2012年09月
2013年01月
作者近況2013 2012年11月 2012年07月


03/27 ほとんどのネガをチェックした。今回はコンタクトプリントで。明日からはテストプリンに取り掛かる。

片付けが終わってから、ずっと強い酒を飲み続けているがまったく酔わない。明日の作業の事を考えれば早く寝なければならないのだが、、

今回のネガ。。。私の感覚が何一つ再現されず、見る気にならない物もあるが、少しづつ、期待にこたえはじめた物もある。いつも感じるのは、レイヤーの表現。いくつかの空間が重なっている映像、、、私が見た物とまったく違った仕上りになる。全てダメだ。意識と感覚。ネガに反映される物は、、、おそらく、、、明暗の反転の途中で、、空間が分離されてしまうのか???

少しづつ見えてきた物もある。これは、、、暗闇の午後。。。光の中にある闇の世界。


03/26 やっと戻ってプリント作業、と言ってもコンタクトプリント。今回は抵抗なく、コンタクトを作っている。現像液の種類が変わり、印画紙で反転しないとネガの雰囲気がまったく判らない。

私にとって、写真のイメージは、私自身の記憶のプログラムに似ている。私の中で過去の記憶は、全てが並列に、ことばで仕切られる事無く映像のように、漠然とした形で表れている。おそらく普通の人は、それをことばに重ね合わせて、スクラップブックのように、断片的に、、、そしてチープに整理しているのだと思う。

私の記憶は、断片では無く一枚の映像、あるいはショートムービーのようだ。思い出す瞬間に、新しい発見が、記憶の中から生まれてくる。それは、匂いだったり、指の感覚だったり。まったく気付いていなかった新しい感覚が蘇る。

ある意味ネガにも、そのような性格を感じる。そこには不必要な全ての物が記憶されている。それを自分の感じ取った物の、最もすばらしい物だけに、そぎ落として、形を作らなければならない。私だけが見た物を、無限の客体の中から、少しづつ輝くブロンズに磨き上げて行く。

言葉はチープな物だ。私にとって、美術も、、、それは、、ラファエロもレンブラントもダビンチも、チープだと?、、おそらく自分にとっては、写真よりもチープな芸術に感る時がある。そう思っても、それそれ以上の物は造れない。

しかし、それらの芸術も、物を見る事から始まっている。造り出す方法や、技法では無く、何を見たか?その記憶、感覚に他ならない。

全ては見る事。写真と言う素材に巡り合えて本当に良かった。


03/22夜 北海道で撮影した全てのフィルムの現像を終える。これで全てか、と思う反面、やっと終わったと言う気持ちもある。新しい処理を試しながら、とても時間のかかる行程をやっと終えた。せめて2点、、、1点でも良いから、新しい感覚で、この中から生み出される物がある事を願う。遅れていたスケジュールを、取り戻す為に、かなりきついスケジュール。学ぶ事、流して行く事、少しずつ、何かが自分の中に、生まれて育ってくれれば良いのだが、、、

とても長い間、写真の事を学んできたが、まだ、何も解ってないのだと思う。新しい処理はまったく未知の領域で、写真を始めたばかりの学生のように、その表現力に関心を持つ。これが自分の実力で、学ぶべき事、得られるであろう可能性は、まだ無限にあるのだと、思う。

全ては、物を見る事、そのスタイル。自分が見た物を、再現できるには、とてつも無く、長く、特別な、道のりを歩まなければならない。写真を学ぶ事は、物の見方を極めて行く事に他ならない。それが自分だけの物であるなら、、、止められない。

ここに何があるのか?10代の頃のように、何の迷いも無く、突き進む事はできない。時折、全てが無駄な事のように感じる時もある。しかし、、そんな中で、少しづつではあるが、何か、新しい物を得てきた事も事実。まだ見ぬ物を、、、夢と現実は、私の気持ちの中にだけ。

幼い頃から、何か持って生まれてきたと言う感覚が無い。カオスの泥の中から、ひと粒のタネとして生まれ、得られる物を手にしながら育ってきた。私には、、喪失と言う観念は無い。無から育ち、あるいは負の感覚から育ち、全ての物は手に入れて、育てて実感して行く。。。全ては新しい感覚であり、後戻りする事は無い。死の感覚に憧れているのも、それを得る事、それが、得る物であって、何かを失うと言う感覚では無いから、、、

すっかり長居してしまった。明日は撮影があるのに、、夜が開けたら早い電車でスタジオに向う。


03/22朝 昨日のフィルムをチェックして、今日の作業の準備。昨日迄に、PMKでTP4415、RF102、TMXで赤外R1410の処理を終えた。これからPOTA でTP、MQ系でやはり、TPとRF102の処理に取り掛かる。

いろいろな種類のイメージをPMKの現像液で処理してみたが、とにかく、カーブでは掴めない、はっきりとした特長がある。それは、雪の白さの異常にに無機質な滑らかさ(プラスティックの表面のようだ)あるいは、低濃度域のまったりとしただるい感じ、ところがめりはりのある草の感じなどは異常に立体感を増す???

これを使いこなすのには、とても時間がかかりそうだ。期待していたソラリゼーションは、私の使っているフィルムでは効果があらわれなかった。

銀の粒子は、密集してくると、少しづつ集まってそれ自体の質感を形成して行く。おそらく、PMKの造り出すステインにはそう言う効果が無く、雪は、どこ迄も滑らかでつるつるした感じを再現する、、、

今日はPOTA から。この現像液は、細かい砂のような、小麦粉のようなハイライトが美しい。


03/19深夜 珍しく荒い運転。一般道を飛ばして帰ってきた。明日が休日だからなのか、他の車の流れも早い。。、ハードなスケジュールのあと、、疲れているのに、テンションが高い。

炭水化物や、大豆系のタンパク質の食事が多いのだが、、昨日はお寿司やさんのイメージ撮影、今日は銀座でアーティストの撮影のあと肉系のランチなど、栄養価の高い食事が続いたから?、、、

やっと作品を複写してDMのイメージをデザインにまわす。メンバー全員のイメージを一枚のプリントにして、バラバラのプロファイルが、大きなコントラストの違和感を生じないかなどもチェック。微調整は必要かもしれないが、概ね良い結果が出そうな感覚。スタジオのメインPCの調子が悪く、時折バイオスやシステムののセットアップ画面があらわれる。これにはかなりナーバスになる、、4年目だからそろそろ限界なのか、、、、、、

先日、DMのイメージを決める為にプリントしたが、今年のネガはどうにも、、、最低な感覚。明日から残りのフィルムを現像するが、思い通りにならないいら立ちで、スタジオから戻るのも、気が重かった。しかし、、、残りは、、まだあるのだから、、先に進む。この2日間でPMKを終了、来週は POTAや、Tmax, MQ の処理などに取り掛かる。

ギャラリーやサロン、、作家にとっても、展示する作品は、特別な物でなければならないと考える。それは、サブジェクトが社会的に特別だとかと言う事では無く、その視点。これは写真においてとても重要な問題だと思う。サブジェクトが特別な物、それは、もちろん意味を持っているかもしれないが、、、さらに必要なのは作家の視点が特別である事。そうでなければわざわざ額に入れて展示する意味は無い。

私のいる国はとても感覚的に貧しくて、作者の意図は、添えられている解説の中にあると思っている人があまりにも多い、、、苦しみも、喜びも、、言葉にしなければ伝わらないと思っている、、、きっと言葉が無い方が幸福だ。指や、からだの感触だけが真実を伝える。

あまり書きたく無い事もある。選挙に行かなかった。先日の千葉県知事の選挙は、千葉に引っ越してきて最初だが、この県の知事は、住民の恥じだと、常々思っていたので、住民は何故何もしないのだ、、、そんな事を考えていたが、、つまり、しかたが無いのだ。投票率の、低さが、われわれの言葉なのかもしれない。ゆるき、重き、流れに流されるのなら、、、何も語る事は無いのかと、、、無言である事が、、敢て真実のように感じる。自責の念から逃れる為に、投票する人も、また、罪人であると思う。

何もかもがアンバランス、、、壊れて行くのか、何かが生まれるのか、、、


03/17昼 やっと明日納品するセレクトを終了。今夜スタジオに戻ってからの仕事が一つ減った。できるだけスタジオの仕事は持って帰らないようにしているのだが、これまたコインパーキングの駐車場代をケチって、少しでも早く、車を出さなければならなかったので、、、

昨日は久しぶりにプリントして、伊豆高原のDMの写真を決めた。とても疲れたが、満足できる結果では無い。前日でフィルム現像を切り上げるのも、ふがいなかったが、時間的に限界、明日複写しなければスケジュールに間に合わない。DMは、新作から、その思いが、どういう風に結果に反映するのか、、考えものだ。

これからスタジオに向い、今のところ撮影の予定は2件。できるだけ早く戻ってフィルムの現像を続ける。プリントはそれから。

かなり面倒な処理を繰り返して現像している今年のフィルムだが、半分は、汚染などのトラブルで使用できない。ムラやピンホールスポットが広がりはじめている。それ以外にも、未露光の頃から気になっていた乳剤のスジ。これは現像してもはっきりとあらわれる。10枚に一枚と言ったところ。ただ、連続してあらわれないので、2枚撮影してあれば両方がダメと言う事は無い。、、、どちらにしても、問題なく使用できる物の方が少ない。

プリント作業は、とにかく苦痛からスタートする。自分のイメージが最初からあらわれる事はほとんど無い。ネガの濃度、階調が計算道理でも、印画紙にあらわれるイメージはとてもかけ離れている。ここからがはじまりで、長い時は10年以上の歳月をかけて仕上げて行く。ある意味、自分の内面で作業を進めているように感じる、、、

もちろん、将来的にデジタルネガの可能性も100%否定はしない。20年近く前、W.バロックの廉価版プリントを見た時、その完成度に驚愕したが、おそらくそれは、ドラムのマスタリングによる出力ネガだったと思う。彼のプリントはプリントの、マスタリングからしか作れないから?

私が引き伸ばしにこだわるのは、このシステムのの奥の深さを熟知しているから。これで無ければできない世界がある。もちろんハイブリッドの部分もあるが、ほとんどの写真家はこの魅力を知らないのだと思う。

それは被写体をスキャンするのでなく、レンズを通して撮影する事に魅力を感じるのに、どことなく近い感じ、、現代の印画紙は、そのように作られている。とても美しいプリントは、、そこから生まれてくる。

先日、カメラのメンテナンスサービスのついでに銀座のニコンサロンの写真展を見た。あんな物を額に入れてサロンに飾るのは、、、カメラメーカーの文化レベルの低さの現れだ。どんな先生のだか知らないが、作家では無く、サロンの認識だと思う。今迄写真と言う言葉が好きで写真と言うジャンルを敢てこだわってきたが、あれと一緒にされるぐらいなら、写真と言う言葉は使いたくない。


03/14夜 朝早くから、作業をすすめ、10時からは銀座で撮影、その後はニコンの銀座でカメラのメンテナンス、、中目に戻ったらバックアップ、、とにかく時間に終われながら、3時過ぎにはスタジオを出たのだが、、事故による大渋滞で自宅に着いたのは9時を過ぎてしまった。スケジュールを、追い掛けるのは難しいが、引き戻される時はあっけない。小銭をケチって高速を使わない、と言う事もあるが、6時間近くかかってしまった。

今日撮影したセレクトを、仕事として持って帰ってしまったので、これが終わる迄はフィルムの現像に取りかかれない。明け方迄かかるのか、、


03/10夕暮れ 3日間で処理したフィルムは50枚程。まだ半分にも達しない。

ここのところ、つまらない幼稚な絵柄が続き、すっかり気分が凹む。。そんな時こそいろいろと情報収集をして、処理を極めなければならないのだが、実際はできるだけ流して先に進もうとしてしまう。しかし、、とても疲れた。

創作は、終わりのない子育てのようだ。生きている限りこれから離れる事はできない。新しい物が欲しいのでは無い。ただ、何かを満たしたいだけ、、24時間、自分を縛り続けているのだが、時折小さな、、いやっ、とても大きな幸福にも巡り会う。もう十分楽しんだ、、、そう投げやりに思う時もあるが、まだ、何も見えて無いと思う時の方が多い。

花粉のせいなのか、薬品のせいなのかわからないが、体調もすぐれない。。片付けが終了したら、車でスタジオに向う。日曜の夜は一般道でも4時間はかからない。

明日はCDのジャケ写、そのあとは企業広告や、アーティストの取材など。雑用も多いが車なのでできるだけ早く戻る。コインパーキングもばかにならない、、、

土曜日、、1日でDMのプリントができれば良いが、、


03/07夜 何とか全てをこなして、、、戻ってきた。昨日から徹夜で確定申告、今朝からは別の撮影と、スタジオワークもハードだった。48時間以上寝ていない。遅れを取り戻したのか、大きなミスをおかしているのかは不明。夜の電車は込んでいて、、今日はそれが心地よく感じる、、、

気にいらない事はたくさんあるのだが、ここ迄忙しいと他人事のように感じる。昨日は、PGIのレセプションに行きたいと思っていたが、結局時間が作れなかった。人の生き方は、結果の中にあると思う。私には、人のたくさんいるところは相性が悪いようだ。懐かしい人に会いたいとも思ったが、、、今ではない。

フィルムの現像を進めなければならない。夜のうちに戻れば準備をして明日は作業ができる。1日に10枚、、、そのくらいだが、先を急がない事。。。今年の課題。こなして行くのでは無く、やり方を、、極めなければならないと思う。

気になっているのは、伊豆高原の展覧会のDM。

この展覧会は、新作の手応えを確かめる事を、目的としている部分があるのだが(個人的に)フィルムの現像も終わって無い状態で、絵柄を選ぶ事ができない。土曜迄の作業の中で、なんとか自分のイメージを絞り込みたい。

何かを振払うように、走っている。

今、全力で走らないのなら、、、、、XXXXX


03/01 ひとまずフィルムの処理を切り上げる。明日は、春日さんたちと、伊豆高原の展覧会の打ち合わせ。

明日電車で出かけたら、週明けからは撮影。そして確定申告の準備も進めなければならない。この続きは次に戻った時になる。いや、、できるだけ早く戻りたい。

なぜか、とても疲れている、、、何が足りないのか????お金では無いかも、、、しかし、お金の為に疲れているのだが、、、


02/28夜 乾燥したネガをチェックしている。

PMKの世界、、この中に必ず、新しい自分の表現があると確信する。私の光の扱い方に、時々さっと、こたえている感覚。

80年代の低感度のロールフィルムのようだ。

低濃度域も安定した描写。フィルムのガンマは損なわれていない、、POTAとの出会いを思い出す。見れなかった物が見えてくる気がする。

ここから始めよう。


02/28 あまり気乗りのしない絵柄が続き、くたびれている。最近ケミカルの処理を極端に変更したので、ネガの調子も今一つ掴めない。PMKの処理分をセレクトして進めているが、定着がアルカリだったり、Pyro after bath の行程が加わるなど、処理そのものは倍以上の時間を費やさなければならない。今日は10枚。

少し前に、切り上げたところ。。。あまり魂を詰めても捗らない。明日はどうしよう、、、

ただ、全てに対して否定的では無く、私なら、、、作れるのではないか、、新しい創造への期待も少し。新しい処理のネガの保存性などを考えたりせず、このネガは今の為にある。そう思いながら、ベストを尽くしている。明日仕上げられない物は10年経って、仕上げられるわけが無い。このネガは今年限りの物で良い。この時を、この空間を必ず今、仕上げよう。

写真は不思議な芸術だ。まず、その空間に立会わなければならない。その偶然、、、、それを必然に変えて行くのはその人の魂だと思う。

言葉でおぎなえる物では無い。この素材を芸術として受け止めるなら、言葉との関係を、遮断しなければならない。それは美しい音楽に、誰かが常に解説を加えているような物、、、、何故それがわからないのか。


02/26 電車で帰宅。週のなかば、、中途半端だが、暗室で作業を進めたい。

とてもアンバランスな感覚の中で過ごしている。何かをカミングアウトしなければならないような、、いらだたしさを伴った感覚、、、そして虚無感。昔の自分なら、何もかも破壊して新しい関係を創造したのかもしれない。自分の芸術はどこに向うのか?

昨日、上野でミンコフスキーのリハーサルに立会った。古楽のオーケストラ自体、聞くのは久しぶりで夢のような体験なのだが、あまりにも耳に残るシューベルトの7番。美し過ぎる出だしを何度も繰り返す、、、最大の緊張、、興奮は、、必ずピークで中断し、彼の支持で始めからやり直す。。

その、苦痛のような不思議な快感。最高のサワリだけを少し、、そして、あっと言う間に違うところに飛んで行く、、、

達成する事の無い性行為のような、いら立ちの中に、だんだん、これを楽しんでいる自分を感じはじめる。

現在の自分。中途半端な感覚は、、、ここで頂点に達し、、、実は、、楽しんでいる事に気付きはじめる。これが快楽なのか??


02/18 これからスタジオに向う。夜明け前に戻ってからずっと忙しく、雑用に追われて食事もできない。落下させて壊してしまったカメラは、昨日新しいものと入れ替えた。今日の夜はさらにスタジオでテスト。明日は朝早くからロケだ。

02/11 これからスタジオへ、そして夜のうちにに軽井沢に向う。取材が2件。その後、今週はずっと都内で過ごさなければならない。少しづつフィルム現像の準備も始めているが、なかなか手が付けられない。

先日PGI で購入したA. アダムスのプリントをやっと額装した。横浜の展覧会のプリントと並べて見ている。どこに飾ろうか、、、


02/08朝 昨夜遅く車で帰宅。とても美しい夢を見て目が醒めた。最近、良い夢ばかり見る。死の予感?

先週末にギャラリーを撤収後、一度電車で自宅に戻ったが、車に乗り換えてすぐにスタジオに向い、仕事を始めなければならなかった。

そして、スタジオに向う途中、PGIに立寄り、以前から、どうしても欲しかったA.アダムスの白い花の写真を買う。これは、ヨセミテで来場者のみに販売されている廉価版のオリジナルプリントだが、自分には、これほど美しい物は、、他に無いと思う。A.ロスのサインが入っている。いずれはこれもデジタルになってしまうのだろうか、、、

先週の横浜の展示で販売したビンテージペーパーのプリント。ギャラリーから受け取った売り上げの封筒が、、ほぼそのまま美しい写真になった。明日はこれを額装しよう。涙が止まらないほど、美しい、、、

これが欲しいと思うようになったのはずいぶん前の事。私の写真には無い、祝福された光がある。滑らかな白。これこそゼラチンシルバーの美しさ。もちろん、他にも欲しいイメージはあるのだが、これは、小さくても、限り無い存在感を放って、今の自分に無い、あきらかに違う美しさ。

おおらかな感覚、祝福され、目的に向って行く信念の結晶、、光と夢に満ちあふれている、、

印画紙も買わなければならないし、エアコンも壊れたまま、、、そんな事はもう、どうでもよい。


02/01朝 穏やかな日が続いている。自宅にいるのは今日迄で明日は横浜のギャラリーに出向かなければならない、そしてその翌日にはギャラリーを撤収。会期の1週間は、なんとも短い。1点でも販売したいところ、、、

昨日に引き続き小銭の為の雑用に追われている。僅かでも収入を得なければ動きがとれない。昨日LA から届いたフィルムと現像液は、外箱に大きな穴が空いていて、かなり不安にさせられたが、開封してみると中身は無事だった。現像に取り掛かるのは生活費のメドがたってから、、、、、、、そう言えば、新らしい現像液の貯蔵ビンを用意しなければならない。これは買わなければダメだ、、、出費がかさむ。

昨日ひさしぶりに買い物をして、夜はマーボ豆腐を作ろうとしたのだが、解凍した自家製のマーボのタレが、調理直前にアラビアータのソースである事が判明。すでに、豆腐の水切りや、その他の薬味を用意したあとだったので、アラビアータマーボ豆腐を作ることになる、、、

ごま油や、薬味のネギなどで、それ風に仕上がったが、、アラビアータのキモにあたるパンチェッタの風味がなんだか悲しい後味。しかし、、そんな事を考えなければ、けっしてまずくは無い、、、どちらかと言うと、エビちりの風味。

豆腐と言う食材の、懐の広さに感心。


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