作者近況 | 3月03年 | 2月03年 | 1月03年 | |||||||
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4/30 スタジオで少し用事を済ませた後、床屋によって久し振りに髪を切る。銀座迄危険物扱いの薬品を買いに行ったあと、赤坂見附のTPCCで西村陽一郎さんの展覧会を見る。
久しぶりにいくつかのシリーズの作品を同時に見る事ができていい展覧会である。普通には考えられない繊細さで、オリジナルで無ければ表現できない世界の極みと行った感じで羨ましくなってしまう。一つずつのシリーズで見て来た時よりも、私にはこうして、何点かづつがシークエンスのように展示されている方が、写真的と言うのも変なのかも知れないのだが、彼の作品は妙に絵画的な部分もあるので、作家としての作品へのスタンスがしっかり伝わってくる気がするのである。閉館の時間迄久しぶりに長く話し込んだ後、渋谷に寄って他の薬品類を購入しかなり重くなった荷物を持って自宅に戻った。 ここのところ電車で移動する事も多く、最近壊れていたMDのウォークマンを買い替えたので電車に乗っていてもいつもとは妙に感じが違っている。前のものより遥かに音質も良くなリ、電池の消耗も気にしなくて良くなった。長い船旅や、飛行機には今では手放せない物の一つかも知れない。音楽は想像をはるかに超え、長い歳月を超えて、私達の心に安らぎを与えてくれる。どんな形であってもその本質は完全に失われる事は無いのである。だからこそ複製や伝達の技術が進化して来たのも事実だと思う。写真や美術に於いてもそれは同じで、できるだけ精密に、大量に複製し伝達して行く事が芸術の自然な流れである事に変わりはない。 写真に於いても全ては同じようなのだが、大量に、精密にと言う事が素材の特徴の中に最初から含まれていた事がこの芸術の特殊な部分であった事は言うまでも無い。版画に於いてもある程度同じであったのだとは思うのだが、細かい素材の違いは抜きにしても、写真には最初からオートマティックな部分が余りにも多く量産主体の複製芸術的な印象が強すぎるのである。 西村さんも含めて私達の考える写真感と言う物は複製、量産、という感覚を否定する物では無い。オリジナルである事は重要なのだけれども伝えて、見てもっらってこそ、オリジナルへの欲求も生まれると言う物である。伝えなければならないディテールにはそれを生み出すだけのコンセプトが必ずあり、その部分は必ず、どんな形になっていても、ラジオから聴こえてくる魔笛のように伝わって行く物だと信じたいのである。 |
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4/29 久しぶりに午前中は家事に専念してみた。午後になって先日のガラスの器をかたずけなければならないので、キッチンの棚の辺りを整理し始めたらけっこうな大仕事になり、しかも買ったばかりの物も含めて3個も割ってしまい結構ショックである。
最近更新されたM・ケンナのサイトに新しい写真集のCalais.Laceがアップされ多くのイメージが見られるようになった。例えウェブであっても伝わってくる彼の作品へのデリケートなこだわりには本当に感心させられる。私自身のサイトを作るきっかけになったのも、彼のシンプルで的を得た表現があったからこそだと思う。見せるべき物は、作品とそのコンセプトなのである。 最近知り合いの絵本作家のHさんからHPオープンのメールが届いた。独創的なキャラクターで人気の彼女だが、ウェブになるとトップページ以外ではキャラクターがぼやけてしまう。データベースであってもやはり情報を絞り込む事の必要性を痛感する。私のサイトもそうなのだがコンテンツとして必要のない物も結果的に多く載せなくてはならない。必要な情報を、どうやって求めている人だけに伝えるかが、サイトデザインの難しさなのだろう。 |
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4/28 またしても深酒してしまったせいで気分が悪い。さすがに昼近く迄起きられず、やっと体が動くようになったのは午後も遅くなってからだった。夜には二件の打ち合わせがあり、資料も少し用意しなければならず、だらだらと準備をしていたらすぐに夜になってしまった。一件目の打ち合わせの途中で金魚の本を見せてもらった。実写の金魚だったり、陶器や屏風絵等全てが金魚をモチーフにした物ばかりでできている。ページをめくる度にゆらゆらと金魚のようにゆっくりとまとわリ着いてくる感じが面白く、嫌いだったらんちゅうもなんだか可愛く見えてくる。
打ち合わせを全て終えて、自宅に戻りデモテープを聴いたり、資料に目を通す。CDジャケットの撮影はメジャーレーベルのアーティストよりインディーズのデビュー盤が妙に緊張する。大袈裟かも知れないが自分の才量が誰かの運命を左右しているようで、少しでもレベルの高い物を作らなければと思う気持ちが一杯なのだろう。 |
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4/27 今日は九十九里の海から少し離れた所にあるクリスタルガラスの工場に出掛けた。毎年この時期になると一年に一度だけ、B級品や在庫品等のセールが開かれるのである。私はガラスの食器やグラス類が非常に好きなので殆ど用途のない物でもどんどん買ってしまう。今回は初めて行く知り合いばかりをつれて行ったので、皆その値段の安さに驚いているようだったが、それぞれの買い物には個性がありなかなか面白い。五月を思わせる陽気の中で外のテラスで食事をしたり一日を思う存分楽しんだ。帰りの道はさすがに少し混んでいて早めに出たのだが都内に戻ったのは暗くなる少し前だった。皆近くに住む連中なので飲みに行く事となり焼き鳥屋にでかけ、遅く迄ワインで盛り上がった。
全員が酒豪と言う事もあり私もかなり酔っぱらってしまったのだが、それからメンバーのひとりが案内してくれたのは近くの雑居ビルの細い階段の途中にある小さな雀荘だった。彼女は殆どの人が知り合いと言う感じでつまみと酒をみんなに勧め、一通り行き渡った所で、今日紹介した私の知り合いと店にいた人とゲームを始めてしまった。 彼女達にそんな趣味があるのも驚きだったのだが、何より雀荘と言う物に何十年来た事が無かったのでその印象は随分違うものだった。明るい室内はスポーツジムやホテルの休憩室のようで食事やお酒を出してくれるカウンターも妙にスッキリしている。ドリフのギャグや映画に出てきそうな雑然とした世界では無いのである。ともあれ酒ばかり飲んでいてもしょうがないので、ゲームのできない私ともう一人の知り合いは何杯かごちそうになった後、他の彼女達をおいて帰る事にしたのである。なんだか狐に摘まれたような一日だ。 |
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4/26 昨日の深酒のせいで昼前迄いろいろな夢を見た。誰かと映画の話をしながら壁のペンキを塗っている夢だったりしたのだが、あまりにリアルで起きて暫くたってからも夢の中で映画のタイトルを思い出せないでいた自分を苛立たしく思い出してみたり、その架空の映画を想像してみたりと現実との区別が着かない。
昨日部屋の中のバンブーがさしてある花瓶の水を替えたので中で一匹だけ飼っている魚が良く見えるようになった。12月以来なので花瓶の内側はびっしりとコケが生えていて彼はその中でひっそりと生きていた。花瓶を洗って外が見えるようになってしまって少し落ち着かない感じであるが、勝手に気持ちよさそうにしていると考える事にする。 |
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4/25 月末の支払日で午前中は銀行や郵便局等金融機関をまわる。今月は国保の請求がない月なので、随分と助かる。しかし来月は車の税金だったり、いろいろ不規則な出費に対応しなければならない。スタジオに出向いて少し経理の処理を済ませた後、最近仕上げたファイルを納品する。先方の感触もまずまずのようだ。
今日は近所の店の5周年のパーティーで少し遅れて店に着いたのだが、盛大な盛り上がり用だ。殆どが音楽関係なので、次から次へいろいろな演奏を聴きながらワインを飲み続けていたら久しぶりにかなり酔っぱらってしまった。連休が開けたらまた何本かCDやアーティストの撮影で忙しくなりそうだ。 |
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4/24 最近デジタルの仕事が多かったせいでPCによけいなデータが多くたまり、動きが遅くなっている。夕方からバックアップを取り始めたのだがCDRに40枚を焼きつける事になった。環境が大きくなるにつれてバックアップの作業もそれだけ大変なのだと、思い知らされてしまった。
HPの新しいコンテンツとしてオープン当初から最も私の意識の高かったダークルームテクニックに関するページをそろそろ作らなくてはならないと考え始めている。自分流にやって来た事だが、たとえ狭さくした技術であっても幾らかの関心を持ってくれる人に見てもらって、何がしかの反響を得られれば、自分にとっても新しい刺激になるのではと思うのであるが、、、。 |
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4/23 昨日からのスキャニングは無事終わったが、出力するのに時間がかかり仕上がったのは夜になってからだった。私の使っているスキャナーは4x5とブローニーはアグファのDS2500で、35ミリ等はポラスキャンとミノルタを使っている。性能はともかく、とにかく作業には慣れが必要で、暫く使っていないとフィルムの装填でさえ時間がかかり、設定や操作に於いては未だに完全に使いこなしているとは言えない状態だ。品質的には今一つだが、それでもカラーの画像をこんなに楽に出力できるようになるとはすばらしい事である。
以前はモノクロと同じようにカラーのプリントもダイレクト、ネガ共に自分で処理していた。当時CBの処理液は高価で生活費と同じくらいの金額がかかっていたのだが、それでも15年前のカラーの個展の時には60点以上全て自分でダイレクトプリントし、ペーパーの相性が悪く処理を変えなければならなかった数点をラボに頼んだ事をを思い出す。 当時使っていたカラーの引き伸ばし機を処分する時、買い取ってくれたのが知り合いに紹介してもらった写真家の西村さんだった。今思えば無駄なような実に多くの試行錯誤をくり返さねばならなかったが、その中でので出合いや学んだ事も多いのだろう。供給されるソフトやハードに順応しなければならない写真家の宿命なのかも知れない。近年オルタネイティブのプロセスに関心が高まるのも、そうした写真家のストレスからではないだろうか? |
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4/22 午前中にデータのメールや仕上がりの連絡等を事務所で済ませ、自宅に戻り後は一日カラーネガのスキャニングから出力迄の予定だったが、事務所から戻る途中にツタヤに寄ってCDを借りてから予定が狂ってしまった。去年中目黒にもやっとツタヤができたのだが、なかなか行く機会が無い、ビデオはたまに借りるのだが、CDはまだ目を通す事すら無かった。試しにジャズの所を見ていてJ.コルトレーンのMy.First.Jazzを見つけて衝動的に聴きたくなって借りてしまった。
レコード時代の終わりとともにJazzは殆ど聴かなくなった。勿論何枚かはCDも持っているのだが個人的にはクラシックよりなおさらCDである事に抵抗があるのかも知れない。レコードプレーヤーと大量にあったLPレコードを処分してからは酔っぱらった時ぐらいしかCDをかける事も無かった。さて借りたMy.First.Jazzなのだがどうしても家で仕事をしながら聴く気にならず、車で出かける事にした。駅の地下の駐車場からこの前やっと動くようになった車を乗り出して重いキャンバスの幌を上げて海を見に行く事にした。 結果的には既に午前3時を超えているのだが、20枚以上のデータ出力はまだ半分も終わっていない。明日の納品迄に徹夜で仕上げなければならない。 夕暮れ時の鯛の浦でCDを聴いた。もうすぐひじきの猟が始まるのだろうか、遠くから見る海岸の色が海藻のような褐色である。 |
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4/21 昨日現像したブローニーのフィルムをルーペで見てみると微妙にブレている物が多い。何コマも同じカットを撮影しているのだがやっと一枚使えるかどうかと言った感じである。そもそもブローニーを使う場合と言うのは、大体強風で4x5のカメラが使えない時に限られるので仕方のない事なのだが、改めて撮影状況を思い出してみると本当に過酷な条件が多かった。晴天で気温は-5度位あったとしても、15メートル程の風が常時ふいているとちょっとしたカメラの細かい操作の為に手袋を外していても、すぐに指の感覚が無くなって、シャッターが切れなくなってしまう。風がとまるのを待ってレリーズを持っていると、いざと言う時には指は動こうとしないのである。勿論今この写真からは想像できないのだが、、、、
私がブローニーのカメラを使うのは基本的には風の強い時である。カメラも今迄いろいろな物を使って来た。それぞれに合ったイメージを追いかけて来たつもりであるが現在は自分のカメラではなく、知人のカメラマンからお借りしているマミヤの2眼レフ(C3)を使っている。このカメラには去年中古のワイドレンズ(55ミリ)を購入し画角はとても気に入っている。赤外のブローニーフィルムを使いたくてこのカメラをお借りしているのだが、そう言うサブカメラとしての扱いなので今一つ完成度の高い作品迄辿り着いていないのである。その為今月中止にしたのだが、ハノイ、ホイアンはこのカメラの為にもかなり期待した撮影旅行だったので残念だ。 |
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4/20 午前中にスタジオに出掛け撮影済みのフィルムと現像用のバケツを持って帰ってくる。昨日うっかり忘れて帰った為時間をロスしてしまった。ブローニーのフィルムを20本程現像したのだが処理も簡単で10時前には殆ど終わってしまった。
シートフィルムの現像と違ってロールフィルムの現像は精神的にも少し楽な気がする。リールに巻き込む時には神経を使うのだが、シリンダーで処理している為完全暗黒ではあっても薬品の液量も多く温度管理等も楽なのかも知れない。今回初めて処理液の温度が処理中に0.8度上昇し、冷房の必要な時期になったのを感じた。 先週数年ぶりに会ったギャラリーのキュレターとの話しの途中で「まだ4x5で撮影しているのか」と言う質問があった。これは私が特に感じる事なのだが、人によって4x5と言うサイズを非常に軽視している感じがする。彼等は写真も撮らないので理解しようも無い事だが、ラージフォーマットの中で4x5と言うサイズは単に一番小さいサイズと言うだけでは無く、特別な意味を持っている。これは5x7、8x10、11x14、はたまたそれ以上のカメラを扱い実際に撮影した作家であれば直感できる事なのだが、頭の中で考えている人たちにはいろいろな説明が必要だ。勿論サイズの大きいフィルムには絶対的なアドバンテージがある、それはコンタクトプリントに於いて絶大で、ダイレクトに焼きつけられる中間調や全体を通した連続階調は引き伸ばした物とは比べるよしも無い。どんなネガであれ引き伸ばし機にかけると言う事は、一度圧縮したデータを再構築する事でありデジタルと同じように、連続した階調部分が失われる。その点に於いて引き伸ばすのであればどのサイズでも同じ環境であり焦点は情報量の差と言う所になってくる。 さて、画素的に見た情報量が微粒子のフィルムや、高解像度のレンズで同等だったとして、それでもそれぞれのサイズにはそれぞれに適した被写体やイメージと言う物が存在するのである。それはそれぞれの焦点距離による空気感の差だったり、拡大率による粒子間のシャープネスの違いだったり、不本意ではあるがフィルムやカメラ等の供給されるハードやソフトの違いでもあったりするのである。 4x5のサイズの特徴に就いて少し触れてみたい。先ず焦点距離の短さが絶対的なシャープネスとパンフォーカスのイメージに於いて大変優れている。それぞれの焦点距離のレンズにピンホールに対応するレンズがあり解析も非常に少ない。そしてカメラ、引き伸ばし機も他のサイズとは精度が比べ物にならない程高い。フィルムに於いても桁違いに微粒子の物が楽に入手できる、被写体に対するカメラの投影面積が小さく光線のさまたげにならない、、、、、つまりシャープな画像再現やパンフォーカスのイメージをこのサイズは非常に得意としているのである。 私の作画するイメージは殆どがパンフォーカスでクローズアップや強い光線による立体的な描写が特に多い。最微粒子のフィルムを使い集光式の引き伸ばし機を使うのもそのシャープネスを最大限に発揮する為である。そして絶対的に不足する階調はマスキングやフラッシング、科学的な現像段階で補っているのである。 ロールフィルムの中で35ミリやそれぞれのサイズが独特な意味を持っている事は理解できても、ラージフォーマットの世界になると何か大きい方が有利なように考えるのは写真に対して大変理解に乏しい事である。見識のある人たちの中でもどれほどの人がそれぞれのカメラの特徴を本当に理解しているのだろうか? |
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4/19 昼前から昨日の残りのカットを撮影し夕方前には終わってしまったので、コンビニへ寄って宅急便を出した後、現像所へで出かける。どこかへ出掛けたい気分なのだが明日は天気予報では雨のようだ。遊んでばかりもいられないので明日はブローニーのフィルムを現像すべく準備を始める。先週 M.ケンナの写真集を何冊かD&Dep.でみる機会があった。この前写真展で見て来たのにもまして良い感触である。印刷のインクがなんとも言えない色で独特な光沢を放っていた。彼の作品には前にも触れた事があるのだが、それほど新しい視点で被写体に接しているわけでは無い。独自のスタンスはあるのだけれども、やはりそれよりも画面に対する極限的なデリカシーが特徴である。
最近見る事は無くなってしまったのだが H.キャラハンの場合はより強い独創性を感じる。次々に新しい被写体を奇抜なアイデアで形にして行く。その才能の豊かさとそれが受け入れられた時代がとてもうらやましかった。彼に会ったのは20年程前だが、その穏やかな老人は、当時でさえ自分の生きて来た時代と比べると写真家の活動が受け入れられない事を嘆いていた。それから20年、私の作品はどれほどの新しい発想を形にできたのだろうか。 |
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4/18 朝早く撮影の荷物が届いたり現像所がフィルムを持って来たりであわただしい始まりだった。10時頃からはいろいろな人たちが立ち代わりスタジオを訪れて夜迄撮影は続いた。結局少しではあるが残りを預かって明日撮る事にして今日の所は終了する。
先日迄だらだらと時間を過ごしていた事もあり、ネガのスキャニングやフィルムの現像等残っている作業が多くてストレスを感じる。明日一日では全てが終わるわけも無く来週に持ち越しそうである。 10時過ぎに自宅に戻り撮影の小道具で残った鯵を料理してみる。一つはカレー粉でソテーしてみて、残りのひとつはピカタ風に調理してみた。新しいレシピに挑戦して見みて、どちらもまずまずなのだが、鯵はたたきや塩焼きが一番だ。 |
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4/17 昨日遅く迄飲んでいたせいですっかり起きるのが遅くなってしまった。借りていた機材を返しに出掛けついでに修理の終わった腕時計を受け取ってくる。先月修理に出したハッセルのレンズはまだ戻って来ない。
昨夜の話題が頭に残ったせいか、姉が夢に出て来た。何十年も前の薄暗い実家の部屋で、さらに自分の机の周りだけを暗いカーテンで覆って勉強をしている姿である。それを見ている自分は当時の少年なのだが、彼女の現在も知っているのである。悲し気な人生のパラドックスは私の中にも存在するのだろうか。 昨日に引き続き気合いのはいらない一日を送った。床屋に行こうかと思って出掛けてみたが途中の酒屋で古い酒のデッドストックを見ているうちに気が変わり、スーパーマーケットでしこ鰯を100円で買って帰る事にする。イワシをオリーブオイルでソテーしてオクラを添えてレモンで食べる。オレガノを使ったのがいい具合である。それから日曜日に鎌倉で買って来て灰汁抜きしてあったタケノコをしめじやブラウンマッシュと一緒に素揚げにして、塩とカレー粉、レモン等で食べてみる。木の芽が無いのが残念だ。今日はとても暖かい。この幸せは、南国で暮らす人には得られない物かも知れない。もう冬は終わりだ。明日は一日スタジオで撮影。 |
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4/16 昨日デジカメで撮ったデータを午前中に確認し、そこそこ良い結果で安心する。カラーネガのほうは午前中に現像に出し明日以降の仕上がりだ。昼間にゆっくりと時を過ごしていると、知人から飲み会の誘いがあった。少し人数が集まるのかと思ったが、結局彼女だけだったのだが自宅で飲む事にする。会社の中での事や郷里の兄弟の話等さしで飲んでいる時ならではのプライベートな話題が面白い。彼女の郷里は山形らしく物産展で買って来たこんにゃくの煮つけが良いつまみになった。
コピーライターでサラリーマンの彼女にとっても、現在の暮らしはさほど安定した物では無い。さらなる躍進と出世に立ち向かっていない限り、明日には首になりそうな話である。 実際の話は良く解らないのだが、やはり近況は好ましく無いようで、憂鬱になる話ばかりだ。自分の心境に就いて考えるのだが価値観を転換しなければならない時期にいる事だけは事実のようだ。 |
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4/15 朝早く昨日のフイルムを現像に出し、昼過ぎには仕上がりを受け取り発送する。その後今日の夜使う機材を用意してテストする。一台はニコンのデジカメでもう一台にはカラーネガを用意する。ステージでの撮影ではデジタルかカラーネガからのスキャニングによるデーター処理が最近良好な結果を得ている。全てデジカメでいければ良いのだがダイナミックレンジの問題はやはりもう少し解決に時間がかかるようで、白い衣装等だとネガカラーのほうが結果が良好である。六本木は久しぶりでライブが終わってからも近くの別のライブハウスで遅く迄スタッフと飲んだ。自分のまわりの人間はみんなエネルギーに満ちあふれている。今日は歌手志望や、役者志望の人も一緒で10代だったりするし、我々の世代も大体会社を起こたり、新規事業で勢いづいている人が多い。
STBのコンサート自体は和やかな活気とともに楽しめる物だった。アーチストの写真も良い手ごたえだった。 |
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4/14 今日は午前中に機材をセットして午後からクライアントのショールームで撮影する。撮影そのものは簡単なカットなので夕方前には終了し、機材を戻した後代官山迄納品に出かける。8時前に自宅に戻れたので2週間程前に撮影した仕事のネガをスキャニングする。結局20点以上仕上げていたら2時を過ぎてしまった。
自由に時間を過ごせた週末の後だと少しぐらいタイトなスケジュールでもそれほど苦痛は感じない。明日は以前、偶然紹介して頂いた胡弓の奏者の方のコンサートの予定で愉しみにしていたのだが、演奏中のアーチストの撮影の依頼があり結局コンサートには行くのだけれども仕事をする事になってしまい複雑な心境である。午後からは機材の用意等でけっこう忙しい。 |
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4/13 環境について考える。江ノ島にはまだネコがたくさんいた。美しい接点はここにはまだある。ポイントロボスのE.Weston の家の近くに彼が飼っていたネコの子孫達が60匹近く暮らしている話を何かで読んだ事がある。
最終的に魂を支える物は生き物なのかも知れない。人間であれば芸術の中にも魂は存在する。ヘッセの「荒野の狼」の中のラジオから聴こえてくる魔笛のように音楽は勿論だが、演劇であれ、美術であれ、魂は恐ろしい力で空気の中を伝わり、予期せぬ人々の心に届くのかも知れない。あまりに多くの物がまわりにあり過ぎる。一つの命や生き物の価値が余りにも遠い所にある。 |
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4/12 鎌倉へは横須賀線から江ノ電で出掛けた。江ノ電の車窓から見える風景は10年程昔とそれほど変わったような気もしない。逗子に住んでいる友人も多く、鎌倉辺りなら住むのも悪く無いのかも知れないと内心考えていたのだが肌で感じてみるのではかなりの違いがある。長谷で降りて観音には行かず少し道沿いに歩いてみたのだが平日にもかかわらず渋滞の車にうんざりさせられた。先週この地に詳しい友人に聴いてはいたのだが、なんかリタイアしたディレッタントのお土産アートみたいな店が繁昌していて息苦しい。山沿いには静かな貸家も見つかるかも知れないがいずれにしても資産家の売却予備物件で長くは住め無いと言うような話にもうなずける。
私の友人でこの辺りにに住んでいる人たちは大体生活の糧は都内に属している。彼等の殆どはやはり自分に対する評価や存在を都会に依存しているのである。もちろん環境的には今私の住んでいる目黒区と比べようも無いが彼等の考える事はおそらく、都会の贅沢であり、食も、住も、都会的価値観の中から逃れる事はできないのである。つまり金で買える物で暮らさなければならない以上、自ら作る物も金に変えられる物で無ければならない。 今の生活を捨てて新しい生活を探す以上、自分の価値観をリセットする事がどうしても必要だ。そこで暮らしている多くの作家達は確かに芸術家なのかも知れないのだがその作品は今私のいるこの世界の尺度から一歩も出る事ができないのである。私がこれから作らなければならないのは金に換える為の物では無い。作歌として暮らしたいとは思っていても、これから作る作品は一点たりとも売りたくは無い。売るのであれば、魂を削って来た今迄の作品が妥当だ。新しい視点で物を見てみたい。 |
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4/10 先月から気になっていた雑誌の連載を撮り直す。編集の方からは一応OKをいただいていたのだが何か他の表現はないのかとずっと気になっていた。週明けが締め切りなので今日撮ればギリギリ間に合いそうである。ちょっとしたアイデアなのだが前のよりは良くなったような気がする。暗くなりはじめた頃自宅に戻りPCの整理を始める。フィルムの現像をするつもりもあったのだが、明日から鎌倉へ行く予定なので戻ってからする事にした。
鎌倉や江ノ島方面に行くのは7年ぶりで、不思議な期待がある。ロケや取材ではピンポイントでよく来てはいるのだが江ノ電に乗る事等はさすがに無い。夕方になるとやたら集まってくる江ノ島のネコは今でもいるのだろうか、そんな事を考えながら気紛れに宿をとってみた。 |
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4/9 昼前にスタジオを出て渋谷のギャラリー・ル・デコへ原田シオウさんの響を見に行く。DMが気になっていたので行ってみる事にした。ギャラリーの黒い壁によくマッチした展示方法だがかなりサイズが小さすぎる。一点一点のインパクトが繋がらなくてもどかしい。その後ビックカメラで現像液を購入し帰宅。車でPGIに出向き三好耕三さんと山崎さんに会う。
車で出かけたついでに新宿へワインを買いに行き、山手通りの洗車場で車を洗う。先日やっと動くようにはなったのだが、一度も洗った事がないのでいくら地下の駐車場でもほこりで色が解らない状態である。セルフの洗車場は久しぶりで勝手が解らないが、何とか洗車を終えてワックスをかける。 かなり時間もかかったので遅くなって自宅に戻ると駐車場のビルの管理会社から電話があり、配管の工事の影響で車を汚してしまったので洗車費用を支払いたいとの主旨、偶然とは言え余りのタイミングで、もとからよごれていた事を伝え支払いを辞退する。 |
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4/8 スタジオで少し経理をかたずけた後、自宅に戻ってプリントの準備をする。戻る途中から降り出した雨はなかなか止みそうになく、目黒川の桜もかなり散ってしまったような感じで残念だ。
夕方になって古いネガを探してみたり、かなりのんびりと時間を過ごしている。そう言えば一月に撮影したブローニーの赤外フィルムをまだ現像していない。ハノイで撮影するものと一緒に現像しようと思っていた為で、ハノイ行きが延期になりそろそろやらなければならない。 一ヶ月程前にお会いした某カメラメーカーの企画担当の方から、プロフィールを送付してほしいとの依頼があり展覧会用に作ってあった資料を探す。作品や活動に関する資料も少し付け足そうと思ったのだが、何とも言葉では表現しずらい物だ。HPを作る時から言葉を否定する様な傾向があり、作品に関するキャプションや私自身のプロフィールもページ上にはのせていない。しかし基本は言葉なのだとつくづく考える。絵画の場合でもタイトルが重要な意味を持つ物が多くある。私の場合は作品にはタイトルは不要なので展覧会の度に困ってしまう。自分の意志を言葉で固めて行くようなやり方が嫌いなのかも知れないのだが、これからは少しづつ馴染んでいけない物だろうか? |
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4/7 今日は基本的に先週のかたずけと納品や見積もり等をこなさなければならないのであるが、昨日花見帰りの2人組が来訪し遅く迄飲んでいたせいで起きるのが遅くなってしまった。やって来た2人は絶好調に盛り上がっており、春になると気狂いが増えるとか、子供をいくつかのパターンに分類するバイオリン教師の話等で盛り上がりながら、出す料理を次々に平らげて行く。これこそ春のだいご味と言ったところだ。それはともかく今日も暖かくてのどかである。
今日になって気付いたのだが、彼女達が忘れて行ったCDがあった。それがリストなのだがジャケットが妙にビジュアル系になっていて不思議な感じだ。どうせ小品だろうと思って曲目を見ると一曲めがBmのソナタなので驚いた。二十歳の頃数多く聴いたピアノ曲の中でリストは特殊な物だった。作曲家としての生活や、ワーグナーやニーチェ、そしてそのポートレートは華やかな音楽の世界とは一線を画する物であり写真で見る限り妙に禁欲的な感じがして好感が持てたのかも知れない。しかし曲そのものはあまりに難解すぎて、やっと聴きこなしたのはこのBmソナタともう一曲、それはもう少し難解な曲だったのだけれど思い出せない。超絶的な演奏の中に光が降りてくるような、、、、、、何より演奏家が思いだせない。 当時音楽だけが娯楽だったのかも知れない。映画は限られたた物を劇場で見るしかなく、自宅の下宿で読書が好きでない私にとってレコードだけが愉しみだった。しかしピアノ曲を聴く様になったのはクラシックのジャンルの中でもっとも最後のほうかも知れない郷里の実家で母親がピアノを教えていたせいで、音に対して生理的に抵抗があった。バロック音楽から音楽に引き付けられた自分にとってリストは普通に考えても遠い存在だったのだろう。今では音楽を聴く事は昔程多くないし、聴く曲は決まっている。新しい物を受け付けないのかも知れない。 さて20年以上の歳月を超えてBmソナタはどうなのだろう、何か私の知っている物に比べると力がないような気がする。しかしこれは多分聞き方の問題だろうと思う。当時スピーカーの前で最初の一音が出るのを物凄い緊張とともに集中して待っていた自分ではないのだから演奏うんぬん以前の問題である。今の自分にはおそらくもう聞こえない世界がここにはある。懐かしくすばらしいのだが、、、リストは、、、恐ろしいのかも知れない。 |
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4/6 朝から自宅のまわりは桜祭りで大にぎわいだ。すっかり忘れていたのだが家の前の通りも通行止めになるので車を出す事もできない。前の広場では目黒川を挟んで朝から賑やかなお祭りの楽壇が立ち代わり演奏している。昨日からの予定で今日は去年から動かしていなかった車を修理しようと思っていたのだが、自宅の近くに持ってくる事はできなくなったので地下の駐車場でなおす事にする。私は車を2台所有しており1台は恐ろしく燃費の悪い大型の仕事用のワゴンなのだが、これは自宅の駐車場に置いてあり、もう一台は全く実用性のない英国製のオープンカーを所有している。あまり表立って乗り回す事はないのだが、ある時仕事へのモチベーションを高めようと衝動的に購入し結局一年に数回しか動かさないまま駅の地下駐車場に保管してある。
購入した頃は仕事の忙しさにうんざりしていた事もあるのだが、違うジャンルへの仕事の転換で、自分の将来を切り開いていけるのではないかと広告以外のジャンルへの売り込みに積極的になっていた頃で、仕事の量も増え、忙しさの中で勢いをつけようとセカンドカーと思いきったのであるが、そんな物で仕事へのモチベーションを維持できるわけもなく、今年になってからは処分してしまおうかと悩みの種でもある。最後に動かしたのは去年の個展が終わって温泉に行った時なのでかれこれ4.5ヶ月は動かしておらず、動かなくなるのも道理である。 朝から注文してあったバッテリーを交換しセキュリティーのコードを入れなおしオイル、水などと順に点検して行く。さほど大きなトラブルは抱えていなかったようで昼過ぎには無事エンジンがかかった。 今日は駐車場から動かす事はなかったのだが、久しぶりにアクセルを煽っていると今迄の憂鬱が、あっという間に晴れ渡り、ここで、この町で、今迄よりも夢多き暮らしがあるような気持ちが一瞬拡がって行くから不思議である。 |
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4/5 久しぶりに一日何もしないで過ごそうと思っていたのだが、午後になってからは台所のレンジフードの掃除をしたり少しは雑用もこなした。外は風が強く寒々としていて外に出る気にはならない。思えば何時も花見の頃はこんな休日があったような気がする。
暫く続いた忙しさから解放され、午前中は殆どだらだらと過ごした。体の疲れがとれた頃、何か自分を駆り立てるものもあったのだが暗室に入るのは止める事にした。ここ2週間程働いたのだと言う言い訳と、来週から作業を始める予定もあるので、先ずは自分のテンションをもとに戻そうと思った。自分への不安で少しイライラしているのかも知れない。作品の事が頭の中だけで動いている。 |
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4/4 今日は時間に追われる一日である。全てを予定道理こなしてしまえばこの週末は休日として過ごそうと思っている。午前中にスタジオに入り、きのうの仕上りをチェックする。続きのカットをデジカメで撮影し、途中で外苑前のデザイン事務所迄仕上がりを届けに出かける。その後表参道に寄り、渋谷から横浜へ。スタジオに戻ってから残りの6カットをデジカメで撮影し、自宅でデータを作る。青山の骨董屋で鳥かごを衝動買いしてしまったのでずっと持ち歩かなければならなかった。
表参道の子供の城に出かけたのは先日豆本展で久し振りに会った絵本作家のHさんのパフォーマンスを見に行く為だった。彼女のスポンサーになっていた自動車メーカーのプロモーションを企画していたようで、彼女の作品がいろいろな所に展示されている。 先日会った時に新作の絵本をもらったのでちょっと行ってみようという気持ちになった。絵本という物には殆ど関心がなくとても疎い世界なのだが、今回子供の城でとても懐かしいいくつかの本に出会える事ができた。絵本の中に展開される世界はとても特徴的な物だ。表情は独自の物でありそれ一枚で人を打ちのめすだけの力がある。私の好きな絵本に共通する事はそう言う事なのだと改めて感じた。彼女の作品も最初の頃は確かにすばらしいエネルギーに満ちていた。今回展示されていた原画を見ていても絶対的な個性や生態を感じないのは私だけなのだろうか。 創作へのエネルギーという物はそれぞれの環境の中で大きく変化して行く。それに最も敏感なのはやはり自分なのだろう。何かが無くなれば一生懸命他の力でそれを補おうとする。勿論それが進歩であり成長なのだ。そして自分から少しずつ離れて行く。 ここ数日の自分の中にある不安はその部分である。自己への執着が逆に原点を喪失させるのではないか? |
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4/3 昨日は一連のシリーズの最終日でさすがに遅く迄かかった。戻ってからも今日の撮影の準備でほとんど睡眠を取らずに朝を迎えてしまった。今日の撮影は先ず児童向け月刊誌の見開きのイメージだ。これはけっこう午後遅く迄かかり、多くの小道具をセットした為かたずけにも時間がかかり、次の撮影に取りかかったのは夕方過ぎだった。それから日曜日の撮影分の続きがあり、昨日迄の仕上がりが届いてからは100カッと以上のフイルムの整理をしなければならない。その後はというと今日の撮影のデジタルデータを現像して処理をする。
ここのところの忙しさももう少しで落ち着きそうだ。からだのあちらこちらに何時ぶつけたのか解らない痣がたくさんある。疲れているのか具合が悪いのか解らない変な感じである。肌寒い中自宅の前の目黒川は桜が満開だ。 忙しい中疲れていてもそんなに憂鬱な気持ちにはならない。自分の作品のノルマは確かに滞っているのではあるが、ここにも暫定的な意味であれ自分を評価する人間はいるのだと思う。今日も新しい人に会った。 |
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4/1 昨日に続いて一日中地下のスタジオで撮影を続ける。今日は時間的に余裕がなく食事に出る事はできなかった。かなりタイトにノルマをこなしたおかげで、9時前にスタジオを出る事ができた。その後事務所に戻り今日の撮影分の整理や昨日の分のチェックなどを終えて自宅に戻ったのはやはり11時頃だ。夕食だけは独りで落ち着いて取りたいと思うので、食事の準備の始めるが、疲れていて余り手の込んだ物は作れない。
先週からの疲れであまり眠れない日々を過ごしている。忙しく追いつめられれば、創作への意欲が高まるのかと思うと意外にそうでもない。昔は時間のない時程追、作品の事ばかり考えていたのだが今考えるのは、のどかに過ごせる休息の事だけだ。 |
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