作者近況 3月03年 2月03年 1月03年

3/31 早朝スタジオでアシスタントのKと合流し車で池袋のスタジオ迄出かける。午前中から多くのカットをこなし何とか昼食に出る余裕は作る事ができた。地下のスタジオにこもりきりだと食事の時ぐらい外に出れると嬉しい。昼間電話で昨日の仕上がりを夜のうちにに届けてほしいという話があり、また木曜からの撮影の小道具を今夜中に搬入する話もあり、今日の所は早めに切り上げたので明日からが大変だ。

朝が早かったので10時過ぎに帰宅したのだがけっこう疲れた。外で食事をする気にはなれないので何か作る事にした。日曜日の食材の残りで思い付いたメニューを作ってみたがなんだか不味くなってがっかりする。


3/30 スタジオで昨日からの家電製品の撮影を続ける。夕方やっと全てのカットを終えて明日からの撮影の準備を始める。明日から三日間はクライアントの社内にあるスタジオで缶づめである。いいアシスタントが捕まったので少し気が楽だ。

ここのところ忙しく仕事を続けているので何か今迄と変わらないような気持ちになってくる。このまま今迄のように仕事が無くなれば売り込みに行って、自分のテンションを維持しながら生活を続けるのも悪くない。しかしいつかはこの仕事はできなくなる。自分のモチベーションをどんなに高めてもまわりの世界と自分とのギャップが大きくなり、どんなに努力してもできなくなる日が来るのは明らかだ。その日が来てからでは遅いのである。今は自分の力で流れに逆らわなくてはならない。


3/29 午前中に昨日の撮影分のチェックと納品を済ませて先日北海道で壊れたハッセルのゾナーを修理に持って行く。換わりに予備としてプラナーを借りて来た。スタジオに戻りけさ届いた商品のモデルを撮影しはじめる。家電製品などのカタログ用の写真は、だいたい塗装された形だけのサンプルで撮影するのだが、これが塗装やロゴなどが非常にデリケートで扱いにくい。慎重に準備を進めている所で、食事の誘いがあり、自宅で数人で集まる事にする。撮影は明日にまわし、買い物をして自宅に戻るとすぐに人が集まり始める。

目黒川の桜が少しずつ咲き始めた。今日のメニューはイワシのマリネ、牡蠣とブロッコリーの炒めもの、チキンと野菜の赤ワインソース、なすと地鶏のカマンベールソース、サンジェルマンで買って来た小さめのバターフレンチを3本全部食べてしまった。


3/28 朝早くから昨日迄のフィルムの整理に追われる。現像に出した後11時からは書籍の表紙の撮影。夕方前に全てを終えて、CDの発売のレセプションに出かける。都内のホテルの会場は非常に盛況でほんとにたくさんの人たちと知り合いになる事ができた。その後二次会に行き再びライブを楽しむ。3次会への誘いもあったのだがさすがに明日の撮影の事もあり辞退させていただいた。

日々の暮らしは確かに刺激的ですばらしく、この町に暮らす事は多くの可能性に満ちている。いろいろな人がそれぞれにエネルギーを増幅しあい、新しい物が生まれて行く。私自身もこの生活の中で独自の世界を作り上げなければならない事をほんとうに強く感じる。しかし何か自分の中でそれとは別にフェードアウトして行く感覚があるのも隠せない。


3/27 無事、予定道理り全ての撮影を終えて東京に戻る。恐ろしい程のカット数を三日間で撮影した。カメラはハッセルブラッドをメインにしたのだが、もっともお気に入りのゾナーが初日に壊れてしまい予備のプラナーで殆どの撮影をこなした。広告の撮影に限った事ではないのだが、多くの状況に対応できるよう、ロケでも数多くのレンズが必要になる。使用頻度の高い物は大体予備を持って行く。総合的に見て、どこ迄トラブルの状況に対応すればいいのかが、精神的な仕事のやり取りとして大きなウエイトを持つようになる。ある程度以上は諦める覚悟で見切りをつけるのであるが、やはり、広告写真という物はイメージであっても常にクライアントとともに存在しているので絶対的な適応性を持って仕事に対処せねばならない。いろいろな意味で気が重く、機材も多くなる。

常づね体力の限界を感じる。自分の作品を自分のペースで撮る時ですらそうなのだが、多人数で移動する広告の撮影などは特にそうである。勿論アシスタントも使うのであるが独りでできる事は妙に独りでやらないと気が済まない。結局貧乏性なのである。なにかそうした事全てが煩わしくなって来たのかと考えたりしながら、止めてしまおうという気持ちと、なにか新しい考え方で自分の方に引き寄せて乗り切って行きたい気持ちが半分ずつ争っているのも感じる。もう少し才能があればたとえどんな撮影であれ自分のイメージの方に上手く引き寄せて全てを作品としてこなしていけるのかも知れない。長い時を重ねて幾らかは自分でも楽しめるようになっては来たのだが、本当の所はどうなのだろう。いろいろな事を考えて常にびくびくしている自分が、余りにも情けない。仕上がってしまえば満足の行く結果なのだが、、、、


3/24 明日からは北海道に取材に出かける。媒体数の多い広告の仕事なのでフィルムの本数も多く結構な機材になる。朝の飛行機なのだが時間が9時前後と中途半端でタクシーでは時間が読めず、電車で行くつもりで機材をコンパクトにまとめる。料理の撮影が多いのでストロボも2セットあり6x6メインでも押えの35ミリやデジカメなどをあわせるとかなりの重量だ。機材をスタジオから自宅迄なんとか運び、まだ早い時間だったので今週末に出席するレセプションの件で知り合いの店に寄る。たまたま有名な胡弓の奏者のCDをプロデュースしている方を紹介して頂き、来月のコンサートのチケットを手に入れる事ができた。これは結構愉しみである。

明日からの北海道は三日間の予定。何もなければ木曜日の深夜には東京に戻れる。


3/23 午前中から暗室で作業を進めていたのだが、4月にハノイとホイアンにいくメンバーから連絡があり伝染病の影響を考えて延期する話で集まる事になる。ハノイと香港で猛威を振るっている肺炎の影響で少し時期をずらそうという事で話がまとまり、取りあえずビザをとった事以外は今ならキャンセルできそうなので延期する事で話がまとまった。旅行に対して期待の盛り上がっていた時だけに全員ショックで気分が落ち込んでしまった。急きょ私の自宅に集まる事になり、夕食のメニューを考える。

もう鍋をするのも最後かなあという感じで一つぐらい鍋物にしてみたくなり、本鴨のつくねと椎茸の、鴨豆腐を考え付いた。丁度良く本鴨のひき肉が手に入りこれはまずまずのできばえ。その後真鯛と茸のワイン蒸し、それからアサリの炊き込み御飯(スペイン風)アロースという感じの手順で前菜を挟みながら進めて行く。気分が盛り上がらない時にはやはり料理だと思う。食べる事は人間を幸せにして行く。随分昔に見たバベットの晩餐会が懐かしい。


3/22 今日は豆本展の最終日で搬出もあり、閉館少し前にギャラリーに出かけた。自分としてはもう見たくなかったのだが、気を取り直して行ってみると会場はすごい込み合いようでどれが誰のだか解らない様子でちょっとほっとする。知り合いも少ないので、2,3人の知人を見つけてやっと居場所を確保した。私の作品も評価はまあまあと言ったところでさほど場違いと言う物でもないのかなあと少し考えてみたりもする。主催者の企画する打ち上げに出る予定だったのだが、ひさしぶりに会った知り合いと食事に行く事にした。2人とも絵本やイラストで作歌として暮らしている人たちなのだが、とにかくおたがい仲がいい。同じような職業でそこ迄仲のいい親友がいるのもうらやましい。

長い間、友人という概念について複雑な抵抗を持っている。楽しい時に共に楽しく過ごせる友人は確かに何人かいる。苦しい時に手伝ってくれたり助けてくれたりする友人も確かにいると思う。しかし同じ時を過ごし、リアルタイムで同時に同じ物事を感じるような、そんな自我に密着した友人というのは自分にはいない。少なくとも同性ではいないだろうし、自分にとっては友人とは自分の変化の中で、節目になる部分を支える物で、少なくともなにかだらだらした日常の中には必要のない物だと割り切っているのかも知れない。

自分が10代の頃まわりには実に多くのいろんなタイプの友人がいた。写真を本格的に始めるようになって時間の多くを独りで過ごすようになり、なにかまわりの連中がだらだら時間を過ごしているような気がして、何時しか煩わしく思うようになってしまった。写真や芸術を志すようになって自分の意志をぶつけ合えるような親友というのも確かに何人か生まれて来た。しかし日常に於いては自分の中で友人という概念は存在しないのかも知れない。

今回の豆本の作品に於いてもそうなのだが、時分の感性の中には日常を包容するような中道の部分がない。私の作品は破壊か抱擁かその二つのどちらかなのだ。友人における概念もおそらくそうなのだろう、何故自分が極論を求めるのか解らない。ただひとときも休まる事のなかった郷里の実家にいた頃の記憶なのか?


3/21 やっと暗室作業を再開した。毎日気にはしていても気がつけば一ヶ月近く遠ざかっていた。この生活を変えて行こうと思うようになってから、毎日、自分自身と向き合う時間を少しでも持ち、状況を記録しているのであるが、結果そのものは満足のいく物ではない。今日も前回から手掛けていたネガをプリントしはじめたのだがやはり、調子が出るわけもなく直ぐに止めてしまった。一生懸命自分自身を前に押し出してみるのだけれどエンジンがかからない。全ての仕事を止めてしまわなければ目が覚めないのだろうか。私が考えているシナリオでは6月迄には完全なポートフォリオを仕上げていなければならない。次回の展覧会のインデックスは三月中に完成させるはずだった。全てが少しずつ遅れはじめている。

昨日も経理の処理をしながら考えたのだが自分の中で決めているとは言え、なんともあやふやな仕事に対するスタンスである。自分的にはできるだけ働かない事をもっとうにしているのだが、これが一番難しい。勿論仕事のせいで創作が遅れているのではないのは解るのだが、もっと自分を追い詰めなければ去年迄となんら違いが生まれて来ないような気もする。


3/20 去年の分も含めて経理処理の済んでいない伝票の整理をしながら、請求し忘れている物がけっこうあり、少しづつ連絡をとった。確認のとれた物だけでも結構な額になり、経理に無頓着なのも困りものである。昨日撮影したカットの仕上がりをチェックして整理する。フイルムそのものは問題なく仕上がっているのだが、どうにも味付けが今一つで気に入らない。少し時間をおいて考えてみたい。

去年から伝票の処理を忘れていた仕事の中に、小学校の音楽の教科書の「君が代」の楽譜のバックのイメージと言うのがあった。表紙も手掛けたのだが、そちらは立体のイラストとの構成だったので処理は済んでいたのだが、自分がやった「君が代」のほうはすっかり忘れていた。思い出してみれば私が小学校の時も教科書には最後のページだかに「君が代」の楽譜があった気がする。当時と比べると教科書もずいぶん変わっている。全てがカラフルでいろいろなイラストレーターの饗宴と言った感じである。その中で「君が代」の所だけがなんだか地味で古臭いのも困り物だし、かと言って威厳を損なう物でも困る。そこでイラストや写真を使って少しデザイン的にひねった物にできないだろうかと言う企画だった。結果は好評だったようで1年から6年迄全て別々のイメージが使われたようだ。検定もあるのでまだ結果は先きの事ではあるのだが、ひとまず安心した。

当時子供心にも「君が代」には抵抗を感じていた。反戦運動が盛んな時期でもあったし、何より家族や家庭の中に戦争の記憶と言う物がはっきりと残っていたのである。それにもまして何とも歌いにくい歌である。当時でさえそうなのだから、今の子供には一体どう感じられるのだろうか。学校と言う物を卒業して以来歌った事もないし実際聴く機会もあまりないのだから、学校でくらいは歌っておいてもいいかな、という感じなのか。。。。「天皇」即、「戦争」という記憶が少しずつ遠くなった。臨場感を伴った記憶は影を潜め、歴史的客観的事実が文字として伝わってくる。今ラジオから聴こえてくる開戦のニュースは全ての人の心にどう届いているのだろう?


3/19 昨日に比べるとずいぶん暖かい。スタジオに向かいながら途中のコーヒー店で3種類のマメを買う。何時になくからだが軽く感じるのは春めいた陽気のせいか?昨日やりかけて投げ出してしまったカットから始め、現像所の最終便が来る前にやっと全てのカットを終えた。明日迄に済まさなければならない経理の処理があり、今日やろうと思っていたのだが、明日は撮影が入っていないので又しても先送りしてしまった。創作活動を再開しなければいけないのだが少しでも理由を見つけて先送りしてしまう。時間そのものはおそらく学生の時よりも自由になっているのだと思うと恥ずかしい。

来週は北海道の取材で殆ど出かけているのだし、その次の週もほぼ全てスタジオワークで埋まっている。何となくその後で始めればいいなどと思っていると次の週からはハノイ、ホイアンに向かう。わずかに進めている仕事をだらだらやってなかなか進まないのである。我ながら情けない。取りあえず明日は経理を、、、、、


3/18 午前中に撮影を済ませて午後からの打ち合わせに出向く予定だったのだが、あれこれ試行錯誤の末、明日まとめて撮る事にしてしまった。なまじ時間に余裕があるとなかなか決め込めない。午後からの二つの打ち合わせの合間に表参道の豆本マンボに行って来た。中途半端な午後の時間なのに狭い会場の中は妙に込み合っていた。思ったより出品数は多く数点の作品を出品している方が多いようだ。

作品を見始めて直ぐにやり場のない焦燥を感じることになる。なんと場違いな物をだしてしまったのだろうと言う焦りに首筋から背中にかけて汗がにじんで行く。予想はしていたのだが、手に撮るもの一つ一つが光の溢れるファンタジーだったり、引き込まれるようなトリックアートだったり、とにかく見る人を楽しくさせるように作られているのである。一つ一つ見て行きながら自分の作品と出くわす恐怖におびえていたら、肩の力を抜いた自然体の物も少しずつ目にとまり、少しだけ気分が収まった頃、場違いな真っ黒な表紙に出くわした。ここでは自分の作品を見る勇気はさすがに出ない。しどろもどろになりながら次の作品を見続けているのだが、知り合いに会うのではと気が気でない。一点ずつ見ていたら意外と時間もかかり、逃げるように次の打ち合わせに出かけるべく外に出た。

私には人を楽しくさせる才能と言う物はないようだ。少なくとも写真に於いては内向的になり過ぎる。今日の展覧会なら川内倫子さんの「うたたね」みたいな写真集だったらどんなにか見る人たちの写真に対する評価が高まるのだろうと思うとせつなくなってしまう。写真は今すでにとても広い表現域を持っている。自分にとっては実験的な遊びのつもりでも、出す場所によっては、写真そのものの評価を下げかねないとずいぶん反省した。


3/17 今日は午前中は昨日の片付けと洗濯をして過ごした。昼からは先週の撮影分のチェックと納品にまわり、昼過ぎからはスタジオで経理と明日の撮影の準備を進める。今日からオープンの豆本展のレセプションに行こうかとも思ったのだが、雨が降り出し時間的にもギリギリだったので他の日に出向く事にした。

豆本展に出品したミニ写真集のタイトルは「その時から」である。写真集の中には私の30年程前に撮影した作品がランダムに納められている。一つ一つはけっこうバラバラの作品でテレビのチャンネルを変えるように全く違うイメージの物が続いている。空き地に捨てられた人形、犬をつれて散歩する子供達、笑顔で語り合う老人達、、、、、、、写真を撮る事によって記録された物はその空間であっても、私の中では「その時」であり「そこ」ではないのである。つまり私にとって一つ一つの作品は魂の流れの中に残された「時間軸上の杭」なのである。。。その時から変わらない自分がいる。その時からもう見えなくなってしまった物もある。その時から全く変わってしまった自分。それぞれの「その時」と今の自分が偶然のように向かい合って行く。

私は撮る事によって自分の存在を時間の中に刻み込んで来た。撮る事を止めてしまったら一体何を魂の時の中に刻んでいけるのだろう?


3/16 今日の夜は自宅に人を呼んでみんなで夕食をとった。来月ベトナムのホイアンに一緒に行く知人2人と、都合でいけなくなった2人である。全て女性なのだが長く一緒に旅行に行っている仲間なので今日もくつろいで話が拡がる。私自身は一人旅が殆どなのだがこのメンバーとだけは良く出かけている事を時々考える。気を使わなくていい上に大体の手配は統べてやってくれる。私は何時も旅行会社にお金を振り込むだけで旅先では一人で写真をとって気ままに過ごし夕食などは落ち合って一緒にとるのである。昔から同性といるよりも女性といる方がなんだか落ち着くような気がする。あくまで異性としてではあるのだが、子供の頃から全ての従兄弟も女性であり、両親も常に女性主導型の暮らしぶりをしていたので、女性に対するほうが気の使い方が楽なのである。逆に言えば、同性の友人は少なく、親友と言える人間は勿論いるのだが年に一度でも会えばそれで気がすむと言った所だろう。今日のメニューはタコのマリネ、じゃがいもとスモークサーモンのチーズロースト、車海老とマッシュルームのオリーブオイルフォンデュ、鶏肉とパプリカのカマンベールソース、カンパチの胡麻あえ、と言ったような感じで統べて手のかからない物で済ませた。人をもてなすと言う事はどうしてこんなに楽しいのだろう。

3/15 昨日に引き続き遅く迄撮影が続く。遅い電車で戻り夕食の事をすっかり忘れていたのに気付いた。適当に冷凍の食材で夕食を済ませ今日一日を振り返る。何も書く気にならなくて妙に息苦しい。

朝遅く起きて昨夜の事を少しづつ思い出しながら、続きを書いておく事にした。昨日までの撮影は質的にと言うよりは量的に大変で、ロケーションサービスに急きょアシスタントの応援を手配した。さほど神経質な撮影でなかった事と手配したのが前日だった為、今年学校を卒業する就職活動中の学生を紹介され、やって来たのは関西出身の性格の良いアシスタント志望だった。我々のチームともそこそこ溶け込み一日撮影の雑用をこなしてもらった後、就職活動用の作品を見せてもらった。帰りの電車の中で少し話をする機会があり、最近都内に引越して来て就職活動をしている事、募集のある所は少ないけれどもレンタルスタジオやプロダクションをまわっている事などを聴いた。彼の話の概要は大体こんな感じである。「作品を見せながら面接をうける。作品に就いて説明し少しでも個性ややる気を伝えようとすると、作家志望なの?と少し引かれてしまう。かといって何も言わなければやる気が伝わらない、自分自身は作品を、と言う事ではなく何とかこの写真の世界で就職したい。スタジオマンから少しづつコネクションを掴めれば少なくとも次のステップが見えてくるのではないか、、、」と言うような感じだった。彼の作品から感じ取れる事は、今まで受け入れて来たものと、自己の感性への執着が二分され、さまよっている。享受して来たものと、自分なりの自我への抱擁と言う感じか、好きな物と嫌いな物がはっきりしている、そこが善くも悪くも作家志望と言われる所なのだろう。

作品を完成させるにはどんな物であれ長い時間がかかるのだろうと思う。好きな物を増幅し嫌いな物を淘汰する為には彼にとってもより多くの作品を撮り続けなければいけない。この世界にそんな人たちを育てていける懐の広さが少しずつ無くなって来ている。最後に彼が「俺は、この世界で食っていけるのか?」と言っていたのが印象的で、妙に考え込んでしまった。


3/14 今日は3週間ぶりに仕事をする。今日明日は今年契約を終了した会社から、イレギュラーで依頼があり、かなり気楽に引き受けてしまったのだが、内容そのものはかなりハードで少し後悔した。ところが一日も終わりに近付くとすっかり慣れを取り戻してしまい、精神的なストレスは無くなっているのを感じる。ハードな一日で昨日に続いて体調もよくなく体はすっかり弱って帰って来たのだが、思っていた程倦怠感は感じていない。労働と言うものへの無意識の執着とでも言うものなのだろうか幾らかでも目先の収入になる事のほうが自分を癒しているのだろうと思う。自分を追い詰めなければ何も作れないのは解っていても、極限迄追いやるだけの力がでない。なにかもう少し波に乗らなければいけない。来週は何とか自分の中で大きな流れをつかみたい。

3/13 今日はプリントする予定だったので薬品を用意していたのだが、起きてから暫くたっても体が動かない。昨日からの微熱が下がらずどうにも調子が悪い。結局今迄のネガの撮影データを整理しながら、HPのフィルターに関するページの素材を集める事にした。自分の作品であっても撮影のデータなどはすぐに忘れてしまう。自分自信の為にもデータベースとしてこのサイトを完成させなければと痛感する。

今年になって北海道で撮影した作品のデータをサンプルとしてアップする事にした。最近は自分の資料として撮影状況をデジカメで記録している物が多い。アップしながら思うのであるが本当にこれは自分にとっても重要な事だと思う。余裕のない時は勿論無理なのだが、本当に今迄解らなかった事が見比べているうちに具体的に理解できる気がする。自分自身の明日の為に今を記録する事もまた重要なのだ。一つ一つの被写体に対してそれぞれ別々のテクニックと言う物は確かに存在する。ここは職人としての地道な作業を享受しなければならない部分でもある。求める事こそが感性なのだ。


3/12 午前中はネガの整理をしていたのだが、午後遅くに神保町の美学校に出向き豆本を届けてきた。今日は某カメラメーカーの企画担当からの相談で、アドバイスを求められている一件があり、夕食がてら話をする事になっていた。緊張して待ち合わせに望んだのだが私の想像に反して気さくな女性スタッフの方ばかりだったので本当に助かった。現在カメラメーカーの方々も本当に複雑な時期を過ごしているのだと痛感した。写真そのものは過去に於いても最高の時を迎えているのだと思う。カメラを買う人々はそれぞれ多彩な状況に分類され各年代層別に違った世界を夢見ているのである。それぞれに適したカメラが供給されてそこ迄は何の問題もない。写真に関する評価になるとこれからが問題だ。メカーとしても写真の文化的価値に対してなんらかの共通した絶対感を示さなければならないのだが今迄に依頼してきた先生がただけではどうにもその範疇に収まらない。新しい視点にたった人材を起用するには問題の複雑化を、社内的にクリアーしなければならない。

写真に対して真剣な人間が溢れている事はまぎれもない事実である。

以前、クライアントのデスクでロケの合間にとった私の作品がビュアーの上においてあった事があり、新米のデザイナーが「岡崎さんはこれはコンテストとかに出すんですか?」てな事を聴いた事がある。すぐさま私のアシスタントが先生はそんな事はしませんと、フォローしていたのが印象的だったのだが、例えばコンテストに出すと言う事は日本ではおそらく恥ずかしい事なのだろうと思う。評価を得てない人間がチャンスを掴む為に何かしら媚びている状態が頭に浮かぶのである。なにかコンペと言うと選ぶ側に主導権があるような気がして出す方は勉強させてもらいますみたいな卑屈な感じが付きまとう。今回はインターナショナルなコンテストについての相談だったのでいろいろな現状を聴く事ができてほんとうに面白いひとときを過ごす事ができた。コンペと言っても主催者の考え方次第で本当に変わって行く物だと思う。主催者の価値観を押し付ける事ではなく、出品者の作品から学んでいけるような寛容な評価体制が築かれて行く事を本当に望む。それは入選するとかの順位一辺到な評価ではなくてもかまわない。少しでも真剣な人間を育てたい。


3/11 午前中税務署に行き確定申告を終わらせる。午後から打ち合わせがあり、豆本展の作品を神保町の美学校へ届けようと思っていたのだが、展示用のボックスを加工した方がいい事に思い付き、夕方事務所に持って行き家具用のワックスで塗装してみる。仕上がりもよく、なんとか見れるようになった感じである。ボックスに入れた写真を撮影しサイトにアップする事にした。

今日も寒い一日で外出中は厚手のマフラーをしていた。旅行中九州も寒い日が続き、風邪を惹くのではとつい弱気になり、着いた日は一日中福岡のアジア美術館の中で過ごした。この美術館は、展示施設はともかくとにかく建物の施設環境がよい。当日はアラーキーの「博多の顔500人」みたいなな展覧会をやっていたのだが、入り口から覗き見るだけにして、もう一つのフィリピンのカトリックに関するオリジナリティー、またはプリミティブアートなどについての展示で時間を潰した。写真展は盛んなようで天神では藤原新也をやっていた。博多の人々が写真に求めている物ははっきりと解る。それはすばらしい事で、もしこれが私が写真を始めた頃であればどんなにすばらしかった事だろう。人々は写真と言う物を今初めて見ているのだ。何が古くて何が新しいかは問題ではないのだが、写真と言う物に解釈の巾や、表面的なアイデアを超えた普遍性や独自性を感じられるようになるには、後30年この写真ブームを持続させる事が我々の課題なのかも知れない。


3/10 今日博多から柳川と太宰府をまわった後、最終の飛行機で東京に戻った。久しぶりに旅行らしい気分を満喫できるいい旅だった。いつもはどこに行っても車なのだが、今日は一人で特急電車に乗って移動してみた。いろいろな事を考える時間があって不思議な気持ちになる。車で一人で移動している時、考える事は、少しづつ内向的になり、自分の思考の核に追い詰められている感じなのだが、電車に乗っていると何故だかもう少し客観的に物事を考えているような気がする。これを機会に最近気になっていた坂口安吾の「堕落論」を読みなおす。一語一語少しずつ読みながら昔読んだ時の自分と対比して考えてみる。通り一遍の解釈はさておき、尾崎咢堂の挿話があるあたり、個の問題を全てに引きずっている事への暗示ともとれようか。今の自分には昔とは逆に社会的な解釈は理解できなくなったようだ。堕落であり、しかし罪ではない。そして、、、、、先週見た「重罪と軽罪」の話が少しずつ重なって行く。

3/6 昨日後輩のカメラマンから誘いがあって、今日は午後から池袋で行われていたIPPF(国際プロフォトフェア)に出かける事にした。ここ数年ついつい情報に疎くなって行きそびれていたのでちょうど良い誘いであった。今の自分にとって必要な物はないような気もしたのだが、ひょっとしたらケミカルフォトの分野でなにか新しい発見があるかとも思い少なからず期待もあった。

期待していたと言っても、やはり実情を考えてみればそんな物はないのはすぐ理解できる事で、入り口を入った瞬間には新しいプロ用のデジカメのスペックをチェックしている自分に気ずくはめになってしまった。自分の器用さを疎ましく思うわけではないが、デジタルの写真にも何の抵抗もない。カメラもコダック、ニコンと何時もそこそこ新しい物を使っている。品定めをしているうちに何人かの知人にも会い、働いてないんですとも言えず、つい忙しそうなふりをしてしまう。明日は人に会う為に九州へ向かう。常に新しい発見を求めているのではない。まわりからはよくそう思われる。自分がそう思っているだけなのか?飛行機のチケットを買いながら、つい用もないのに朝一番の便にしてしまった為に5時過ぎには出かけなければならない。戻るのは月曜日。


3/5 やっと豆本が完成した。と言っても表紙を張り付けただけなのだが、迷っていた為になかなか仕上げられずにいた。今見てみるまでもなく、とても幼稚で恥ずかしい代物だ。他の用事もあったのでスタジオに持っていって写真を撮り、やっとサイトにアップする事ができた。恵比須の知人のホームパーティーから戻ってからだったので酔っぱらっているせいかあまり気にならない。

恥の概念を話そうとすると直ぐにプライドの話を持ち出す人がいる。本当にプライドがなければ恥ずかしくないのだろうか。どうしてもそれだけではないような気がするのだが?


3/4 明日ホームパーティーをすると言う知人からレシピの相談を受けた。毎日人にあわずに事務所に隠っていたのでだんだん考え方も極論に陥っていたのだと思い、午後から買い物に付き合わせてもらう事にした。車で千葉のショッピングモール迄行っていろいろな物を見てまわる。都内でも良かったのだが、牛肉のブロックなどそこでしか手に入リそうにない物も有り勝手に千葉の店を選ばせてもらった。ここで売っている物は全てが巨大だ。日本人の生活には無縁の物ばかりで、リゾートホテルに有るような大型のガーデンセットや自走式の芝刈り機、子供用のおもちゃ迄が見た事もない程贅沢で大づくリなのだ。洗剤からポップコーンのパッケージ迄が縮尺を間違えたかのように巨大である。

これもまた確かに憧れた世界なのだ。しかし先日、離島で暮らす木工作家の方から聴いた「この島にはよけいな物は何もない、一日かかって風呂を湧かせば、それだけでいい。働くからする事が増えるんだ、、、、、」全ての富みや快楽はほんとうに労働の代償なのだろうか、働かない快楽や心の平静がいつか私にも訪れるのか?


3/3 今日一日でほぼ確定申告の書類は出来上がった。後は届いていない書類の到着を待って提出するだけだ。今年一年収入も殆どなく、どうやって自分のモチベーションを維持できるのか少し不安になる。思えば、学校を卒業して以来働かずに過ごした事がない。親の自宅にでも住んでいた人とかならば、すこしでも自分を維持できる時間があったかも知れないが、私のように常に働きながら二足のわらじを履いて来た人間にとって、労働は創作への必然であり、逆説的な源動力でもあった。数十年来の夢であった創作だけの為の時間を手にした今、期待と不安に押しつぶされそうで眠れない。

十分な資金の中での創作活動と言うのは自分にとってずっと夢だった。写真を撮ると言うのは程度の差こそあれそこそこお金がかかる。学校を卒業してからずっと、自分にはどんなチャンスが有れば全ての重圧をはね除ける程の作品を手にする事ができるのかと良く考えた。不道徳きわまりないと言われるかも知れないが、例えば両親が飛行機事故で死んで、一億円ぐらい保険料でも相続すれば、自分の本当の人生がそこから始まるのではないかと考えた。犠牲を乗り越えるだけのものでなければ、作る意味がないので有る。

現在の自分にとって、この犠牲が何であるのか今は解らない。過去の貯えを少しずつ消耗しながら結論に向かって転がり落ちていく自分の姿を見ているとここ一ヶ月で10歳ぐらい老け込んだ気もする。しかし、今ならまだできるのだ。


3/2 昨日に引き続き確定申告の書類を進める為昼前から事務所に向かう。自宅のまわりは、代官山迄散歩する人なども多く、和やかに春めいた雰囲気だ。久しぶりに博多風のラーメンが食べたくなって近所の店に行ってみたら、少し残してしまった。ここの所さっぱりした物しか食べていなかったせいだろう。帳簿整理は順調に進み昨日より早く帰宅する事ができた。

今年になってNYに滞在している写真家のMOさんからヨーロッパで開かれる反戦活動の写真展に参加する主旨のメールがとどいていた。現在の自分にとって、またアメリカと日本の関係に於いても戦争は実際の所、経済的な問題としてしか存在していない。恥ずかしい事だが、報道のせいだけにはできない問題だ。私だけなのかも知れないのだが何をどう支持して良いか解らない。反戦そのものは絶対的に指示される物では有るのだが、指示すべき行動や手段がどうにも思い付かないので有る。ブッシュ政権への憤りそのものは前にもまして感じるのだが、アフガニスタンの問題以来、国際問題の複雑さが理解の限界を超えている。問題の中にはもはやアフガニスタン国民、アメリカ国民などと言う統括された概念は存在していない。被害を受ける人たちを助けようと言う言葉が反戦活動であるのなら、来るべきテロの加害者も、アメリカのように正当な主義を持った軍隊なのだろうか。合法的なテロは逃げる事のできない弱者のみが犠牲になっていく。在る意味無差別でこそ思想的に意味が有るというのか?


3/1 昨日夜遅くに戻った後 たまたまつけたテレビで、ウッディ・アレンの「重罪と軽罪」をやっていて、つい明方迄見てしまった。最近の事なのだが妙に見たくなってレンタルしてみようかと思っていた所だった。始めて見てから随分な月日がたった気がする。私は同じ映画を何度も見る癖があって、同じオペラを何度も聴くように見たばかりでも何度でも見たくなる。ただ、少し時間を開けたい物も有り、暫くしたら見ようと、愉しみに寝かしている物もけっこう有る。まさにこの作品はそう言ったところで、丁度良いタイミングだった。

長い時間の中で私の「罪」と言う解釈は随分緩い物になった。昔見た時とは違い、全てがサラサラと目の前で流れていく。私もまた自分を守り、あるいは変えていく為にたくさんの罪を侵して来たのだろう。5年後の自分はいったい何を「罪」と思っているのだろうか?

昼前迄寝ていたせいで、結局かなり遅く迄帳簿の整理に追われる。久しぶりの土砂降りで、家に着いた時は全身びしょ濡れだった。


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