2011年05月
作者近況2011 2011年07月 2011年03月 2011年2月

09/30 昨日接着が完了した、マグネット式レリーズのテスト。構造的には完璧、、、と思っていたのだが、フジとローデンは良好でニコンはシャッターのカムが磁力の影響を受けて戻りが悪い。レリーズの取り付け方を変更し新しい金具を製作する。

未だ仮組みだが、このレリーズはとても使いやすい。すばらしいアイデアだと思う。今迄レリーズの取り外しで苦しんでいた事が嘘のようだ。

あとは、ニコンのレンズをどうするか、、、新しい金具を試作する。磁力に関してあまりにも無知だった事も失敗の原因。同じコパルなのにニコンとフジでは磁力の影響がまったく違うのも不思議だ。

磁力は不思議だ。たとえば現在は大丈夫でも、だんだんパーツが滞磁して、いずれ壊れるような現象もあるかもしれない。


09/28早朝 ここ数日夜明け前からフィルムの実写テストの準備をするのだが、どうにも思ったようなコンディションが得られない。撮影に出かけるスケジュールが決まっていないのでいつ迄に、、、という期日がない。、、、、ちょっと気に入らないと、、、明日にしてしまう、、、昨日は風が強く、今日は空の雲がフラットすぎる、、、先日は日射しが強すぎた。、、、このまま冬迄撮影には出掛けない、、、そんな予感もする。

ターゲットを使ったフィルムテストは終了し、トーンカーブもチェックして準備は万全なのだが、、、、いざ、ゾーンの設定となると、新しいイメージに関しては尻込みしてしまう。はじめなければ、何も見えないのは解っているのだが、、、、

スタジオでの仕事も少しずつたまっているのだが、できるだけ溜め込んで、、、一度で済ませる、、、交通費もバカにならないので、とにかくギリギリ迄出掛けない、、、今月は車での移動が多く、経費を使い過ぎだ。

台風が過ぎて気候が一気に変わった。27度近くあった水温が、20度を切る。水が冷たい。

農閑期のように、機材の手入れ。三脚は石突きのコルクを新しくした。カメラはフロントが壊れたままだが、それをカバーすべく、、レンズボードの負荷を少なくする方法を考えている。レンズに取り付けるレリーズも課題の一つ。いつもの事だが、脱着に時間がかかり、何度か悔しい思いをした。

レリーズを取り付けるテーパーのネジ。これが気に入らない。多くの写真家が少なからず、不満を抱いていると思うが、、、、あまりにも原始的で、、もちろん他のシステムもあるのだが、全てが改良されているとは思えない。

何度か試作を進めているのが、イリジウムのマグネットを使った固定方法。電気ポットのコンセントのように、ある程度の負荷がかかるとポロットはずれる。試作の為に何種類かのマグネットを注文し、チェックしたのだが、微妙に予算をケチッタので、マグネットが小さすぎて失敗。あまり強力だとシャッターのガバナーに影響するのでは、、、との(これは余計な心配だと思うが)不安も。

昨日、思いきって強力なマグネットを数種類注文しなおした。今度は大丈夫だと思うが、、、今日の午後には届く予定。


09/23,24 都内で一件の用事を済ませ、茨木の友人宅を訪ねる。イラストレーターの友人とは20年来の付き合いだが、昨年、田舎暮しの念願がかなって古い農家を農地付きで購入した。霞ヶ浦の上の方だから常磐道を使えば私の住む御宿よりは都内へのアプローチは良い。農地と住宅や工場が混在する、ある意味中途半端な田舎と言った感じだ。

話には聴いていたが訪れるのは初めて。茨木には一切の土地カンがなく、どこから始まり、どこから福島なのかがまったく解らない。高速代をけちって国道を走り、少しずつその雰囲気を味わってみる。柏、土浦、、、、石岡この辺りになってくると電車の路線が想像つかない。しかし、、、地形はどこ迄も緩やかで、たびたび交差する国道のような道、分譲住宅地、ホームセンターなどは都市近郊の様相でずっと賑やかなまま、、、何かが少しずつ田舎になっていく。

田舎特有の、妙に平べったく、やたら敷地の広い工場の前に途切れがちな雑木林、大木の隙間の路地を入るとリフォームされた古民家が突然あらわれる。敷地はやたら広い、、、と、言うわけではなくちょうど良いと言った感じか、、、数百坪くらいなのか、、、様々な木々に囲まれ小さな畑、納屋、蔵などのセットがロケ地のようだ。リフォームした母屋以外はかなりボロい、、、、

母屋はリフォームが終了し、やたら広い道場のような空間になっていた。いずれはカフェやギャラリーなど、なんにでも使えるように、、、、いろいろと古民家を見てきたが、前に住んでいた人間や歴史が完全に取り払われているのはオーナーの性格だ。ある意味、前向きでやる気に満ちている。連休なのですでに客が10人くらい。親せきや友人、、、そして隣の家の人だったりする。、、、それぞれ、、たき火をしたり、木を切ってみたり、、、何か、、田舎ならではの事を、ダラダラと、楽しんでいるような感じ、、、

夕食はその空間の一角に、キャンプ用のちゃぶ台をおいて、、、古民家と言えば囲炉裏があって、古めかしい床や建て具に囲まれて、、、という想像だったが、、ここは床から天井迄新建材が貼られ、古い梁からオシャレな照明がぶら下がる。外に面したところは全て大きな木製のサッシでガラス窓になり、、、重苦しい歴史の重圧は感じない。何か、、自分の世界を作っていく、、そのスタート地点、、、懐かしさのような古臭い感覚はまったく無い。

デザイナーからイラストレーターへ、、、、木工を学び、、農業の研修、、そして自分の空間を少しずつ手に入れていく。人それぞれの生き方を感じる。この広い空間が彼女には必要なんだろう。。。。。もちろん妥協した部分もあるだろうが、、、多くの選択肢の中、ここでの生活は始まっている、、、、

私自身、10年以上前は、田舎の民家を改装する、、と言う考えもあった。長い都会の暮らし、、みんな、なんだかの形でそこから出ようとしている。自分に最適な方法を見つけるのは容易ではない。

私の生活はここで完結しているのだろうか?????それは解らない。いつまでも自分の生活を少しづつ模索している。。。

ただ、、、、広い空間を管理する事は、私にはストレスだ。突然長い旅に出て、ふっと戻ってくる。いつでも変わらない小さな空間。ある意味どこで暮らしても、都会的な感覚から抜けだせない。

空想の中で、、自分はどこか自然の中、小さなトレーラーーハウスで暮らしている。そこに住んでいるのだが、いつかは違う場所に移ってしまうかもしれない。地に足のつかない、、、、宇宙船のような小さな空間、、、、緩やかに風化するアルミニューム、、、、持ち物はとても少ない、、、、


09/20 先日露光したキャリブレーション用のフィルムの現像を終える。スポット状、あるいはスジ状の汚染の対策が目的なので、プランの決定に時間がかかった。基本的には、今迄より主薬の含有量の多い処方を試す。そして、Kbrの含まれない処理、、、市販の処理薬と単純な処方。主薬の量が少ないといろいろな意味で汚染を生じやすい。

メーカーの資料も参考に、、現像前のいわゆる前浴を推賞しているのだが、これについてはいろいろ実験しなければならない。今迄の経験では前浴はかえって汚染の発生率を高くする。これは、現像能力の低い現像液では特に目立つ、、、、

通常、水、または界面活性剤を添加した水を使用するが、この時、乳剤の膨潤が均等に進まず、かえって汚染のスポットを発生させる。これは昔実験して認識しているのだが、今時あえて、前浴を推賞するには、なんらかの理由があるとも考えられる。

とにかく、明室で水、ドライウェル、現像液、それぞれを使用して現像のシュミレーション。膨潤状態をチェックする。高倍率のルーペで汚染のスポットが発生する気泡などをチェック、そして、1分程で薬液を拭き取リ、表面の状態を観察、、、、、、


09/16 深夜に帰宅。15日は川口の美術鋳造での撮影、今日はスタジオで書籍の表紙の撮影が2本、画像処理や経理などで帰りはすっかり遅くなってしまった。それに加えて今日は朝からアレルギーの鼻炎で、撮影のペースが上がらず、立ち合いの人達には少なからず迷惑をかけてしまった。風邪薬や鼻炎の薬などをのみ、、、撮影の終わった頃にようやくくしゃみがおさまった、鼻炎と言うよりひどい鼻風邪なのか??

15日、鋳造所での撮影はとても興奮する物だった。何よりその場所の雰囲気が怪しく魅力的。小さな町工場と言う感じの建物だが、ところ狭しといろいろなブロンズや石こうの原形がおいてある。それがまた、著名な作家と思しき裸体だったり、どこかで見たような坊さんだったり、街で見るようなモニュメント、はたまた不思議な小動物、、、、

まずは、それらを工房から外の歩道に運び出し、内部の広さを確保する。その段階でさらに不思議な空間は拡大し、隣のスナックや工場と一体化し映画の中の秘密基地のようなのだが、この辺りでは当たり前の事らしく、通行人は何の関心も示さず通り過ぎてゆく、、、、

鋳造の溶解炉は3基でそれぞれ大きさが違い今回はは中くらいの炉で金属を溶かす。私が到着した頃火が入り、流し込む迄は2時間くらいだったか、、、ガラス工房で強力な火力の溶解炉のバーナーに慣れているのだが、排気塔もない燃やしっぱなしの原始的な炉は、迫力が違う。電子制御云々と言うような制御盤はなく、溶け具合を目で確かめているような感じ、、、

一方、流し込まれる側の砂型は、工房の床(かなり深く迄、砂でできているらしい)に大きな穴を掘り、流し口だけが見えている状態。(砂は柔らかく、数人で5分もしないうちに1メートル程の穴を掘リ埋めてしまった。)

そして火入れ。炉から金属のバケツに流し込み、それを一瞬で砂型の流し口に注ぐ。真っ赤に燃えた金属が火花を散らしながら注ぎ込まれる。これがクライマックス。

緊張は高まって、見た目も絵になるのだが、個人的には、その後の型を開ける時のほうが興奮した。また、出てくる金属のオブジェが、生き物のようでいかにも誕生の瞬間と言う感じ。私は鋳造に関してまったく詳しくないのだが、流し込んですぐに型をあけると言うのは、珍しいらしい。なんとなく、1日ゆっくり冷まして、、、と言われた方が納得する。

この、出てくる金属の塊がとにかくすごい。作家が、石こうで作った原形と見比べても、にわかにこれが作品とは思えない。型が2つに割られ、中身がポロリと砂の上に出されるのだが、血管のように、あるいはツタが絡まったように湯道と言われるスジが絡み付いており、原形の形は大雑把にしか見て取れない。

その後は、水で冷ながら、グラインダーなどで余計な部分を切り落としていくのだが、湯道が全て切り落とされても、まだまだブロンズの作品、あるいは原形とはかけ離れた物としか思えない、、、今日の作業ははここ迄である。

勝手な想像だったが、ブロンズと言うのは、型を開けると、作品の形で、パカッと生まれでる物だと思っていた。原形から型を作る鋳造師の地道な作業は想像していたのだが、型から出したあと、鋳造師たちが、さらに原型に近づけ、磨き、削り、埋めていく事はまったく想像していなかったのである。

芸術における分業、あるいは共同作業、、と、言うような観点から、興味を持っていたのだが、ここ迄鋳造家が多くの部分をになっているとは考えなかった。ブロンズそのものは鋳造家の手によって生み出されているのである。そして、、鋳造家が変われば、作品はまったく別のものになってしまう、、、、、あるいは、、生み出されない。

職人として、指示された物を正確に作っている、今迄そう言う解釈しか持たなかったが、、、これは特に、日本語において「職人」と言う言葉が芸術家とまったく違う世界の人間を現している為でもあるが、、、、

誤解されそうな表現になるが、、作曲家と演奏家の関係のようにも感じる。演奏家は、、、プレーヤー、と言う職人であるわけだが、、作品の最終的な性格を決定するアーティストとして認識されている。そして作曲家は、それを演奏するプレーヤーがいなければ、その作品は、完成する事はない、、、また、、、演奏家は、曲が存在しなければ演奏する事はできない、、、極端な話だが、、、、

音楽はある意味分かりやすい。演奏家が目に見えるアーティストであるわけだが、表現に対する絶対的権限は作曲家にある。勝手なアレンジは許さない、、、と言う事になれば、いかに偉大な演奏家であっても、その曲は演奏する事はできないわけだ。もちろん、あまりにも長い歴史が、演奏家に自由な解釈を提供しているのだが、、、

まあ、実際は、演奏家は作曲もするであろうし、作曲家も演奏するわけだ。たとえば鋳造家が、自然界に存在する造形に興味を持ち、石や、流木や、かぼちゃ、犬の死体などから型をとって自ら、作品を生み出す事もあるだろうし、、、彫刻家が、鋳造迄全てをこなす事もある、、、、そこは本人の意志、と、言う事になる、、、

何の為にその行為を成すのか? 

何をするのか、と言う事ではなく、すべての意味はここにある。

自分が写真家であり、その創作を置き換えてみる。

自然界を歩き、多くの創造物に触れ、その型をとって持ち帰る。それはつまりネガで、それを暗室の中で少しづつ私の見た、感じた、原型に向けて、削り、磨き、埋めていく。

芸術家は、、原型を探している、、、自然界に、宇宙に、理念の中に、創造主に、、、、


09/14 光線が安定するのを待ってキャリブレーション用のフィルムの露光。予想以上に安定しており12段階の露光を五組終了。センシトメーターもあるのだが、撮影にフィードバックするには、カメラを通した露光が手っ取り早い。現像のプランはこれから考える。オルソフィルムにコダックのNo.15フィルターを試そうかと思ったが、、これは実写からフィードバックするべきだと思い今回は止めた。

今迄フィルムのキャリブレーションはスタジオのベランダか、近くの公園で行っていた。自宅でのテストは初めて。ここのベランダは狭く、ターゲットの向きに気を使ったが、それほど悪い条件ではないと思う。雲の無い青空でスカイライトのみの露光。ポジフィルムならかなり青く写ってしまいそうな条件だ。直射光を避けると、この時期、この天気では、この辺りは同じような物だと思う。

都内のビルの6階(スタジオ)では周りの建物が直射光を程よく反射しているので晴天のスカイライトでもそれほど青みは強くない。それと比べて、ここより高い建物はなく、近くの森の木々はほとんどの直射光を吸収してしまう。空も海もとても青い。

テストしたフィルムはローライのオルソ、ここ数年テストを繰り返しているが、今回は、特に汚染の少ない処方を探す。調合済みの現像液も試す予定。テスト用には一度ホルダーに入れて使用しなかったフィルムを使用、経済的だ。あまりに多い現像のトラブルを少しでも解決したい。

使用する処方が決まったら、実写テストを行う。感光性や、メーターとのギャップを埋めていく。MQの希釈処方の代換えを探している。市販の調合薬なら、汚染が少しでも押さえられるのではないだろうか??

明日からは都内で撮影。特に明日は、川口でブロンズ作品の鋳造に立会う。かなり興味深い。朝早く車でここを出て、スタジオで機材を積み込み昼には川口へ。スタジオでは他の撮影もあり、週末には戻る予定。それまでに現像のプランを考える。


09/13 フィルムのキャリブレーションの為にテストチャートの撮影、、そして現像、と言う予定だったが、カメラが固着して動かない。冬に突風でフロント部分が破損、日本海の塩分を含んだ潮風をずっと浴びていた、、、などなどで、修理(応急処置だが)分解注油を済ませて保管してあったが、ここの湿度の高さですっかり錆び付いてしまった。リンホフのテヒニカが錆び付く、、、

フロントの破損はひどく、とりあえず使用できるが、テヒニカ本来のしっかりした感触は得られない。レールに前板を固定する爪が折れているのだからしかたが無い、、、いずれは安い中古を見つけて部品を入れ替える予定だが、、経済的に、、今ではない。姑くはこのまま使うしかない。今回は引き伸し機の修理用にスタジオから持ち帰ったモリブデングリスを注油、修理に半日。

このカメラは円高が進みはじめた20数年前新品で購入した。以前にも修理はしているが、恐ろしく高価な出費だった。今なら中古が安いので、安いドナーを探した方が良いだろう。買い替える、と言う選択肢に等しいが、、、かなり改造し、とても思い入れがある。ただ、買い替えれば、、、とは行かないし、お金もない。

しかし、精度の低下はいくつかのトラブルを生んでいる。特にフロントの固定不良は、短焦点のレンズでニュートラルがなかなか得られず、周辺での画像が時々甘くなってしまう。注意してピントをチェックすれば、、、と、思うのだが、吹雪の中、広角系のピントをチェックする事は無理だ。風で張り付いてくるカンプの中で、ピントグラスの周辺は息が凍り付いて何も見えない。

改良してあるのは、ハウシング内部、蛇腹のケラレが多いので不必要な物は全て外した。そして蛇腹は自作。ハレーション対策に2重になっているし余裕で360ミリが使用できる長さがある。画面の角を遮るレボルビング枠も削り、ネガの領域は少し広い。フォーカスのつまみはクリックが発生するように加工し、レールのメモリを見なくても被写界深度や焦点移動の修正が可能、、、、、しかし、、、全体的にはボロボロでガタガタ。今回の破損でレンズボードの止りも良くない、、、

キャリブレーションの露光は明日に延期。晴天が続き、とても良い季節。本来ならどこかに出かけたいのだが。


09/10 2日間のデスクワークを終わらせ電車で帰宅。背景の合成など手の込んだ作業と、単純作業。プリンターの用紙が残りわずか。テストの出力も慎重になる。画像の良否はモニターでは解らない。必ず紙に出力する。多い物だと何十枚も無駄にしてしまう。

モニターのキャリブレーションよりもプリンターの調整にウェイトを置く。RGB、CMYKと言う事だけで無く、印刷物は紙である。印刷の物は反射にして初めて存在する。これはポジの色と印刷物の色が根本的に違う事を知っている写真家ならではの考え方か、、、透過光と反射光では世界が違う。所詮、意識上のサンプルに過ぎない。この辺りは暗室作業となんら変わらない。私の性格なのか、、、材料費がかさむ。

スタジオにいるとデジタルも含めた総合的な写真についていろいろと考える。芸術としての分野でも、モニターなのか紙なのか、、、それぞれに表現領域がある。それらがデジタルや銀塩が絡まってごちゃごちゃに流れ出し収集がつかない。今や写真と言っても、目にしている物は、紙では無く、発光するモニターの方が多い事も事実。モニターは恐ろしい速度で進化し表現領域を広げる。そこにある物は何か?いずれモニターは紙のように薄くなり、あるいは立体になり全ての仮想体験を満たす。それはもはや仮想では無くなり意識として、あるいは物質として定着される、、、、書物でも映像でも無い物へ、、、、

私が写真に求める物はなんだろう?本当に紙の上にあるのか??ただ、、、何となく、紙の中にあるように感じる。ただ、何となく。


09/07 昨日、仕事の途中で帰宅したのは、ロケで使った車をいったん自宅に戻す必要性もあったのだが(経費的に)御宿の町外れのギャラリーで千葉県内の作家の展示をやっており、その最終日に見に行きたい、、、と、言う理由もあった。

出展している作家の方はすでに各方面で活躍されている方ばかりなので想像はつくのだが、特に興味があったのはそのギャラリー。最近よくある古民家を改装した、、、と、言う物だが程よく手が入れられており、本当に居心地の良い空間になっている。展示内容もすばらしい。これなら都内から足を運ぶ価値がある。

そしてもう一件。その近くにある牛舎8号。これも気になっていた。最近イベントなどの話をちらほらと聴く。いったいどんな場所なのか?

こちらもかなり面白い。Webでチェックしただけだと、土産物レベルの物産品の販売所、、と、言った感じなのだが、はじめて訪ねてみると、コミューンのような異空間。音楽のイベントなどを開くのも納得。ネーミングも面白い。スローターハウスファイブ、、、を連想するのは私だけ???

どちらも自宅から車で10分程のすぐ近くなのだが、昨日の疲れで午後遅く出かけたので、下見程度。直売の100円のキュウリを買って夕方に戻る。千葉も悪くない、、、初めてそう思った。近くには、蕎麦の孝七、懐石の愚善庵など、、、未だ行った事は無いのだが、、、、、、

今回の2件だが、自治体や商工会のホームページにはまだ見当たらない、、、、そんなものなのか、、、

明日は再びスタジオへ。今度は電車で向い、、2日程画像処理のデスクワーク。


09/06 仕事に区切りを付けて夜明け前に帰宅する。スタジオを出たのは午前2時頃だったが、道中、断続的に叩き付けるような雨が降る。交通量は少なく明るくなる前に御宿へ。深夜に移動すればガソリン代も駐車場代もいくらかの節約になる、、、、

スタジオでは5日間過ごし、撮影は2日間、それ以外はかなり本格的に画像処理のデスクワーク。締め切り間近の原稿が多い。撮影の2日間は彫刻家のアトリエでブロンズの作品をを撮影。台風の余韻の中かなり多くの機材を車で運んだが、それら全てを使い切る大掛かりなもの。これは仕事としてはとても面白く、時間や予算の制約が無ければ、銀塩のモノクロでも撮影したい、、、ひさしぶりにそう感じる。逆に言えば、デジタルでは力が足りない。、、、印刷して目録を作るのだから結果的にはデジタルなのだが、、、、

昔から興味を持っていた鋳造という分野。彫刻家は原形を作り、最終的な鋳造は、鋳造師が行う。つまり、物理的な作品そのものは鋳造師の手によって生み出される。ヨーロッパに於いては写真も、作家とプリンターの分業的な感覚が強いが、ある意味職人を信頼し芸術家が依存する、、、そんな仕事の流れに、抵抗が少ない土壌があるのかもしれない。無言の信頼関係のような、、感性の根底を同じ基盤に求めているような、、、、、

普通に考えれば、何年もかけて形作った物が、他人の手でいい加減に仕上げられては堪らない。型から機械的に量産する物ならいたしかたないが、今回の作家の方もそうだが鋳造は1点しか行わず、型は壊してしまうのだからなおさらだ。ひょっとしたら全てを自分でやらなければ気がすまない作家もいるのかもしれないが、このシステムで、、多くの優れた芸術が生み出されているのも事実。

来週は、非常に興味深い鋳造の火入れに立会う。何か、、発見への期待のような物を感じる。


09/01 昨日迄二日間同じネガをプリントしたが出口が見えてこない。空のダイナミックレンジを立体的に表現する事ができない。多くのネガをチェックしたが雲が立体的に表現されているネガはほとんど無いように感じる。風景の難しさを感じる。午後には車でスタジオに向う。先週延期になった撮影が週末から始まる。台風が心配だ。

人間の日常的な知覚では、空と大地は別々に把握されそれぞれの細部を同時に知覚する事は無い。空の中の何か、大地のどこか、、、それらは同時では無く、別々に知覚され組み合わされて記憶される。では、デジタル映像のAIやソフトが行うように、HDR的に複合的な処理をすれば良いのか?

仕事上デジタルで撮影している時は、一枚の画像は複数の撮影から部分的に合成して仕上げる事が多い。これは今はやりのHDRの技法のにもつながるが、ローカルなダイナミックレンジを別々にコントロールする事はデジタル処理なら簡単。全体を素直に表現し得るかは、作者の感性に依存する、、、これだけハードが進化し、多くの人が技法を使いこなしているのに、優れた作品にはめったに巡り合えない、、、、、何もかもが写っていれば良い、、、と、言うわけでは無い。

空の雲を立体的に奥行きを持って再現したい、、、そう思っているのだが、、まず、、、立体的な雲は、なかなか見られない。やっとの思いで撮影しても、、、技術的に再現出来ないのが現状。空の表現は難しく、、黒を出せば白が出ない、、、白を出せば黒が出ない、、、、、ここに住むようになっていつも空を見る。何層にも奥行きがありその立体感に驚く。A.アダムスの文章の中に、「空の雲に対して、山頂を配置する」と言う表現あったような気がする、、、まさに、、、そんな感じ。

ケミカルのトラブルも依然解決しない。オルソフィルムは、使い込む程にいろいろな汚染やムラが出てくる。現在は葉脈のような有機的なスジ状のムラに苦しんでいる。レンズに生えるカビのような不思議な模様が濃度低下で現れている、、、、、これはトレーの現像ではあまり目につかなかった、、、やはり処理液を考えなければ、、、、フィルムそのものが劣化している可能性も否定出来ない???


08/28 日曜日の撮影が急に延期になりロケの為の車を自宅に戻すべく御宿に戻る。自宅を処分して以来、2台も借りていた駐車場は解約し、ロケの時はコインパーキングに車を停めている。この経費がバカにならない。忙しい時はなんとも思わないが、仕事も無いのに毎日数千円はかなりきつい。駐車場を借りていた頃は月に10万近く払っていたわけだが、、、、

久しぶりに10日以上禁酒している、、、、10年以上前に数カ月禁酒した事があるが、その後は1週間以上飲まない、、と言う事は無かった。

暗室での作業が疲れやすくなり、体質的に、アルコールを受け付けなくなっているのか?ここ数日は不思議と、飲んでいないのによく眠れる。

若い頃から酒の嗜好は一貫している。まず、洋酒しか飲まない。基本的にブラウンスピリッツ、ワイン、ビール。10代迄酒豪だらけの高知県で育ったので、日本酒や、焼酎には良い印象が無い。それらの酒はヨタモノ、酔っぱらってクダを巻いているイメージがある。10代の頃から飲まされてえらい目にあった。それと比べると、ウィスキーやワインは、とても紳士的に見えた。それだけが理由とも思えない、、、単なる味の好みかもしれないが、、、、寿司屋では日本酒も飲むし????

まだ景気の良かった20年程前、飲む量は多く、今から思えば高級な酒を飲んでいた。私の中ではワインやビールは食事に含まれるので、飲むと言えばスコッチかブランデーだが、、、スコッチはロングモーンやラガブリン、ブランデーはコニャックや、グルジニャック。気に入ると1年ぐらい同じ酒を飲む。そんな事を続けるうちに、私の気に入った酒は皆値上がりし、、だんだん入手困難になっていく事に気付く。

そこで思い付いたのが、、酒貯金。酒の為に貯金するのでは無く、飲む為の酒を少しづつ貯えていく事。私は貯金は一切しないたちなのだが、酒を貯える事には抵抗は無く、、たまっていくのを見ていてこれほど幸せな物は無い。買い物の時には、、必ず飲む為の物と、貯金の物と2本買う。安い時にはまとめ買い、、、そんな事を10年程続けていると、人には言えない程の本数が家の中を占拠するようになり、あと何年は酒を買わずにいられるのか、、、と、言うような事を考える始末。

そして、、、それから十年。景気は悪くなる一方で、、、、貯金していた酒はほとんど飲み尽くしてしまった。、、、まったく無くなったのか??と言うと、そうでは無い。あまりにもったいなく、飲むには惜しい酒、、、あるいは嗜好が変わり、購入時の価格程、ありがたみの無い酒、、、などなどが残る。ほとんどはボトラー物のカスクだが、アードベッグのオフィシャルの30年なども、、、近年高騰していると聴くが、、、これらを売却して冬の撮影資金にならないだろうか??????

70年代のアードベッグ、、、、今は無きリベット地区やローランドの蒸溜所の名酒、、、70年代蒸溜の物が多いのは、購入が90年代後半だからか、、、、蒸溜所の買収や、閉鎖が多かった頃だが、、、今思えば、、当たり前の酒が、、当たり前に個性を主張していたように感じる。今のスコッチブームとは重みが違う。酒が、飲み手を選んでいた時代、、、、、しかし、、、媚びなければ生き残れない。


08/24 午後から車でスタジオへ向う。しばらく撮影が続き、1週間は戻れそうにない。少しづつ雲の表情が豊かになり、、秋が近いのを感じる。

1週間ほど禁酒し、体調はかなり良くなった。夏風邪は残るが、いくらか身体が軽い。ひさしぶりに暗室の窓をあける。眼をやるたびに雲の表情が違う。

先日からのプリントを何枚か壁に貼っているが未だ出口は見えてこない。おそらく、、、繊細な描写、、、そんな感じが必要で、、プリントのアプローチを模索する、、、、肉眼では、認識するのに時間のかかるような、、いくつかの奥行き、、、そんな物かもしれないが、、、色彩では無い。全体を把握し、、視点が少しづついろいろな部分に吸い寄せられていく、、、美しいプリントには、無限に奥行きがある。

夏になって天気の良い日が続くと、どんどん後ろめたくなっていく。どこかに撮影に出かけたいのだが、、、とにかくプリント。でかければ撮れると言う物でもないし、、何より、資金を調達しなければならない、、、、、、、


08/21 とても荒削りなネガを伸ばす。初めて光を通すが、、、予想どうりまったくイメージが見えてこない。撮影は今年の1月、まるでカラーの風景のようなありきたりの場所だが、、、、、、雲と風がすばらしかった。このシーンは自分の物にできるのだろうか、、、、自分は、あきらかにモノトーンの表現に適していると思うが、、、あまりにありきたりでうまく仕上げられそうに無い、、、

こういうイメージは、、、調色したり、非銀塩のプリントでは良く見かける、、、、、、

自分なりのアプローチで、、少しづつ、、、近付けよう、、、、、、

バリポイントの光源を試している。想像したより扱いやすいが、、やはり、光源のゴーストに悩まされる。いろいろと問題点はあるが、、使いこなす事だと思う。このシステムは写真家にはなじみが薄い、、、、

初めて点光源に接したのは、ラッキーの不思議な機種である。型番は忘れてしまったが、、、映写用の電球と、白熱電球の両方が装備されていた。外部からの操作ですぐに入れ替えられるのだが、精度やコンデンサーに不満があり、、手放してしまった、、、、その後は一度も見た事が無い、、、、


08/20 御盆は来客もあり楽しく過ごしたが、食べ過ぎ、飲み過ぎのせいで、少し体調を崩してしまっている、、、(それ以前からかもしれないが)ここ数日は酒を飲まず体調の回復に勤めている。酒を飲まないと眠れないので夜中に古い映画を見る。このところ毎日が日曜日のようで後ろめたい。来週からは忙しくなるのだが、、、、

数年ぶりに寺山修司の「田園に死す」を見る。この映画を最後に見たのは池袋の文芸地下。取り壊し前の特別上映だったと思う。最初に見たのは、、、30年以上前だったか、、、上板橋の映画館、、、、、、、その後もビデをで見る事はあったが、あらためてみてみると、細かい所だが記憶と食い違っている。。。まさしく、、、「書き換える事のできない過去など無い」そう感じる。

そして、、記憶よりも遥かに短い映画だった。

過去は、、自分の造り出した嘘、、、、、空想して明日の日記を書くように、、、記憶は書き換えられていく。。。。

明日はプリントしよう、、、


08/12 著作権に関する書類、原稿の2時使用の為のデータチェック、原稿の色構成などなど、、、やる気の無い2代目の社長のような書類上の仕事を済ませ、昼の電車で帰宅。、御宿着は3時半。思ったほど暑く無い。都心の暑さを再認識。駅には海に遊びに来る高校生なども多い。

この時期の電車はいつもと違っていろいろな人が乗っていて面白い。ある意味、、、人間丸出しで、、、特に若者は。

メディアの中で芸術が育たない事に就いて時々思うが、、若者の感性はとても素直だと思う。ある時、TVで写真甲子園と言う物があるのを知った。音楽のブラスなどにも格闘技のようなコンテストがあるのだから、、、当然と言えば当然だが、写真を、チームやみんなでやるゲームの様に考えている所は文化の偏りを感じて悲しくなる。私が写真をはじめた事も、ずっと続けてこられたのも、、、一人でできるから、、、そう思う。集団の中での物造り、、、イコール、、、アマチュアイズムでは無いが、、、私の知る限り、日本のアマチュアイズムは、どんな芸術であれ、集団に帰属する世界観が見える。

もちろん、それら全てを否定するわけでは無い。、、、しかし、、、、素直な若者の感性に刻まれた集団意識は、、ともすると、、、いつまでも消える事は無い。芸術は個のものだと思う。他人に気を使っていては、良い物は生まれない。ましてや、自分の場所を常に確認するような、、、それは社会では重要な事かもしれないが、、芸術家には必要無い。写真は芸術なのだと、、、胸をはって言える自分を作りたい。未来の為に、、、自分の為に、、、、、


08/11昼 随分前のデータの再利用など、、、いくつかの雑用の為にスタジオへ。外の暑さ、スタジオの暑さを考えると気が思い。明日早い時間に戻ろう。

08/10 昨日、フィルムの発売中止で少しナーバスになったが、、、冷凍保存してあるフィルムは1000枚を超え、ここ姑くの需要にはまったく問題はない。限りある資源をを有効に使う為、キャリブレーションを徹底する。特にオルソフィルムは違うタイプの現像液を試す前に、既存の処理を数値化し、はっきり把握する。

最近はフィルムの変換が激しく、使いこなす前に、、、どんどん無くなっていく。あきらかに自分のスキル不足を感じる。被写体の変化にも対応できてない感じがあリ、露光のレンジを過ったネガもある。

現在使用している、フィルムと処理の組み合わせは、ゾーンシステムのタブレットで管理されており露光と濃度との関係は絶対値として把握されている。しかし、、、そこ迄で十分なので、、、カーブを作成したり、違うフィルムとカーブ上で比較する、、、と言う事は長らくやっていない。この部分になんらかの盲点があるかもしれない、、、、(センシトメトリーと言う、、創作とかけ離れた技術論にかなり抵抗がある、、、)30年以上ごぶさただが、、、トーンカーブを書いて、実際に重ねてみれば何か発見ががあるかもしれない、、、、。

保管してあるテストネガは、1枚に4つのゾーンが露光されている。各現像処理ごとに、実際の撮影条件で10数段階の露光がなされており、、これを濃度計で測る事でカーブの状態を把握している。今日は全て濃度を測りなおし、実際にカーブを書いて重ねてみる。いつもはノーリツのDM1を使っているが、今日は(特に正確に)X-rite の濃度計で全てのネガを測りなおす。久しぶりなので濃度計の設定からやり直す、、、けっこう時間がかかる。

実際にカーブを重ねてみてどうなのか???あまりにも予想どうリ。発見は無く、、、カーブは正直である。ただ、直感的にどこでカーブがクロスするのか?露出決定のゾーンをどのポイントに持っていくべきか、、、などを、把握しやすくなった。。。。昨年のネガの濃度を測り、、目の前にあるカーブに照らし合わせ、、、他の現像だとどう言うネガになるか、、、露光のレンジをずらすとどうなるのか、、、などなど、チェックする。

少し、、抵抗のある作業だが、、、いくらかノウハウが蓄積されるような感じもある、、、理想のプリントへのアプローチは、、デスクワークも必要??、、ネガの濃度そのものは、ほぼ、自分の予想したレンジで再現されている、、、では、何がイメージを疎外するのか???それを煮詰めなければならない。

外はあまりに天気が良く、一日中デスクワークはなんとも身にそぐわない1日。

6年ほど前だったか、、、ローライから発売された(MACO)R3のシートをテストしたネガがでてきた。オルソとコードノッチが似ていて間違えてしまったが、、これは変わったフィルムだった。発売と同時にテストし、乳剤に異常がある事に気付き、発売元とテストのやり取り、、、などをしている内に、あっさり本国で製造中止になってしまった。まずはスペック上で赤外迄、感光域がある。これはふれこみでは完全に赤外フィルムとしても使用できる、、、と言うレベルで、それだけでも興味をそそられた。そして、、実際テストしたネガは、粒状、、ベース、、全てが不思議な物だった。今見ても、、その質感に驚く。どちらが表だか解らない、、、、


08/09 年末にストック用のフィルムを注文するのだが、、、調べてみると、、、予定していた全てのフィルムが販売終了になっている。フィルムの時代は、、あきらかに、もうすぐ終わる。。。。先を急がなければならない、、、、

数十年のかかわりだが、、銀塩の世界は奥が深く、自由にコントロールするには程遠い。光を、、光で焼きつけていくシステム、、、簡単そうに見えて、、未だ何もわからず、、光学系の呪縛、、それを魅力にかえることができない。

日本人には、、光を使う工芸、、、としての写真は、、定着する事はなく、芸術としての完成を見ないまま消滅していくのだと思う。写真はヨーロッパからアメリカに伝わり急速にその表現を確立する。そしてNYから西海岸へ、、、芸術を育てる為にはリーダーが必要だと思う。日本の文化はまるで政党のようなポリシーのない雑誌に導かれている、、、、、、、その先にある物は所詮、、、雑誌だ。工芸ではない。

午前中、はみだした接着剤を丁寧に取り除く。午後からはキャリアとしての組み立て作業。予想外に一月以上かかったが、やっとL1200のキャリアが完成した。外は少し暗くなりはじめている。ネガをセットしたテストは良好で、精度の高いこの機種にも十分対応する。

今迄のガラスキャリアでも、ネガをセットする時はハレーションを最低限にする為に4隅をスキャナーテープでガラスに張り付けていたが、それを一歩前進させ、フィルムの4隅に0.1ミリの金属板を張り付ける。これはフィルムの平面強度を増す為だが、その金属ブレードを使ってネガを4方向に引っ張る構造。単純な原理だが、そう言った物をまったく見た事がないので、、、試行錯誤で時間がかかった。

今日L1200が完成し、このシステムを導入していないのはDEVERE504のみだが、このヘッドは昨年から完全散光のLEDとなっているのであまりシビアに考える必要はない、、、と、思っているが、ノウハウがある内に、、これも製作したい。、、来月には、、、


08/08 接着して、、、研磨、塗装、の予定だったが、、、安物の接着剤を使った為、ねじれの強度をテストした段階であっさり剥がれてしまった。2日ほど後戻り。。。接着剤を剥がし、研摩して足付け、、、今度は時間をかけてアラルタイトで接着する。2日間の作業を終えもうすぐ完成。失敗するのが見えていたような気がするのは何故??

強い日射し、、冷房との温度差、、、夏風邪をひいたようだが、、、微熱が続く。。ネガキャリアの制作はアルミ性のベース部分が終わり、ネガを押さえる上面のプラスティック部分に取り掛かっている。今日はアクリル板をカットして穴をあける作業。強度を出す為2ミリと3ミリを張り合わせて枠を創る。発砲ウレタンが一枚、アクリルが2枚の3層のサンドイッチ構造。加工を外注に出せば簡単だが、小銭をけちってカッターで作業。アクリルに窓をあけるのはとても時間がかかる。しかも綺麗な作業はできない。上面は、さほどの精度は必要無く、見た目の為にお金は使えない。とにかく削ってアクリルに窓をあける、、、、アクリルの耐熱温度は100度以下だが、この部分は構造上問題ないと思う。程よいシナリの強度に期待。接着が終了すれば実際のフィルムで平面性のテストに入る。接着剤との相性はどうだろう??今回も使い古しのセメダイン、、、、、、、この部分は柔らかな接着剤を使わなければならない、、、、、、、、、アクリルの加工は苦手で、、手を切る。何故か、足も切ってしまう、、、仕上りも美しくない、、、、、


08/05 昨日の日記を付けようとしていたが気が変わって保留。そんな事の多い最近だが、、、今日も同じように気の乗らない1日。昨夏のネガをチェックして撮影のプランを考えたり、地図やグーグルアースで撮影地を考える、、、イメージトレーニングで盛り上げようとしても、、夏はとにかく気が乗らない。

こんな感じでは一年はあっという間で、何も作れないのは解っているが御盆をひかえたこの時期に出かける事はまったく持って憂鬱な事ばかり、、、。この意志を正当化する為に、、、せめて一度はどこかに出かけたい。

昨年1年間のネガをチェックする中で、とにかくトラブルの多いフィルムがある。この冬のネガは、個展の事もあり、現像を急ぎかなり乱暴な処理をしているが、そんな事とは関係なく、現像のトラブルは解決されていない。8月は暗室作業の中で、、現像液の種類も含めて根本的な処理方法の変更を考えよう。、、、主薬の量が少ない事が汚染の原因の一つではないかと考えはじめている。不安定な理由は、、、、そこにあると思う。現代的な処方を試すべきだ、、、、MQを希釈する、、、と言うのは、、フィルムによってはとても相性が悪い。

少しづつ進めているダーストL1200のネガキャリアだが、、、やっとベース部分の接着作業。部品そのものは、そこそこ高額な外注の加工に出しているのだが、、、自分で接着する部分は、、安物の接着剤を使ってしまった。正規品のアロンアルファ、、、、を、、、使うべきだが、、、100円の類似品で、、、明日の研磨で剥がれなければ良いが、、、、??

明日はクランプを外して研摩する。138同様、ネガを4方向に引っ張って固定し、ガラスを使わずにプリントする。うまく行けば、、、バリポイントの光源も、ストレスが少なくなる、、、、

08/04 晴れていても突然強い雨が降る。台風の影響で波が高く海水浴場は遊泳禁止。夕方からは花火大会、、、、、、、、、、、


08/03 昨夜遅く迄打ち合わせ。午前中の電車で帰宅。彫刻家の展覧会の為のカタログを手掛ける予定。時間をかけてゆっくりと進めたい。アーティストの作品を撮る機会は多いが、私の場合とにかく時間がかかる。技術的な試行錯誤もあるが、それ以前に、作家の意志を最大限に表現するアプローチを模索する。私の解釈が本当に正しいのか、、、何度もやり直し、、少しずつ近付いていく。直感で、、、と、言う人もいるが、私の場合、何度もやり直した方が、、、見えてくるように感じる。アプローチは人それぞれだと思う。

撮影の打ち合わせ、、と言う事ではなく、世界観、震災の事、、、、多くの話を聴く。私自身の創作へのアプローチについても、、、しばらく考えさせられる感覚。特別なもの、絶対的な存在への思いは、決してエゴイズムの産物ではない。全てを包括する存在へ、、、その中にある。ただ、、自分を追い詰めても、、、そこには辿り着けない。


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