2013年01月
作者近況2013 2013年05月 2013年03月 2012年11月

07/30朝 こちらに戻った翌日は体調が回復せずほとんど仕事もできなかった。今思うと、軽い熱中症だったのか。食欲の無さと全身のだるさ、異常な体温、、、

40度をこえる車内に一日中エアコンを使わずにいたのだから、、?、少し不思議な感覚があり、ある時からふっと汗もかかなくなった、、、戻って冷たいシャワーを浴びても体温が下がった感じがしない?、、、車内では渋滞中、窓をあけるとかえって暑いので、閉め切って送風のファンに体を当てていたのだが、、、どこが体の限界なのかはわからない、、、、

しかし、、、、100キロにも満たない荷物と体を、2トン近い車で移動させて、おまけに、石油を燃やして冷やすと言うのは、あまりにも非現実的な感じがして、、、、、2人くらい乗ってればまだしも、私ひとりだとチョット気が引ける、、、今日もスタジオに車で出かけるのだけど、夜なので大丈夫。

昨日は先日販売した作品のマッティングと額装。image 2011 #13gallery bauhaus で販売したエディションに続き4/25になるがこれはポートフォリオボックス用に製作したグラデーションのフレームを焼きこんだもの。今年の2月の横浜での展示用に縦位置にマッティングしていたものを通常の横位置に新しいマットを切った。

もう一点は昨年の伊豆高原ミュージアムの展示で使用した image 2011 #3 でこれもgallery bauhaus で初めて展示したイメージだが、ペーパーがレンブラントからイルフォードになり、エディションは4/20になる。こちらは額装のみなので、先日のビューイングの時に、引き渡し済み。

先週も、販売した作品の額装作業をしたが、こちらは、 image 2011 #15 と image 2011 #32 の16X20。これは gallery EM nishiazabu で展示したイメージ。 このイメージで、大きなサイズが出るのは初めて。

暗室のエアコンが新しくなり、一気に作業を再開したが、仕上げの効率は悪く、販売してしまって、補充のマッティングなどは、まったく手が付いていない状態。ビューイングのまえにあわてて、、、てな事にならないように進めたいのだが、しばらくは作業の部屋作りを優先する。

image 2011 #3 は、初めての販売。。この作品はとても仕上げるのが難しく、2000年頃と記憶していたテイクは1998年だった。その後何度もプリントを試みるのだが、今一つのところ迄仕上がってしっくり来ない、、、(当時は廃虚のシリーズが好評で、個展は廃虚のシリーズが中心だった事もあるが)、、、そして、2011年の個展でやっと仕上げたのだけれど、この時は販売に至らなかった。その時の印画紙はレンブラント。そしてペーパーサイズは14X17。

今回販売したものは16X20のペーパーでイルフォード。とても長い時間がかかったが、これで初めて完成したと感じる。重要なのは、特に、、、サイズだったと思う。このイメージは繊細で、たとえばWeb でも、雰囲気はまったく伝わらない。銀塩の滑らかさ、透明感、そして何層にも重なるような空間はゼラチンの中にあって初めて見えて来る。それが把握できる最低限の大きさが必要だったのか。。

今日スタジオに出かけると、週末迄戻れない。8月1日にはこの町の花火があるのだが、これが見れないのはとても残念。


07/27 戻ったのは夕方、少し眠り深夜に目覚める、月が美しく、外では打ち上げ花火や、笑い声が聞こえる。

昨日の夜から静岡へ。。静岡での仕事は朝6時にスタート、8時には終わってしまったので、再び東名高速を走り10時にはスタジオに戻った。土曜日だから?機材を下ろす僅かな時間にも、駐車禁止の監視員が写真を撮りに来て間一髪のところでセーフ。その後は、混んでいる道をだらだらと千葉迄戻った。

一応「エコ」と言う名目でエアコンを使わずに車を走らせているのだが、背中から腰にかけて、けっこうなあせもと、熱中症の危険がちらほら。目安として、水が飲めなくなると、危険な状態だと言う認識。今日はギリギリのところ。なぜ?自分でも解らない。貧乏性???、、、、、他に、窓を開けている車がいるとほっとする。今日は2台見た、、、それらも含めて、、「エコ」はオシャレでは無い、、、、、

金曜も2件の仕事でとても忙しかった。無理して千葉に戻る事は無いのだが、、、気持ちのリセット、そしてコインパーキングの駐車場代の節約、、、

木曜日に、スタジオで作品のビューイングをしたのだが、とても気に入っているイメージを2点購入していただく事になった。

最近、、、とくに今年になってからだが、気持ちが凹んでしまって、もうどうでも良い、、、、、そんな事を考えていると、、、だれかが、。。まったく考えて無かったところから、ふっと、やってきて、作品を買ってくれる。そんな事に救われている。

誰もいない宇宙で、一人で仕事をして、、誰もいなければいない程、仕事が捗る、、、そんな事を考えているのだけれど、、、これが欲しい。。そう声をかけられるととても幸せに感じる。。。

日本に写真家などいない、、思わずそう呟いてしまうのだが、、、その感覚には日本に写真を理解する人などいない、、、受取る側への不満も潜在的にあったのでは無いだろうか???

1970年代、1980年代、、、展覧会でどんなに説明しても、写真のプリンンとを販売すると言う事は理解してもらえなかった。、、、オリジナルプリントと言う言葉は、そう言う状態から、何らかの解釈を導きたくて、使いはじめた事なのだけれど、まず、日本の写真家にも、まったく、理解出来なかったように思う。。。オリジナル?バカにするように問い返される事がほとんどだった、、、、、、

少しずつではあるのだけれど、プリントが売れるようになって、本当に伝えたいのはただ一つ。何故、オリジナルで無ければならないのか?もちろん、印刷物や複製でも伝わるイメージはある、しかし、、、何か、極まったもの。。。この世界の極みは、実物を見た人にしか伝わらない。

手にとってみてもらえばそれが解る。。。そんな事をひさしぶりに実感する。


07/24夜 遅くなってしまったが、これからスタジオへ。販売した作品の額装やビューイングの準備をエアコンが新しくなった暗室で進めた。断熱材や、遮光板などで窓を埋めて。これからは普通に作業ができる。

仕上げの部屋作りも少しづつ。。今日は和室の畳を剥がして、床の状態をチェック。サイズを測った。カーペットを敷くわけだが、台所や暗室で使った残りを埋め合わせて、とにかく最低限の資金で仕上げる。和室の押し入れには、ふとんや、冬の衣類が入っているのだが、これも。新たな収納に入りきらない分は処分する。長い道のりになりそうだ。。。。完成すればこの押し入れに、プリントが納まる、、、、、

これからスタジオに出向くわけだが、夜の運転は昼間にくらべると楽だ。停めておくパーキングも夜の方が空いている、、、このまま戻らず、週末は静岡で仕事。


07/22 何故だか体調を崩して酒も飲まないでいる。風邪薬は飲んでも効かないようだが、たぶん夏風邪。

週後半からはけっこう忙しいので、何とか体力を取り戻そう。そんな中、久しぶりに、シーツやベッドのパッドなど、大物の洗濯をしていたら、洗濯機が壊れてしまった。

これまた、10年をこえる老体で、しかも当時の最先端のハイテク型?本来ならば室内に設置するであろうものを、マトモに潮風のあたるベランダに置いているので当たり前と言えば当たり前。すでに何度か故障し、センサーを内蔵したフタは強風でモゲてしまって、継ぎはぎだらけに接着剤で張り合わせてある。

そして、洗濯物を取り出し、とりあえず分解して修理。洗濯機の修理は、中に洗濯物が入っている時にしなければならない場合が多く、なんとも厄介。

ずいぶん昔だが、購入して数年目、やはり基盤のエラーの表示で動かなくなった時、修理に訪れたサービスマンは、この機種の欠陥とも言える部分を、正直に説明してくれた。。その説明によると、センサーとメインの基盤の相性が悪く、一度カプラーを外してつなぎなおす、あるいはカプラーの部分をたたいて振動を与えると。嘘のように治ってしまうと言うのである。そして、その時もカプラーをつなぎなおすとみごとに復活し、出張料だけを支払った。家電は、たたくと治ると言うのは、あながち嘘では無い。

今回の故障は、2つのエラーコードがに出るので、基盤周りの接続の点検と、強制的にキャンセルした、フタのセンサーをリセット。何とか動き出してくれた。日が陰り、大物の洗濯物が乾くのは明日の夜か、、、


07/17 昨日、新しいエアコンの取り付け工事を終えた。断熱材の張り直しなど細かい作業はこれから。

6畳をひとまわり小さくしたような、こじんまりとした暗室だが、広さそのものに不満を感じているわけでは無く、ネガやプリントを、保管しているストッカーが、同居している事が大きな問題。それを解決すべく、来週から使っていない和室をストックとドライワークの部屋として使えるように整備する。完成目標は夏の終わり。

この部屋を整備する事は、それほどたいへんな作業では無いのだが、問題は他にもあり、収納のある部屋はその部屋だけなので、そこに収納されているものを収納するスペースを他に用意しなければならない。結果として、その隣の客間の和室も改造する事になる、、、、、

貧乏臭い手作りの連鎖が、どんどん広がっていく、、、、

これから電車で出かけ、2、3日、スタジオで過ごし、週末前にこちらに戻る。小刻みに行ったり来たリで、スタジオにいる時はあまり余裕が無い。狭山の風間さんの作品を作品を見に行きたいのだが、千葉から狭山はとても遠いので、何とかスタジオにいる時に、、そう思っているとなかなか出向けない。

彼の作品は過剰包装の御歳暮みたいな、アートでは無い。では、純粋芸術なのか?それも違う。私が惹かれるのは、何か、とても日本的なところ、ジャポニズムでは無く日本の雑誌的な写真文化の隙間に咲いた時代錯誤で場違いな、、美しい花のよう。

今年は個展を開かず、制作環境の整備に力を注ぎたい。もちろん、声のかかるうちに、ギャラリーとの関係を深めて、販売力を強化しなければならないのだが、、、、


07/10 これからスタジオへ。週末には戻りたい。

2日程自宅で過ごしたが、「何もしなかった」と言う感覚。もちろん、忙しく家事に追われていたり、梅雨の湿気で生えてしまったカビを、気になるところだけ掃除したり、、、そして、昨日は暗室のエアコンの取り外し。。。アレルギーのくしゃみで、鼻水と戦いながら、、、

梅雨が開けていくらか湿度は下がったが、午後になると海から深い霧がやって来るので、窓を開けて空気を入れ替えるのは逆効果。とにかくエアコンを少しかけて、外部の湿度が80%を切る迄、窓をあけない。幸い、海が近いのと、山沿いの谷に立地しているので、気温が30度をこえる事はめったに無い。

長く留守にしていても、窓さえ開けていなければ一軒家のように全てが湿気を吸っている、と言う事はない。

そんな立地なので暗室のエアコンは機材、ネガやプリントの保存を含めて生命線。連日90%をこえる湿度でとにかく気をもんでいた。もちろん、作業はできない。昨日は暗室の窓の遮光板や断熱材を外して、壊れてしまったエアコンを何とか自力で取り外した。これで5000円程節約になる。連休明けに外したエアコンとひきかえに、新しいエアコンを取り付けていただく。6万円はかなりの期待を込めた金額。

今年の展覧会に関する問い合わせが少しあるのだが、来年の個展に集中すると言う考えに辿り着いている。今年は、Web サイトの整備とエディション管理の徹底、そして、使って無い和室をプリントの保管、仕上げなどの、ドライワークの部屋に仕上げる。

仕上げの部屋に関しては、ここに越してきた時からの課題なのだが、資金不足でなかなか事が進まない。しかし、いつまでも暗室の中でドライワークと言うのは効率が悪く、あまりにも多くの時間と体力を無駄にしている。何より、一定の条件で、プリントを仕上げたり、選んだりする空間が必要だと感じる。

だから何から始めるのか?とても重い腰をあげるのだが、とにかくお金のかからないところからスタートで、月末迄に畳を剥がして壁と天井のペンキを塗ってしまいたい。この予算に1万円。ペンキを塗りはじめたら少しやる気になるのでは?そんな期待から。

もう、ずいぶん前に出来上がった海の家に、少しづつ人の気配を感じる。土日の渋滞も少しづつ。そして毎日やって来る深い霧。夏になった。「暇な時は民宿の手伝い」、、、そんな感じに地元に溶け込みたい、、そう思いながら、何故だか私も夏は忙しい。

車での長い道のり、ガソリンを節約してエアコンを使わないのだが、昼間の渋滞は地獄だ、、、そろそろ出かけるか。


07/08 いろいろな原稿の締め切りに追われ、週末もスタジオで過ごした。1週間ぶりに帰宅し、やっと買い物。そして、資金不足から壊れたままになっている暗室のエアコンを買いに、電器店へ。

6万円の出費になるが、このままでは作業ができないので、先の事は考えず、カードで支払いを済ませる。今月は5月の伊豆の交通費や制作費の引き落としが多く、昼も夜もパートの仕事に明け暮れているのだが、これでまた、振り出し迄引き戻されてしまう、、、金で、健康や命は買えないが、金の為に、健康も、寿命もすり減っていく、、、

ただ、、銀塩の紙や、フィルムは、たとえ、借金してでも、買わねばならない。。。。私の写真が、何故、銀でできているのか、、、今は誰も気付かなくても、、、いつか解る時が来る、、、私が見ている銀の輝きは、現代の人には見えていないのだと感じる。。。これを受け止めるには、ずいぶん時間がいるのだろう。。。欲を言えば、、もっといい紙が使いたい、、、、、、

しばらく、写真の事を考えなかった(と言っても2週間程だが)、、、その理由の一つに、80年代のプリントを集中的にチェックした事がある。89年のネガをプリントする為に、プリントサンプルを探していたのだが、、、、梅雨時の暗室の湿度は90%を超え、湿気を含んだゼラチンは、現代の紙では考えられないほど、美しかった。そして、30年を超えると、周辺から少しづつ、銀色に輝きはじめる、、、、、

まだ、これからなのだと思う。新しいネガの為に、長い時間を過ごす。いろいろな事を考え、いろいろな人に会ったが、結局、ここで物を作る事の幸福をこえるものは無い。他の芸術では、埋める事のできない世界。。。。弱っていた力を少しづつ取り戻している。


07/02 日曜日の終電で帰宅し、昨日はゆっくりと家事や買い物。。体を休めようと思っていたが、買い物から戻ったら車のドアが壊れて閉まらなくなると言うハプニングがあって、、、蚊に刺されながら汗だくの修理の時を過ごす。そして今日の夕方にはその車でスタジオへ。

昨年購入した15万キロをこえる中古車はすでに10数年の歳月が経っているわけで、潮風のあたる駐車場の影響もあるのだが、着々とサビが進んで今度は電動スライドドアのワイヤーが切れてまったくドアが動かなくなってしまった。

もともと、不要な部分が電装化されているのは故障の原因が多くなって好きではないのだが、格安の中古車なので、選ぶわけにはいかない、、、、

モーターやリレーが壊れて結果的にワイヤーが切れたのか、ワイヤーが切れただけなのかはわからないが、、、とにかく、切れて車外に垂れ下がったワイヤーは数カ所サビが出ているので、潮風のあたる駐車場が、いくらか関係していると思われる。、、、、モーターも固着したのか、手動でも動かなくなった。

とにかく、閉まらなくては走れないし、、開かなくては明日の撮影で、使えないし、、、、、修理に出すようなお金はないので、、モーターにつながるワイヤーを無理矢理切断し、、、何とか手動で開閉できるようにして、、、終了。。。このまま、いつまでも使える事を願いつつ、やさしく開け閉めしている。(ときどきゴリゴリと嫌な感触はあるものの今のところ大丈夫)

前回日記を書いてから、あまり写真の事を考えずに過ごした。スタジオでの仕事が忙しい、と、言うのもあったが、気持ちのベクトルが少しずれた感覚。自由にできる時間は、映画と、音楽で過ごした。、、と、言っても、まったくお金がかけられないので、無料の動画サイトや友人に借りたCD、、、あるいは古いビデオなど、、、

映画はメトロポリス、ベルリン天使の歌、ジプシーの時、不思議惑星キンザザ、髪結いの亭主、バクダットカフェ。音楽は、バッハの全集の、合唱曲のパートを友人が貸してくれたので、今迄聞けなかったミサ曲や受難曲の大作を集中的に聞く。

映画は、どれも、何度も繰り返し見ているものだが、見始めるとのめり込んで、新しい視点で何かが見えてきたりして面白い、、いつ迄経っても新しい映画を見ないのはその為かも、、(あるいはお金がないから?)

ベルリン天使の歌は、いつ見てもカメラワークに感心する、、そしてモノクロームとカラーの使い分け、、動画の世界では、モノクロとカラーの敷居はあまり感じないのだが、、それは自分で手掛けていないから?

私が子どもの頃は、映像はモノクロが当たり前、そして、まことしやかに、眠っている間に見る夢は、モノクロームだと言われていた。(今思えば、不思議な話だが、色の付いた夢を見るのは狂人だけなんて事も言われていた。。。私の夢はいつも色彩に溢れていたので、何か納得していたのだが)TVも写真もモノクロだったわけで、記憶の中の映像は色彩を持たないと、通念的に解釈されていたのだと思う。、、しかし、当時から映画は、美しい色彩で表現されているものが多かった。

近年、「モノクロームフォト」と言う区切りで写真作品に触れる機会が多いのだが、とてもノスタルジックな映像が多いのは、そのあたりから来ているのだろうか、、、このあたりの感覚はとても日本的な物に、感じるのだが、、、、、

そして、映画の中の音楽。バクダットカフェの中の平均率、このすばらしさにやられた。初めて見た時もそうだったが、これほどすばらしくバッハが響くシーンは他にはない。もちろん、タルコフスキーやフレデリクソンの映画でもすばらしいが、、、この平均率は特別。

たとえどのように演奏しようと、つたない練習であっても、バッハは美しく響く。これはサティやショパンとはまったく違うところで、楽譜の中で音楽が完成しているような感じ、、、完成しているなら誰も入り込めないのかと言えばまったくそんな事はない、、いかなる解釈も受け入れると言う事、、、どんな演奏でも音楽に包まれ戯れる事ができる、、、苦しいレッスンの感覚をまったく感じない、、、何かを目指している息苦しさ、そんな感じはなく、、ただ、音楽に包まれている。

どのようにして、、このすばらしい芸術は生まれたのだろう?

自分を追い詰める事からしか、何も生み出せない自分に限界を感じる。


06/19 かなり悩んだ末に1枚をプリント。まだスッキリとした仕上りは見えてこないが、いずれこのネガを仕上げる。ギャラリーEM のモノクローム展がきっかけで、古いネガ全てに目を通した事がはじまり。

この絵は横位置だとしっくりするのだが、あまりにも普通な感じで、撮影時もなんとか縦に使いたいと考えていた。、、、もう少し縦のラインを強調すればうまくいきそうだが、、、だんだんわからなくなってくる。

2日間程かけて、70年代から。80年代のネガを集中的にチェックした。。いつ頃からなのか、、、、当時のイメージにはカラーとモノクロの両方を撮影した物が多い。今回手掛けているイメージも、モノクロのネガ、タングステンタイプを変換したカラーネガ、、そしてデーライトのカラーポジがある。

当時はとても長い時間をカラーの処理にも費やしていた。あく迄モノクロ主体だが、いつか、カラーの感材を完全にコントロール出来るようになれば、きっと新しい物が生まれると、、、、そんな期待から。

日本ではあまりカラーネガを使う作家はいなかったが、アメリカのはやりとして、タングステンタイプなどのラチチュードの広いカラーネガを使った8x10のコンタクトや、不思議なタッチのダイクロイックのプリント、そして大型のポラロイドなど、、、繊細に、そして主観的にコントロールされた、美しいカラー作品にも少なからず惹かれていたと思う。

自分の表現を探す中で、完全にコントロールされたカラープリントを、どうしても作りたい、、そんな憧れだったと思う。80年代のカラーの個展では全てのプリントを自分の小さな暗室で仕上げたが、、、感材がコントロール出来ない、、、それが一番大きなハードルだった。そして、、、何時か仕上げようと思いながら、カラーのイメージは少しづつ貯まっていく。

90年代の中ごろスキャナーを使ってデジタル処理をするようになると、カラーのコントロールは一気に簡単になる。それなら、、カラーでも?フィルムには何度も目を通すのだが、カラーとモノクロでは、表現の質が違う事。はっきり、これだ!と言える物はないのだが、とにかく、、質が違う。

もちろん、芸術論的にはいろいろな説明はできると思うのだが、、、実際に自分の作品に置き換えて、、これはカラー、、、これはモノクロ、、と、、仕分けしていくと、本当にその違いを理解できているかはまだ、わからない、、、正直、、わからないと思う。

カラーには色彩と言う情報が加わる。プリントそのものも、仕上がってみると、情報として受け止められ、表面的なリアリティーに妨げられる感覚、、、正直なところ、完全な芸術、、完全な写真、、、自分がそう思うカラーの作品はまだ見た事がない。。。昔はそれが作りたかったのだと思うが、、今は無理だとあきらめたと言う事なのか。。。。

今の自分のスタンスとして、カラーのイメージは、印刷物やモニターで見せるもの、モノクロームは、一つの工芸的な作品の領域迄仕上げるもの、そんな仕分けがある。つまり、カラーは、そこから先へは進めない。逆に言えば、モノクロームは、印刷やモニターでは伝わらないと、、、、、「モノクロームは印刷物やモニターでは伝わらない」厳密に言えば、そんな事はない。多くの作家の作品に触れたのも、最初は写真集や、雑誌の中の小さな紹介欄だったりする、、、、

雑音に混ざったラジオから聞こえてきてもモーツァルトは聞き分けられると、、、、、、「荒野の狼」にそんな話があったような、、、


06/16朝 先週は週明けにスタジオに出かけ、木曜に帰宅。けっしてハードなスケジュールではないが、またしても体調が悪い。そして今日、日曜になっていくらか回復したが、微熱が続きとてもだるい。

スタジオに出向く途中、始まったばかりの横谷宣の写真展をバウハウスギャラリーで見た。

ひさしぶりに見ごたえのある展覧会。作家の受けた感動、、光があり、空間がある。イメージは、ネガの中ではなく作家の感性の中に刻まれているのだと。。。記憶の中の光景、彼にとってはそうかも知れないのだが、私にとっては、未来の感覚。。。いつか、この空間に、このすばらしい体験ができるのではないのか、、、そんな希望さえ感じた。

サブジェクトから何かを感じ取り、作品に仕上げるプロセスは、作家によってまったく異なる。それはつまり、受け止め方、物の見方の違い。長く写真をやっている人なら、撮った物が思った通りに仕上がらないと言う事は少なからず経験があると思う。それは、つまり、レンズ、カメラを通してフィルムに記憶される情報の要素の優先順位と、作家の脳に記憶される優先順位に大きな違いがある事に起因する。

写真を撮る事は、機械の進歩とともにどんどん簡単になり、一つづつ、使い手の判断をカメラが代わってやってくれるようになってきた。

最初は露出、そしてフォーカス、これらとて、単純ではあるが、カメラが作家の感性に代わって、客観的判断から操作してくれている事になる。そしてデジタルの画像処理はどんどん進化し、作家の表現の主体(モチーフ)を細かく分析し、風景の種別、被写体の表情、感情的要因なんかも、統計学的に分析された客観的パターンに割り振って味付けしてくれる。

これらのAI の機能が進化するにつれ、一般の人は、思った通りに仕上がらない、写らない、と言う違和感は、少しづつ軽減され、それが少なければ少ない程、良いカメラだと感じるようになってきたのだと思う。

簡単に思った通りの写真が撮れる事。これは、写真を撮る人間に対してだけでなく、見る側にも、大きな影響を及ぼしている。客観的に受け止めやすい情報だけが、どんどん人々の間に広がって行く。これは大衆芸術としてはとても都合が良いわけで、たとえば小さな子どもでも、初めてカメラを手にした人でも、偉大な芸術家としてたくさんの人に感動を与える芸術家になり得ると言う事。。。

もちろん、これは写真の芸術性において、新しいページを展開してくれると思う。

ただ、それだけが写真の芸術性ではない。客観的ベースで処理された映像。99%の人に、ひとときの感動を与える情報、、、

芸術にはもっと深い意味がある。。。現実をこえる事。極わずかの人に、生涯の感動を与える。それは、時代としての時間を超えて存在する。愛おしく、傍を離れたくないと思う感覚、久しぶりにそんな作品に触れた。


06/09朝 伊豆から戻って自宅で過ごしたのは2日。その後は1週間以上スタジオで。そして週末に帰宅したが、体調が悪く、今朝になってやっと調子を取り戻す。昨日迄は微熱と言うにはけっこう高めの熱で、家事をこなすだけで、しばらく横になるような状態。。。今日は販売した作品の仕上げに取り掛かる。

フレームを入れるさし箱や、マットボードはPGI で受取り、電車で持ち帰った。ふだんならなんて事はない荷物なのだが、そんな事もとても大変に感じる程、、、やはり、疲れていたのか。レタッチもしなければならないので、体調が悪い時は、ミスがないように、特に注意して。

伊豆の展覧会。グループでの活動。活動の目的は、写真の芸術的価値、あるいは、美術としての楽しみ方を、広く一般に知らせる事にあるのだが、その方向や、プロセスとなると、いろいろな考えが交錯する。

つまり、グループでの展覧会でのそれぞれの作家のスタンス。

集客力はメンバーが増えればそれだけ大きくなる。つまり、「見せる」と言う事には都合がよい。「販売」においても、それぞれの顧客を共有できるわけだから、可能性と言う意味では、その幅を広げる事ができる、、、

私自身の考え方だが、ただ、多くの人に見せて、「写真が芸術であること、そして、こんな楽しみ方がある」どんなに提案し続けても、その効果は少ないと感じる。見に来た人がそのすばらしさを、誰かに伝えたとしても、それは言葉としての情報でしかあり得ない。「美しい写真を見てきた、美術として写真を再認識した」そう話したとしても、それが伝わる先には、、その話は、今迄の写真の範疇で解釈され、そこから先には一歩も進まない。。。所詮、きれいな写真を見てきた話になってしまう。

日本には、それなりに特殊な事情がある。写真と言うメディアと、社会的リアリズムとの関係、、1920年代から絵画と分離され、独自の芸術として発展したアメリカとは、受取る側の資質に、あまりにも大きな違いがある。、、そう、「ファンデーション」「基礎?、土壌?」が無いのだと。。。

誤解を招くかもしれないが、、私は、販売しなければ伝わらないと思う。。とにかく、一枚でも多く、販売する事、、、、日本に於いては、それが最も効果的だと。アメリカ人なら、「とてもすばらしい写真展を見てきた」と「とてもすばらしい写真展で、作品を一枚買ってきた」と言う事の違いは、その感動のしかたに、それほど大きな違いは無い。、、しかし、日本人に於いて、この2つはまったく違った感動を表現している。

もちろん、販売そのもの、コマーシャリズムに支配されるわけでは無いが、、、販売の為の努力は、活動の大きな目的に感じる。。そのモチベーション。今回のグループ展でも、「販売する事が目的なのか」「販売出来なければ意味が無いのか」そんな話になる。

共に活動するメンバーの全てが、アメリカで写真を学んだ人達であり。今回の展覧会も、おそらく、ピーターを除けば、ある意味、スタンダードなアメリカの写真と言っても良い。日本人は、やっと、それを、、新しいものとして、受け止めはじめている(これは、写真と言うメディアにもともと関心の無い人だが)。そこで、、果たして、見せるだけで良いのだろうか?

70年代から、80年代にかけて、たくさんの展覧会が日本でも開かれた。アンセルアダムスならともかく、、E.Weston でさえ、小田急のグランドギャラリーで大きな展覧会があった。当時、写真美術館が日本にも出来はじめ、今とは比べ物にならない程、百貨店の大きなギャラリーで写真展が開かれた。

そんな環境が続き、日本人の写真を見る感覚は変化したのか???

そう。ここで必要なのは、芸術論では無い。その下地。

そんな事を考えていたら、昼になってしまった。そろそろ作業を始めなければ。



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