。結果的には薄いネガに関してはホコリも目立たなくなり露光時間も短いので特別トラブルは感じていない。前回の結果からセレンの濃度を1:30迄下げて5分近くトーニングしているのだが今日始めてシャドーの多いプリントを試す事になり、結果は明日にならないと解らない。 姑くは6x6の作品を手掛けなければならないのだが、大型のフォーマットで撮影したものと比べると、構成が幼稚な気がして途中で嫌になってしまう事があるのだが、シリーズの完成迄はなんとか目を瞑って作業を進めようと思っている。欠点ばかりを見ていては先に進む事はできないと言ったところか、、、 |
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9/5 昨日の夜の事なのだが、HPのHTMLソースを不用意に操作したため、何ページかのファイルを壊しまった。テーブルで組んでいる為ちょっとした事が取り返しの付かない事になる。バックアップファイルを何度も加工して夜明け前にやっと修復を完了した。もうすぐサイトもリニューアルするので少しずつ勉強していたつもりなのだが、マシンが新しくなった事もあって危険な要素はまだ沢山残ってている。
そんな事情もあって今日は起きるのがすっかり遅くなってしまった。昼前にスタジオに出かけ大体のの用事を済ませた後、昼過ぎに自宅に戻って昼食を取る。昨日の夜にやっと完成したビーフストロガノフは今迄で一番出来が良いようだ。レシピのメモを残しておかなければと思うのだが、ついめんどくさくなって次に作るとまた失敗してしまう。レシピだけでなく生活そのものがそうなのかも知れない。 暗室でプリントを進めようと思っていたのだがさすがに寝不足で始める気力がおこらない。うたた寝をしながらコンタクトを見ていたらすっかり夜になってしまった。 昨日の展覧会の事をぼんやり思い出したりしていたのだが、なんだか物悲しい気持ちになってしまう。雑然とした空間、無秩序に並べられた全く無関係な作品達、知人の写真家のNさんの作品は企画者側の賞こそとっていた物の、会場の騒音の中でただ静寂を保っている。騒音と言っては誤解を招くのかも知れないが、いろいろな作品がバラバラに発するイメージは一歩さがって観なくてももはやノイズ以外の何ものでもない。繊細さこそが彼の作品の命であるならばその静寂の中のダイナミズムは誰にも伝わらないように思えてならないのだ。もちろんそれを見抜き光と生命を受け止める者もいるかも知れない、しかしほとんどの観衆は常識的に幼稚で無能だと言う事もまた事実である。 |
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9/4 自宅のマンションの配水管の工事の為、朝からトイレや廃水が使えない。急がない仕事だったのだが家にいても仕方がないのでスタジオで撮影をすすめる事にする。昨日の残りのカットが10カット。デジカメという事もありそれほど時間はかからない。結局昼過ぎには終了し、自宅に戻ってデータの現像処理をする。
すべてのデータ処理を終わらせてから渋谷の現像所に出かけ昨日の本番の指示を出す。6時からは赤坂の東京写真文化館へ企画の展覧会を見に行く。予備知識がないまま会場に来てしまったのだが一見すると美術展のコンペのように様々な作品がバラバラに飾られている。会場で待ち合わせをした写真家のOさんは今回の企画にも参加しており、企画の概要を簡単に説明してくれた。今回の作品展は海外での企画展の為に、予選形式で審査した作品のシリーズから、数十名の作家を選抜し、それぞれの作品を一点ずつ展示しているとの事。道理で傾向やレベルがまちまちである。 あまりに作品がバラバラなのでかえって新鮮に見える部分もあるのだが、展示する側の配慮が幾らかお粗末で、とても有料の展覧会と言える物ではない。なにか他に方法はない物なのだろうか。写真家が作品を作るように企画する側が真剣に展そのものを考えていればもう少し違った表現という物が存在するはずだ。ランダムに作品を表現する事をコンセプトにしていると言うのであれば片寄った視角からの賞などつける事はどうにも納得が行かない。 写真に限った事ではないのかも知れないが、ただ一点の作品の中にその作家の個性を凝縮する事は非常に難しい。みなそれぞれにその思いの中で作品を出品するのではないのだろうか。型にはまったジャンルなど必要無いのだが、一応写真は芸術であり、鑑賞の対象として観に来る人もいるだろうと思う。 今日会場でお会いしたOさんや、他にも知人の写真家のNさんなど一点一点意識してみる作品は美しいのだが、無意識に通り過ぎるどれほどの人がそれぞれの作品の個性を受け止められるのだろうか? 会場を出た後写真家のOさんと彼女の知り合いのパキスタン系のフィジーの男性と一緒に赤坂で食事をしてから帰宅する。パキスタンはイスラムの国、神秘的な精神世界はそこにはまだ存在している。 写真家のOさんは今月末にはまたNYに戻ってしまう。今回のような雑然とした展示の中でその作品の個性が引き立つように、彼女の生活のベースもまたNYのような都会なのかも知れない。自分の作品に就いて考えると、今回の展覧会のような雑然とした空間はどうしても想像が付かないのである。環境を選べる事こそが、私の今の生活の安らぎであるように、作品もできれば受け止めやすい環境で飾ってやりたい。余りにも無力な存在なのだと思う。 自分の居場所はいったいどこなのだろう、都会や田舎と言った言葉で区別できる所にあるのだろうか? |
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9/3 今日も撮影は午後からで、月刊誌の見開きのページの撮影である。複雑な撮影だが終了は7時頃、小道具の返却や仕上がりの発送で荷物の集荷を待って、現像所の閉まる9時ギリギリにテストのフィルムを渋谷の現像所迄で持って行く。明日はこのフィルムの仕上がりを見ながら続きのカットを撮らなければならない。
来週の撮影の打ち合わせを近所の店で済ませ、自宅に戻ったのは12時頃、途中雷を伴った豪雨で2度程びしょぬれになったが、都心の夕立ちは少しすがすがしい物がある。今日の撮影は12月号だが、白いクリスマスツリーが今日の暑さに涼しさを添えて妙にいい感じだ。 年代的な物もあるのかも知れないが、子供の頃にクリスマスツリーを飾った記憶はない。近所の家の飾り付けられたツリーがとても羨ましかった事は今でも鮮明に覚えている。スタジオの中はクリスマスのセットが作られカントリー調の板壁の前に白いクリスマスツリー、床に迄沢山のプレゼントが飾られている。それを撮影しているのは自分なのだが、そんなスタジオの風景を妙に写真に撮っておきたくなってデジカメを出そうとしたのだが、なぜだか恥ずかしくなってすぐに止めてしまった。 |
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9/2 撮影の無い一日。先週撮影したフィルムの本番が仕上がって来たり、明日の撮影の小道具が届いたりでスタジオと自宅を頻繁に行き来する。あまりに何度もスタジオ迄出かけなければならなかったので、空気が抜けて最近は使えなくなっていた自転車を自転車屋迄持っていき空気を入れて使えるようにする。
久し振りに乗る自転車は爽快でこんなに車や人が居なければきっとこれだけで十分な娯楽になるのだろうと考えたりする。先日休暇中に離島で貸してもらった自転車もとても整備が行き届いており、気持ちよかったのを思い出す。 前にも書いたような気もするのだが、私はこのママチャリに30年近く乗っている。正確なところは忘れてしまったのだが、何度も引っ越しを経験しながら、なぜか気が付くとこの自転車だけは自分の傍にいるのである。1970年代の最後の頃、この自転車の後ろに三脚を括り付け、背中に8x10のカメラを背負って海岸迄写真を撮りに出かけていた記憶があるので四国の実家にいた頃から乗っていたことは間違いない。その時にネジをなくしてしまった三脚も今でも使っている。 当時に比べれば幾らかペダルも重くなったのかも知れないが、今でも十分な性能をも維持している。もし実家に住んでいたとしても今の体力では何時間もかけて海岸迄写真を撮りに出かけることはできないだろうが、、、、 今日はスケジュールの行き違いが多く、無駄な一日を過ごしたように思っていたのだが、今この自転車の事を書いているとそんな悪い一日でもなかったような気がする。 |
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9/1 今日は現像所が込み合っていて昼前に出したフィルムが3時半頃迄仕上がらない、一度スタジオに戻り、時間を見計らって渋谷迄取りに行く。どうしても今日中に仕上がりが必要という事で何度も渋谷に足を運ぶことになってしまった。夕方からは先月ジャケットの撮影をしたミュージシャンのライブを撮影する為表参道のライブハウスに出かける。何時ものようにデジカメとカラーネガの両方で撮るのだが今日は先日から使い始めた新しいデジカメを使うことにする。
撮影そのものは気楽な物なのだが、カメラに未だ慣れていないので暗いライブハウスでは少し手こずってしまう。終了する頃にはなんとか使いこなせるようになり、性能の差はある物のこれからはなんとか使っていけそうな感触である。 終了後ライブのスタッフと一緒に近くの居酒屋の打ち上げに行く。関係者は年齢層やポジションによって微妙にグループ分けされて盛り上がっているのだが、私の場合はどっち付かずで居場所がはっきりしない感じなのだが、それなりに楽しいひとときを過ごす。 自宅に戻った後撮影したデータをチェックしてみたのだがカラーバランスやラチチュードなどは確かに前のカメラのD1をに上回る物がある。確実にデジタルの世界は進歩しているのだと感心させられる。 |
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